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小説「サムエルソンと居酒屋で」第14話

 一週間を秋田で過ごしたのち、帰りのブルートレインに乗った英也は、八月四日の午前六時過ぎに上野駅に到着した。駅の食堂で朝食をとり、地下鉄に乗って下宿に戻り、玄関のドアを開けると、二階から駆け下りてきたのは大家だった。
「瀬川さん、どこへ行ってたの!」
 叱責するようなその口調に
「ちょっと東北のほうへ旅行に。なにかあったんですか?」
 と問うと
「大変だよ! 一週間前にお兄さんから電話があって、ご両親が亡くなったって!」
「え……?」
「交通事故死だって。それから毎日、なんどもお兄さんから電話があったけど、あんたはずっと留守のままだ。今すぐ実家に電話して!」
 突然のことに呆然としながらも、英也は二階に上がり、ありったけの十円玉を電話機に入れてダイヤルを回すと
「はい瀬川です……」
という疲れた様子の兄の声が聞こえてきた。
「もしもし、僕だけど。今、下宿」
「おまえ、なにしちょったんか。今すぐ帰ってこい。交通費はあるんか」
 そう言われて、実花子の父親に余分な旅費をもらったことを英也は思いだした。
「ある。これから帰る。飛行機で帰る」
 早口で応じると、電話を切り、バッグを持ったまま彼は羽田へ向かった。

 実家に着いたのは、午後一時過ぎだった。玄関のベルを鳴らすと、兄の良之が出てきてドアを開けた。その憔悴した顔を見て
「ごめんな。なんも知らんで旅行中じゃったんじゃ」
 と英也が謝り、家に上がると、良之は無言で居間のほうへ彼を導いた。そこには色々な花を敷き詰めたテーブルの上に、遺影と骨箱、それに白木の位牌が二つずつ並んで置かれていた。線香立てには、燃え尽きそうなのが一本。そこへ正座をし、新しい線香に火をつけて差し、瞑目して英也は両手を合わせた。それが済んで良之のほうへ向き直ると
「通夜、葬儀、告別式とかは、近親者だけで済ませた。夕泉寺の住職に頼んでな」
 との話だ。さらに
「用事で伯父さんの家に行こうと、お袋を乗せて親父が車を運転中、二一七号の峠道から誤ってガードレールを突き破り三十メートル下の海岸に転落した。あそこのカーブはきついけんのう。警察の検死が終わったあと、遺体安置所へ出向き、二人の亡骸と対面した。俺と伯父さんと伯母さんでな。遺体の損傷が激しすぎて、俺は思わず吐いてしもうた」
 と良之は言った。それを聞き、突き上げるような悲しみに襲われた英也は
「そ、そげんことじゃったんか……。まだ四十八と四十五じゃったにい……。親の死に目に会えんどころか葬式にも出られんで、俺はなんちゅう親不孝者じゃろう。しかも両親をいっぺんに亡くしちもうて……」
 と嘆き、涙を流し続けた。
「これから墓を建てるとか、この家をどうするとか、残された預貯金をどう分けるとか、それを二人で決めていかんとのう。法定相続人は、俺とおまえしかおらんのじゃし。俺も大学四年生。秋からは就職活動も始めんといけん。おまえ、夏休みはいつまでか?」
「九月十六日まで」
「それまで、ここにおられるか?」
「うん」
「そうか。それなら、おいおい決めていこう、今後のことを」
 良之がそう言ったとき、電話が鳴った。それを取ると
「はい、瀬川です。ちょっとお待ちください」
 と返事をしたのち
「英也、電話じゃ。山内さんちゅう女の人から」
 と告げた。電話を代わると、実花子の声が聞こえてきた。
「もしもし、私です。このたびはご愁傷様です。あのね、無事に東京に着いたかどうか知りたくて、今朝あなたの下宿に電話をしたの。そしたら大家さんが、瀬川さんはご両親が亡くなったので大分に帰りましたって言うから、いつ亡くなったんですかって訊いたら、一週間前ってことだったので、びっくりしちゃって。それで大家さんにそちらの電話番号を教えてもらって、いまかけたところなの。瀬川さん、ごめんなさい。私が秋田に来てって言わなければ、ご両親にも会えたし、もしかしたらこんなことにならなかったかもしれない。ほんとうにほんとうにごめんなさい……」
 その涙声に
「いや、べつに君のせいじゃないよ。運命なのかもしれないし。気にしないで」
 英也が慰めると
「ううん、私の責任は大きいと思うの。それでね、これから大分に行くことにしました」
「えっ」
「瀬川さん、お兄さんと二人きりなんでしょう? こういうときには、女手が必要。私にできるお手伝いを、夏休みの間中やるつもりよ。父も母も、ぜひ行ってあげなさいって、賛成してくれたわ」
「そ、そんな。気持ちだけで充分だよ」
「いいえ。心から愛する人が困っているときに、なにもしないでいられますか。それとね、留美さんもいっしょに行きます」
「る、留美も?」
「そう。大家さんに続いて、留美さんにも電話をしたの。そしたら彼女、泣きだしちゃって。自分が冗談めかして『父が危篤に』だの『母が危篤に』だのと口にしてたら、それが現実になっちゃった。私はまるで邪悪な予言者だって。せめてもの償いにお線香をあげ、仏様の前で手を合わせたいって」
「留美は全国学生麻雀大王戦の最中じゃなかったっけ?」
「そうなの。こないだの関東地区予選を見事に勝ち抜いて、明後日の全国大会に出場することが決定。だから彼女は明日には東京に戻るけど」
「ええっ。君たち、いつここへ来るつもり?」
「今日」
「今日?」
「私がさっき秋田空港から羽田空港に着いて、今あなたと電話をしながら留美さんと待ち合わせ中。合流したら、二人で大分空港行きの飛行機に乗ります。着いたらホーバークラフトかバスに乗って、大分駅へ。そこから日豊本線の列車に乗って、なんていう駅で降りたらいいの?」
 英也が駅名を告げると
「そこからタクシーに乗るけど、行先はなんて言えばいい?」
「東南中学校の近くの瀬川さんち。そう言えば着くよ」
「分かりました。あっ、いま留美さんの姿が。じゃあねー」


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