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小説「サムエルソンと居酒屋で」第6話

 翌週、火曜日の午後三時。学生ラウンジの隅のボックスに、毛利と石原が座っていた。数分後、英也が入室すると、二人は手招きして彼を呼びよせた。
「話があるって、なに?」
 席に着いた英也の問いに
「これから述べることは、ひじょうに重大なことなんだ。誰にも口外しないって約束をしてほしい」 
 と、毛利。
「重大なこと? なんだよ、それ?」
 英也がさらに訊くと
「僕らの人生を左右するかもしれへんくらい大事なことなんや。せやから絶対に他言せえへんて約束してくれ」
 こんどは石原が真顔で答えたので
「分かった。約束する」
 英也はそう返事をするしかなかった。
 そこで毛利が口を開いた。
「よし。では話そう。実はな、合コンをやることになったんだ」
「合コン?」
「そう、合コンだ。うちのクラスに安元ってやつがいるだろ」
「ああ、金沢出身の」
「あいつの従姉妹が、某女子大の学生でな。俺たちと同じ二年生だ。で、これもなにかの縁ってことで、お互いの学友たちを集めて、素晴らしき出会いの場を設けようってことになったわけだ」
「某女子大って?」
 英也の問いに
「聞いて驚くなよ。カトリック系の名門、泉心女子大学」
 得意そうに毛利が答えた。
 さらに石原が
「それも一人や二人やない。合コンにおいでになるのは、七人もの才媛たちや。せやからこちらも七人態勢で臨むことになってやな、すでに六人が決まってる。幹事の安元を筆頭に、毛利、僕、池田、大富、渡辺や。さあさあ、残りは一枠やで。瀬川くん、どないする?」
「乗った!」
 英也は勢いよく右手を上げて言った。
「よし、これで大隈大側のメンバーも決まりだな。瀬川の参加については俺から安元に連絡しておくよ。合コンの日時は六月十六日の金曜日午後六時から。会場は渋谷のスカイコンパ・ファンタジア。会費は男子が四千円、女子が三千円。いいか、くれぐれも内密にな」
 英也の顔を見つめながら、毛利が念を押した。

 三日後の金曜日、午後八時前。居酒屋ほそぼそのカウンター席で、留美が言った。
「はい、本日の授業、終了。二人ともよく勉強しているわね、第七章まで」
 それを聞き、緊張がほぐれ、笑顔になって実花子が言葉を返した。
「どうもありがとうございました。こうして経済学の勉強に打ちこめるのも、留美さんのおかげです。来週もよろしくお願いいたします」
 その来週、自分はここにはおらず渋谷で合コンに参加しているのだけど、と思いながら英也が話題を変えた。
「今夜はあのワダ・トシハルが現れなくてホッとしたよ。『生まれながらの予言者』について、父君はなにかご存じだった?」
 ウイスキーの残りを飲みほしたあと、留美が答えた。
「それがね、そのような人物には心当たりがないって言うの。もちろん『特別科学組』のことは知ってたわ。だけど、そこから渡米して経済学者になった日本人がいたなんて初耳だって。あ、実花子ちゃん、そろそろ時間だよね。それでは帰るとしましょうか」

 阿佐ヶ谷駅の南口から寮までの夜道を、英也と実花子は歩いていた。来週の金曜日は、この役目を留美に任せるほかはない。そう思うと英也は後ろめたくなり、その気持を振り切ろうと、大きな声で実花子に話しかけた。
「あと一か月ちょっとで夏休みだね、前期試験が終わるとさ。実花子ちゃんは夏休み、どう過ごすの?」
「私は帰省します。両親との約束だし、妹たちにも会いたいし。それに高校時代の友だちとも久しぶりに話がしたいなあ」
「妹さんたちがいるの。何人姉妹?」
「四人姉妹です。私が長女で、二番目が高二、三番目が中三、四番目が中一……」
「親御さんはよっぽど男の子が欲しかったと見えるね」
「そうなんです……。父が経営している木材会社を継がせるために……」
 実花子の口調がすこし重くなったのを感じ、この話題はどうやら危険水域のようだなと思った英也は、話の向きを変えた。
「故郷へは列車で? それとも飛行機?」
「ブルートレインです、『あけぼの』って名前の。夜の九時過ぎに上野駅を出ると、朝の八時前には着いちゃうから便利なんです」
「へえー、十一時間で。秋田って思っていたより近いんだね。ちなみに僕は九州の大分なんだけど、『富士』っていうブルートレインで帰省しようとすると、東京駅を午後六時に出発して、到着するのは翌日の十二時頃。なんと十八時間も車中の人!」
「あっはははー、九州って遠いんですね」
 実花子が笑顔になったので、英也はホッとしながら話し続けた。
「そんなら飛行機にしようかいなと、下宿から羽田空港まで途中モノレールに乗り換えて一時間ちょっと。搭乗・出発し、大分空港まで約一時間四十分のフライト。ま、一時間半としましょうか。さてさて着いたはいいが、その空港があるのは県北の半島の海っぺり。おいおい、俺が行きたいのは県南の故郷なんだぞ、どうしてくれる」
「あっはははー、おもしろーい」
「それならこれに乗って海を渡ってくださいと、案内された乗り物はホーバークラフト」
「ホーバークラフト?」
「水面や地面に空気を高圧で噴出し、浮いてプロペラで進む乗り物なんだけど、天気が悪くて海が時化るとすぐに欠航になっちゃうんだ。その場合はバスで大分駅へ向かうことになるんだけど、この所要時間が約一時間半。やっと大分駅に着いて列車に乗り換え、一時間。はい、ようやく最寄りの駅に着きました。さてさて、下宿を出てから実家に着くまでに要したのは、一時間+一時間半+一時間半+一時間=五時間。ウソのようだがホントの話、飛行機を利用しても帰省に五時間かかるとは、なんたる秘境、大分県南部!」
「あのう、瀬川さん……」
「はい?」
「いま話したこと、ぜんぶ冗談でしょ」
「いいえ、すべて事実ですよ。正真正銘の」
「だったら、おもしろいのを通り越して笑えません。大分県南部の人たちがお気の毒で。ぷっ。あっはははー」
「笑ってるじゃん」
「だって、おもしろいんだもの。私、おもしろい人、大好き」
「先月開港した成田から、グアムへだって四時間半。つまり外国より遠い大分県南部!」
「あっはははー、あっはははー、あっはははー。もう、笑いすぎて、ヘンになりそう」
「でもね、ブルートレインや飛行機のほかに、帰省する方法がもうひとつあるんだ」
「新幹線?」
「そう。東京駅から博多行きに乗る。途中、小倉駅で在来線の特急に乗り換える。これなら八時間ほどで実家に帰れる。費用の面でも、これが一番いいみたい」
「瀬川さんは、こんどの夏休み、帰省されるんですか?」
「実はまだ予定がないの。去年は夏に帰って、運転免許を取ったりしたけど。今年の夏はこれといった用事もないし……。あっ、そろそろ寮の明かりが見えてきたね」
「最後に、ひとつだけ質問していいですか?」
「なあに?」
「瀬川さんは、長男ですか、それとも次男ですか?」
「次男です。長男は僕とは正反対の真面目な人間です」
「もうひとつだけ質問してもいいですか?」
「いいよ」
「瀬川さん、血液型は何型ですか?」
「Bだけど」
「やったー」
「どうして?」
「私、O型なんです。誕生日は七月二十八日の獅子座。瀬川さんは五月二十五日生まれだから双子座ですよね。B型とO型、双子座と獅子座。どちらの相性も抜群なんですよ」
 ああ、この娘はどうやら自分を気に入ってくれているらしい。それを来週、裏切ることになるなんて……。そう思うと、英也の胸は痛んだ。
「では、この辺で。送っていただいて、どうもありがとうございました!」
 そう言うと、実花子は寮に向かって駆けていった。


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