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みかんの色の野球チーム・連載第12回

第2部 「連戦の秋」 その4

 
 
 秋も、たけなわ。
 快晴の空の下、学校の運動会や市民体育祭が行われたが、どちらの大会でも勇名を馳せたのは、我らが誇る韋駄天、ヨッちゃんだった。
 小学校時代の最後となる運動会では、徒競走で後続のランナーに30メートル以上の大差をつけてゴールに駆けこんだのは、まあ当然。
 さらに、1年生から6年生まで各学年から選出されたアスリートたちによって競われる最終種目の紅白対抗リレーでは、紅組のアンカーの重責を務め、バトンを受けたときには50メートル以上も白組に離されていたのに、400メートルの周回走路を土煙を上げながら疾走するヨッちゃんは相手アンカーとの差をグングン縮め、ゴール前5メートルでとうとう並び、大逆転でテープを切ってしまったのは圧巻中の圧巻だった。
 市民グラウンドで毎秋開催される体育祭でも、ヨッちゃんの健脚ぶりは如何なく発揮された。子供から大人まで、市内の各地区から大勢の選手たちが参加する中、小学生による短距離走の部に出場した彼は、予選でも決勝でも胸のすくような快足を飛ばし、津久見市ナンバーワンの少年ランナーの座に輝いた。
 ヨッちゃんの所属する宮本地区チームは、彼の余勢を駆って他の選手たちも大奮闘し、なんと3年連続の総合優勝。競技スペースの外側にゴザを敷いて応援していた住民たちは、嬉しさと酒の飲み過ぎで、顔を真っ赤に染めて乱舞した。
 まったくもって見事の一言に尽きる、ヨッちゃんの大健闘。
 だが、同じこの時期、人目にはつかない狭い仕事部屋の中で、ひっそりと健闘を続けるもう1人の人物がいたのである。
 
 日本一の洋服を作ってほしいという私の頼みを、父は受け入れてくれた。
そしてさっそく私の体を採寸し、作業に取りかかってくれた。
 小さな仕立て屋だが、東京仕込みの腕の良さが評判の父は、かなりの得意客を抱え、この秋もたくさんのオーダーを受けていた。
 朝の9時から夜の7時過ぎまで、従業員の松下さんといっしょに、布地を裁断したり、ミシンを踏んだり、休む暇もなく働く。松下さんが帰ると、父は遅い夕食を取り、流行歌をがなりながら風呂に浸かり、ひと休みした後に、夜の時間外労働――つまり私の服作りを開始した。
この頃、父の入浴時の歌は、城卓矢の「骨まで愛して」から、加山雄三の「君といつまでも」に移っていた。相も変わらず、近所に聞こえて恥ずかしいと母がこぼす、音痴な大声だったが、そんなことはちっとも意に介さず、父はがなり続けた。
 そんなある夜、風呂場から私の部屋に聞こえてきたのは、いつもの「二人を~夕闇が~」のメロディーではなく、初めて耳にする歌詞と曲調だった。
 
 彦岳に 朝の陽映えて 雲白く 湧きたつところ
 大いなる 抱負を胸に 寄り集ふ 若人われら
 向学の 息吹きはつらつ ああ希望あり 津久見高校
 
 市のシンボルである「彦岳」を歌詞に読みこんだ津久見高校の校歌が、今年の1月にできたばかりだということは、私も知っていた。けれども、その全容を聴いたのは、初めてだった。
 昭和14年創立の同校だが、それまで校歌というものを持っていなかった。これまでに出場した夏の甲子園大会では、チームが勝利すると、校歌の代わりに「生徒歌」が流されていた。昭和30年に初めてベスト8に進出したときも、甲子園球場に響き渡ったのは、やはり生徒歌だった。
 ところが、昨夏の甲子園で2度目の準々決勝に勝ち進んだ際、これほどのチームにまさか校歌が無いなんてと驚いた大会本部は、試合後の場内放送で「津久見高校に校歌を寄せてください!」と大勢の観衆に向かって呼びかけたのだ。
 すると、さっそく全国各地から、130余りもの歌詞が同校に届けられた。そして、それらの中から選ばれた1つの作品に、地元出身の声楽家が曲を付けて、ついに念願の校歌が完成したのである。(※注)
 今夏、5回目出場の選手権大会では、初戦で敗退してしまったため、残念ながらスタンドの観客や全国の視聴者に、生まれたばかりの歌を聴いてもらうことはできなかった。
 だが、来年こそは、甲子園球場に津高の校歌を! それが、4万市民の、心からの願いなのだ。
 父の音感の悪さのせいで、かなり歪曲されたメロディーだったが、どこかノスタルジックな響きのあるその歌を、私は好きになった。
 そして、父が私の望みを聞き入れ、毎夜の作業に励んでくれているその陰には、活躍を続ける津久見オレンジソックスの存在があるのだということを理解した。
 
「あさっての日曜、何して遊ぶ?」
 学校の休み時間、ペッタンがそう切り出したとき、私はドキリとした。
「そうじゃあのう。おう、津高のグラウンドに行って、練習観ようかあ」
 ブッチンが答えると、
「そりゃあ、いい考えじゃあ。もうすぐ国体が始まるけん、練習にもますます気合が入っちょろうのう」
 ヨッちゃんが賛同し、
「甲子園の借りを、返してほしいのう。いまのチームは絶好調じゃあけん、いいとこまで行くかもしれんのう」
 カネゴンも目を輝かせて言った。
 10月の23日から始まる、第21回国民体育大会。大分県で開催されるのは初めてということで、県民の関心はとても高い。高校野球に地元代表として出場するのは、もちろん津久見高校だ。
「タイ坊も、練習観に行くじゃろう?」
 ペッタンに再び声をかけられ、私はまたまたドキリ。こいつめ、何というタイミングの悪い話を持ち出すのだ。その日は、ユカリの誕生日会があるというのに……。
 私が口を閉ざしていると、
「どげえしたん? 何か用事でもあるん?」
 ブッチンが不審そうに訊いたので、
「あ、ああ。実は、臼杵の爺ちゃんの具合が悪うての。それで、日曜日は家族みんなで、爺ちゃんの見舞いに臼杵に行くことになっちょるんじゃあ」
 私は、とっさに思いついたことを述べた。もしかすると自分は嘘つきの天才なのかもしれないと、心の中で呆れながら。
「そうかあ。そりゃあ大変じゃあ。そんなら、俺どー4人で練習観に行くことにしようや」
 ブッチンが、そう話をまとめてくれたので、私はなんとか窮地を脱した。
 誕生日会に招かれているのは、学校からは私1人だけ。それだけでもじゅうぶん嫉妬の対象になるのに、ましてや招待主は、みんなの大嫌いな東京者のユカリだ。もしも、このことがバレたら、仲間外れにされるどころでは済まないだろう。夏休みの、あの宮山での一件を思い出し、私は身震いをした。
 もちろん、ユカリもまた、誕生日会の件については学校では口をつぐんでいる。招待もしていないクラスメートたちに、そんな話をするのは、愚の骨頂と分かっているからだ。
 言うなれば、これは、私とユカリ、2人だけの秘密なのだ。先週の土曜日の夜に、彼女から電話をもらって、1週間。私たち2人は、この秘密をじっと守り続け、共有し続けている。そのことが、この私を、何とも言えぬ、甘くていい気持ちにしてくれていた。
 そして、教室の中ではなく、周囲にクラスメートのいない廊下でふとユカリとすれ違ったりする際、彼女が私に軽く目くばせなどをするものだから、私の胸はいやがうえにも高鳴っていくのだ。
 あと、2日だ! いよいよ、あさってだ!
 
「できたぞーっ、太次郎!」
 10月16日。いよいよ、その日。
 朝食を済ませた後も、仕事部屋に入り、洋服の最後の仕上げをしていた父が、大きな声で私を呼んだ。
 喜び勇んで仕事部屋へ行くと、そこには、この1週間、父が夜間労働の末に完成させた労作が3つのハンガーに掛けられていた。
 1つ目のハンガーには、紺色のブレザー。金色のボタンがピカピカと輝き、それは両の袖口にも3つずつ付いていた。近寄って、触ってみると、ウールの柔らかな温もりが心地よかった。
 2つ目のハンガーには、グレーのズボン。やはりウール製で、両裾はダブルの仕上げ。ピシッとアイロンが掛けられ、履くのがもったいないような気がした。
 3つ目のハンガーには、細い縦縞の入った白い厚手の綿シャツ。両襟はボタンダウンの体裁で、やはりシワひとつなくアイロンが掛けられていた。
 それらのファッションアイテムに、私がうっとり見とれていると、
「どうじゃあ、オシャレじゃろう。トラディッショナルちゅうやつじゃあ」
 と、自慢そうに、父。
「とら、でぃっしょ、なる……」
 聞いたこともない用語を私が繰り返すと、
「それだけじゃあ無えぞ」
 そう言いながら父は、壁に立てかけたタンスの扉を開けると、その中からさらに2つのアイテムを取り出して私に見せた。
 ブレザーもズボンもシャツも、色合いとしてはオーソドックスなものだったが、新たに出現した2品は、私の目を驚かせた。
 それは、ネクタイと靴下で、どちらも無地ではあるが、なんとお揃いのオレンジ色をしていたのだ。
「どうじゃあ。津久見名産の、みかんの色じゃあ。津高のストッキングと、同じ色じゃあ」
 私は、幸せの絶頂にいた。仕立ての立派なブレザーやズボンやシャツは、父の腕前による成果物として当然のハイレベルを誇っていたが、まさか、大好きな津久見高校野球部のシンボルカラーをした逸品が飛び出してくるとは夢想だにしていなかったからだ。
 オレンジネクタイ! オレンジソックス! 風呂場で津高の校歌をがなっていたとき、すでに父の脳中には、この鮮烈な発想があったのだろうか。
「とうちゃん! ありがとーっ!」
 思わず抱きついた私の背中を、ポンポンと叩きながら、父は嬉しそうに笑った。
「あっはっはーっ、太次郎。これだけじゃあ、無えぞ。まだまだ、あるんぞ」
 そう言って、タンスの中から、父が最後に取り出したモノ。
 それは、これまでに披露してもらった格調高く鮮やかな品々とは、まるっきり一線を画していた。15センチほどの、ひょうたん形をした、縫いぐるみ。ネクタイや靴下と同じオレンジ色で、顔と思しき上部の球形には、ボタンの両目やファスナーの口が縫い付けられている。胴体に見立てた下部の膨らみには、布切れで上着とスカートの飾り付け。
 両手と両足は無く、まるでオレンジ色をしたダルマさんだが、頭のてっぺんと目の上に付けられた、毛糸の髪の毛と眉毛は緑色で、この縫いぐるみ人形のデザインが何をモチーフにしているのか、すぐに分かった。そう、みかん、なのだ。
「つく美ちゃん、じゃあ」
 父が、得意げに言った。
「俺が考案した、津久見のマスコットキャラクター、つく美ちゃんじゃあ。可愛いじゃろう。おまえも、東京から来たお嬢さんの誕生日会に呼ばれて行くんじゃ。まさか手ぶらで行くわけにはいかん。誕生日のプレゼントが必要じゃあ。こげなハイカラで可愛い人形を持っていって、その子にあげてみよ。大喜びすること、間違い無しじゃあ」
 洋服作りの腕は抜群でも、キャラクターデザインの才能が父には欠落していることを、このとき私は知った。父の自信作「つく美ちゃん」は、ちっともハイカラではなく、どこから見ても可愛くなんかなかった。
 
 できたてのシャツに袖を通し、アイロンの効いたズボンを履いてベルトを締める。オレンジソックスは両足にフィットし、父に結んでもらったオレンジネクタイも、ピカピカの紺色ブレザーと鮮やかなコントラストを見せた。
「おう! 頭のてっぺんからつま先まで、いい男じゃあ! 日本一の洋服が、よう似合うちょるぞ!」
 姿見に全身を映す私は、父の誉め言葉が照れ臭かった。頭のてっぺんからいい男と言われても、丸刈りの髪形は、日本一の洋服に比べるとかなり貧相に見えた。
「ほら、太次郎。これも履いてみよ」
 昨日買ってきてくれた黒い紐靴(ビニール製だけど)を、母が差し出した。新品の靴に両足を入れ、座りながら紐を結わえてまた立ち上がると、全身の服装がいちだんと引き締まった感じになった。ズボンの両膝の辺りをひょいとつまんで持ち上げると、オレンジ色のソックスが覗き、黒い靴との組み合わせが、津高の選手みたいで格好よかった。
「ありゃまあ、にいちゃん。いい男になって、どこ行くん?」
 上の妹の智子が、からかうように言ったので、彼女の頭をポカリとやると、
「いてえ。照れてから、もう」
 智子は、ふて腐れた顔をした。
「にいちゃん、にいちゃん、どげえしたん、この服?」
 下の妹の郁子が、饅頭を食べたばかりの汚れた手でブレザーに触ろうとしたので、彼女の体をグイッと押しやると、畳の上に倒れ、
「にいちゃんが、こかしたーっ! にいちゃんが、こかしたーっ!」
 郁子は、大声で泣き出した。
 その声に反応するように、家の裏手でウォンウォンと、ジョンが吠えた。
 ふと、茶の間の掛け時計を見ると、すでに11時半を回っている。ユカリの家までは、歩いて20分くらいだ。そろそろ出かけなくては。
 玄関で見送る父が言った。
「分かっちょるか、太次郎。ナイフは右手、フォークは左手ぞ。ボールを持つ手に、ナイフ。グローブをはめる手に、フォーク。そう覚えちょけ」
 右利きの私には、分かりやすいアドバイスだった。
「ナイフとフォークがいっぱい並んじょったら、外側の方から順番に使うていくんぞ」
 外側から、外側から。私は頭に刻みつけた。
「もしも水の入った小せえ鉢が出てきても、そいつはフィンガーボウルちゅうて、汚れた指先を洗うためのものじゃあけん、絶対に飲んじゃあいけん。死ぬほど恥をかく」
 小鉢に入った水は飲むべからず。これも、同様に刻みつけた。
「よっしゃ、行ってこい。思いっきり、楽しんでこい。東京のお嬢さんに、気に入られてこい」
 父の最後の言葉に頷き、
「行ってきまーす」
 と、私はドアを開け、家を出た。
 母が小箱に入れ、オレンジ色のリボンを掛けてくれた「つく美ちゃん」を携えて。
 
 
 
(※注)採用された歌詞は、福岡県田川市に在住の男性から届けられたものだった。同じ九州のよしみとは言え、本当にありがたいことだ。


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