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小説「ノーベル賞を取りなさい」第33話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




 世田谷区、花崎邸。夕食後のリビングルームでくつろぎながら、父親の幸男が言った。
「よいな、由香。明日からの旅行は、柏田先生の子種を宿す絶好のチャンスだ。富士見藤太を倒す跡継ぎを産むために、必ず最善を尽くすのだぞ」
 すると由香は自信たっぷりに応じた。
「もちろん。計算したら、もうすぐ排卵日だし。期待してて」
「それだけでは充分じゃないのよ。いっぱい、しなくちゃ」
 と、口を挟んだのは、母親の安奈。
「和倉温泉のさざ屋は、これ以上ない懐妊スポットなの。二十三年前にあなたを、二十一年前に桂次を身ごもったのも、さざ屋の部屋で、パパの精子たちがすっごい勢いで何十億匹も放たれたからなのよ。繰り返し繰り返し、ママのあそこの中へ」
「やめてよ。そんな気持ち悪い話、聞きたくねーよ」
 と、スマホをいじりながら弟の桂次。だが、こんどは父親が口を開いた。
「二十三年前も、二十一年前も、タイトルの防衛戦でさざ屋を訪れたのだ。両方とも覇王戦だったかな。第一日目の対局を終えると、挑戦者は自室にこもり、局面の進行についてあれこれと思考をめぐらせる。そうして結局は頭が疲れきってしまうのだ。ところが、この花崎幸男は違う。隣の部屋にあらかじめママを泊めておき、羽織袴を脱ぎ捨てると、パンツ一丁で隣室へ。すでに全裸で待っているママに、野獣のごとく襲いかかっていったのだ。何度も何度もな。おかげで目覚めもスッキリ。対局にも快勝したよ」
「感動的な話だわ」
 と、由香。
「タイトル戦の最中にそんなことするなんて、変態だ。僕の家族は父も母も姉も、ものすごい変態です」
 と、桂次。
「これ、桂次。あなたがいい暮らしをさせてもらえるのも、変態の大棋士であるパパのおかげなのよ。言葉を慎みなさい」
 と、安奈。
「そうそう、さざ屋には良い露天風呂があってな。もちろん混浴。そこへ柏田先生を誘導し、攻めてみるのもいいかもしれない」
 邦雄のアドバイスに、由香が訊いた。
「攻めるって、どこを?」
 すると変態の大棋士は、傍らの将棋盤に被せた桐箱の上に置いた
柿の木の駒箱を手にとって開け、中から西陣織の駒袋を取りだし、紐を解いて中身をカーペットの上に空けた。そして四十二枚(※余り歩二枚)の駒の中から二枚を選びだし、由香に手渡した。
「金将と玉将……金と玉ね! ステキ! ねえパパ、これ、借りていってもいい?」
「天才駒師、宮松影水作の盛上駒だ。何百万円もする物だから、あくまでも御守りとして使うように。決してお湯に浸けたりするなよ」

 翌日、午前十時二十四分。東京駅のホームを静かに滑りだした、北陸新幹線の「かがやき509号」は、上野、大宮に停車したのちぐんぐんと速度を上げ、終着駅の金沢を目指していた。二人掛けの椅子の前列には留美と亜理紗、後列には由香と柏田が座っている。目まぐるしく動く窓外の景色を楽しみながら、留美が訊いた。
「北陸新幹線に乗るのはこれが初めてだわ。金沢には何時頃に着くのかしら?」
 亜理紗が答えた。
「長野と富山で途中停車したあと、午後一時頃に金沢に到着です。そこから特急列車に乗り換えて和倉温泉まで一時間くらいですので、金沢でランチしたり、ちょっとした観光ができますね」
 それを聞き、ランチと観光の次はついに露天風呂!と期待に胸をふくらませた由香は、隣の席の柏田の顔をじっと見つめた。
「おいおい由香ちゃん、どうしたの。妖しい目つきをしてるぞ」

 晴道学園大の精鋭部隊を乗せた「ハマーH1 4ドアワゴン」は、関越自動車道を爆走していた。
「もともと軍用車だからな。戦にはもってこいの車だわい」
 全身を木製の甲冑に包んだ石ヶ崎が助手席でそう言うと
「関越、上信越、能越。大きな渋滞さえ無ければ、午後五時頃には和倉温泉に到着できるものと思われます」
 ハンドルを握る押村が応じた。彼および四人の隊員のすべてが、さざ屋のポーターの制服を着ている。これも作戦のひとつだ。
「よしっ。後部座席の剣道部・鷲峰、おまえに渡したのはワシの鬼神大王波平行安に勝るとも劣らぬ名刀だ。その切れ味はどうだ?」
「オス! 最高であります!」
「よしっ。弓道部・鷹巣、毒矢の効き目はどうだ?」
「オス! 必殺であります!」
「よしっ。柔道部・蛇沼、締め技の稽古は充分か?」
「オス! 完璧であります!」
「よしっ。空手道部・鰐淵、貫き手の反則技は磨いたか?」
「オス! 極致であります!」
「よしっ。頼もしい限りだ。ハマーよ進め。敵は温泉地にあり!」

      

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