将棋小説「三と三」・第27話
阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。
ところが守備隊と言っても、島を守るすべを幸三たちの隊は持たなかった。敵は海から上陸してくるのではなく、空から襲いかかってきたのだ。
轟音とともに編隊を組んで飛来し、次々と爆弾を落としていく。唯一の武器の高射砲を撃って抵抗をしてみても、一発も命中せず、たちまち爆破されてしまった。もはや隊員たちにできるのは、壕にもぐり、物陰にひそみ、敵が去っていくのを待つことだけだ。
爆撃されたのは、飛行場の滑走路だった。かつては日本軍の戦闘機を、そこに見ることもあったそうだが、敗色の濃い今となっては一機の姿もない。それなのに敵機は二百キロ爆弾を落としていく。その爆弾一個につき、直径約三十メートル、深さ七、八メートルの穴ができる。
それらの穴を、夜になってから、数百名の手作業で埋めていき、修復するのが幸三たちの任務だった。作業が終わっても、翌日にはまた敵機がやってきて爆撃を行ない、穴だらけにする。それらを、夜になって、また埋める。なおも翌日、穴だらけになる。さらに、それらを埋めていく。まさにイタチごっこだが、上からの命令なので従うほかはない。
辛いのは作業だけでなく、食物の乏しいことだった。昭和十九年も二月になると、近隣のトラック島が敵軍の猛攻撃を受け、日本軍の基地としての機能を完全に失った。
そのためポナペ島守備隊は孤立し、物資の補給を絶たれてしまったのだ。本国からの輸送船を毎日のように待ち望んだが、食糧や武器、弾薬、医薬品などを積んだ船たちは、サンゴ礁の沖合で敵潜水艦に次々と沈められていった。
こうなったらもう、採って食べるしかない。木の根、草の実、魚や貝類、トカゲやウナギなどを手当りしだいに食らった。なかでもウナギは図体が二メートルほどもあり、兵たちの空腹を満たすのに好都合だったが、ただ大きいばかりで水っぽく、味がしない。そこで、ヤシ油を塗って焼き、塩をつけて食べた。日本のウナギは油を抜いて焼くのに、ポナペ島では逆に油を塗るのだ。
部隊の宿舎は、カトリックの教会。信教のためか、アメリカ軍には狙われなかった。就寝時には、オルゴールを取り出し、カチューシャの唄の旋律を聴きながら、幸三は眠りに落ちた。
歩哨に立つ夜はサソリや巨大なアリに驚かされもしたが、星空は美しく、満月になると、その輝きに幸三の心は揺さぶられた。内地も空襲に見舞われていると聞いたが、元気でいるだろうか、母は、兄弟は、さんきい先生は、谷ヶ崎社長は、若子は……。懐かしい人たちの顔が、真ん丸い月に、浮かんでは消える。
最後に浮かんだのは、木村名人の顔だった。金縁眼鏡の奥から、幸三を見上げる、尊大で高慢で冷酷な目。「若子なら嫁に行ったよ。残念だったねー」のせりふまで耳に聞こえてくる。
今もなお名人の座に君臨しているのだろうな、木村の奴は。天下無敵だと言って、偉そうにしていることだろう。
そう思うと、悔しさがこみ上げてきた。負けた将棋の、例の局面が、見上げる夜空に再現され、幸三の頬を涙が伝い落ちた。
ああ、もう一度、木村と勝負がしたい。もしもあの月が連絡してくれるなら、通信将棋で戦ってみたい。叶わぬ願いだが……。
島での生活が長くなり、気持ちにゆとりができるのにつれて、もしかすると自分は生きて日本に帰れるのではないかという思いに、だんだんと幸三はつつまれていった。
それならば、さんきい先生の教えの通りに、頭の中の将棋盤を取り出し、駒を動かして、将棋の勉強に励まねばならない。死を覚悟した身から、生を切望する身に変わったそのとき、幸三の心の中を「打倒木村」の四文字が占めるようになったのだ。
香落ちで勝った将棋、平手で敗れた将棋。木村と指したその二局を、頭の中で徹底的に分析し、研究した。
そして得た結論は、木村将棋は恐るるに足らず、大した将棋にあらず、というものだった。
名人だから、もちろん強い。けれども、自分の将棋が引けを取るとは思えない。それどころか、どうやっても負ける気がしない。こんど戦ったら、必ず勝ってみせる。
そのためには、まず自分がこの戦争を生き抜くことだ。日本軍にもはや勝ち目はない。それならば、たとえ捕虜になっても、生きて故国の土を踏むことだ。
それに加えて、木村が戦火の犠牲にならないことが必要だ。ここポナペ島でさえアメリカ軍の爆撃は激しいのだから、まして本土の首都・東京を空襲するとなったら、その破壊力は想像できないほど凄まじいものに違いない。
木村よ、生きていてくれ。
負傷もせず、無事でいてくれ。
この自分が帰国するまで、全盛期の強さを保っていてくれ。
そして、また盤を挟んで、真剣勝負をしてくれ。
心の中で、繰り返し繰り返し、幸三はそう祈った。