将棋小説「三と三」・第20話
阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。
それからも幸三には、毎晩のようにお座敷がかかった。
無敵名人を破った大阪の若き英雄と、行く先々でチヤホヤされ、使いきれないほど祝儀をもらう日々だ。
旨酒を飲み、佳肴を味わい、色街で遊んだりしているうちに、男としての自信もだんだんと甦ってきた。
木村と若子が実の兄妹とはまったく驚いたが、なあに、それがどうした。いまの若子は名人の妹だが、この自分が木村からその地位を奪い取れば、彼女は名人の恋人になり、名人の妻にもなるではないか。そう考えれば、あの祝勝会の際に木村から受けた恥辱など、取るに足りないことだ。若子を情婦呼ばわりしたのは、たいへん申し訳なかったが、名人を破ってみせたのだから、自分の強さに彼女はますます感心したことだろう。
とにもかくにも、一日も早く、名人位を賭けて木村との勝負に臨みたい。それには、七段になり、八段になり、リーグ戦を勝ち抜いて、挑戦権をつかむことだ。その好機が到来するのが、幸三は待ち遠しくてならない。
しかし、やって来たのは、危機だった。
十二月下旬のある日、幸三の暮らす木見八段宅へ、赤い色の葉書が舞いこんだのだ。それには、こう記されてあった。
「広島第五師団・本科歩兵第十一連隊に入隊を命ず」。
若き英雄ともてはやされて、一か月も経たないうちに、天国から地獄だ。二十五歳で名人になる夢は、これで消えた。何ということをしてくれるのだ。自分の戦場は、盤上なのに。怒りがこみ上げ、悲しみに変わり、幸三は部屋にこもって涙した。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」
お乳の家で、召集の件を聞いたとたん、阪田はカン高い声で騒ぎ始めた。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。わての宝のマスやんが、兵隊に取られる、なんでやねん。大阪の宝のマスやんが、鉄砲かついでえっちらおっちら、どういうこっちゃ。日本の宝のマスやんが、駒を持つ身から、駒になる。命令通りに動かされる。もしかしたら、捨て駒になる。こんなあべこべ、あってたまるかいな。ああ、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」
「升田君、徴兵検査の結果は、たしか第二乙種、言うとったな。それやったら補充兵役や。入隊したかて、戦地に行かされることはのうて、早い時期に帰されるんとちゃうか」
谷ヶ崎の言葉に、
「その早い時期が一か月や二か月ならともかく、半年を過ぎ、一年を越えるようなことにでもなれば……。ああ、悔しくて悔しくてなりません……」
幸三は、か細い声を出した。
そのときだった、阪田が畳の上を歩き進み、縁側に立って、そのまま空を見上げたのは。そうして、一分が経ち、二分が過ぎても、同じ姿勢のまま、じっと空を見上げ続けている。
「何をしてはるんでっか? 先生」
不審に思って谷ヶ崎が訊くと、
「思い出したのや」
ようやく、振り向いて、阪田は答えた。
「思い出したって、何をでっか?」
さらなる問いに、
「大阪駅で、空を見上げていた男のことや」
そう返答すると、彼は話し続けた。
「あれは大正二年のことやった。関根はんとの勝負に初めて上京することになったとき、汽車に乗りこんだわては、窓の外、ホームの上に、その妙な男を見たのや。笛が鳴り、今にも動き出そうとする汽車に、乗り遅れまいと皆が雪崩を打って駆けこんでくるのに、その男はまるで無頓着な風で、ただ一人、懐手をしたまま、ポカンと気抜けのしたように、空を見上げてホームに立っている。けったいなやっちゃな、アホちゃうか。わてはそう思うたんやけど、汽車が走り出してしばらくして、こう思い直した。あの男がいったいどういう人間で、どういう事情があるのかは分からへんけど、周囲の混雑と緊張の中にあって、ポカンと気を抜いて立っている態度は、なかなか面白いなと。それに比べて、この自分は関根はんへの闘志で、ガチガチに凝り固まっている。これでは、勝負に臨む者の心として狭いのとちゃうやろか。あの男のようにポカンと息を抜く心の広さがあってこそ、ふだん通りの力が出せるんちゃうやろか。そう思うと、わては、どこかふわっとした心もちになり、体ものびのびとした感じになり、それが結果として勝負にも幸いしたのや」
阪田は言葉を切ると、幸三の顔をじっと見つめた。そして見つめ返してくる視線を優しく受けとめて、再び口を開いた。
「木村に香落ちで勝ち、自信をつけたマスやんは、次は七段駅、その次は八段駅というふうに、出世街道の汽車に乗って終着駅の名人駅に向かってる。木村への闘志で、心も体もガチガチに凝り固まって向かってる。せやから、思い浮かべてみてほしいのや。途中駅のホームで、汽車に乗ろうともせず、ポカンと気を抜いて、空を見上げたまま立っている男の姿を。ええか、マスやん、ポカンとしなはれ。汽車の一本や二本、やり過ごしたって、かめへん。空を見上げて、ポカンとしなはれ、ポカンとしてきなはれ」
阪田の励ましに、幸三の両目から涙が溢れ出し、頬を伝い落ちていった。それを両手で拭いながら、彼は努めて大きな声で答えた。
「ありがとうございます! それでは、大いにポカンとしてきます! 私が帰ってくるその日まで、さんきい先生も谷ヶ崎社長も、どうぞお元気で!」
十二月二十八日、出征の夜がきた。
手に手に提灯と日の丸の旗を持ち、木見宅へ集まった町内の人たちや、将棋大成会大阪支部の棋士たちの万歳万歳の声に送られて、軍服に身を固め、赤いタスキを十字にかけた幸三は歩き出し、西天満小学校の講堂に到着した。
そこでは町内連合会による合同壮行会が盛大に行なわれ、ともに出陣する者たちが祝辞と激励の言葉を受けた。そして一同を代表して、幸三が謝辞を述べた。
「将棋を学ぶことにより、私は武士道のなんたるかを把握できたと固く信じております。今後は皇軍の一兵として、それを実戦に大いに活用していく所存であります。敵玉を詰めるための、王手王手の一歩となって活躍し、皆さま方のご期待に背かぬよう、あらためてお誓い申し上げる次第です」
それは師匠の木見が、知り合いの新聞記者に頼んで書いてもらった原稿を、ただ丸暗記して、口にしただけのものだった。
将棋を学ぶことによって把握できたのは、武士道なんかではなく棋道そのものだ。そんなこと、子供にだって分かる道理だろう。皇軍の一兵とは、無礼千万。自分はそんな小者ではない。ゆくゆくは棋界を背負って立つ、新進気鋭の名人候補だ。勘違いしてくれるなよ。実戦に活用するだと、当たり前ではないか。将棋を学び、実戦に活用し、勝ち続けてきたからこそ、二十一歳の若さでここまで来れたのだ。なのに、いよいよこれから大いに活用していこうというときに、棋士対棋士ではなく国対国の実戦に活用せよとは、バカも休み休み言え。
原稿を書いた記者に当ってみても仕方がないが、内心そう毒づきながら、幸三は大勢の万歳三唱を聞いていた。
そうして幸三らを先頭にした旗と提灯と歓呼の行列は、大阪駅へと繰り出していった。