【場数】信じて待つという事は難しい ~本番と練習の違いについて~

すぐに返答を求める気持ちも分かる。時間は有限だし、そんな全員が全員余裕がある訳ではない事は事実。だから信じて待つという事は本当に難しいのだと、最近は思うようになった。


焦っているのは何方なのか、冷静じゃないのは何方なのか。

人間は思い込みと早とちりで失敗をしやすい。
例えば少しでも返信が遅れれば、関係性が悪くなったと勘違いしてしまう。
たまたま、多忙な時期だったら説明する暇もない。これは僕もやってしまった事でもあるし、相手にも同じような判断を下してしまったからそう思っている。両者の経験をしたからこそ、文章にまとめたいと思う。

予想外のトラブルが起きたら、人は冷静さを欠く。これはその人の経験値の差が出るだろう。それも同様に焦りは視野の狭さが露呈する。もともと広く見ていた人でも絶望の淵に立たされることになる。

馬鹿正直に待ち続けて裏切られたらどうなるのだろうか。

以前会った人で信じて裏切られたことをずっと言い続けていた人がいた。
僕より先に生まれていて、それでも深く傷ついているのは明確だった。
信じる相手を間違えたのか、それとも良好な関係性を築けなかったのか。
そもそも、両者が信用していないという事にもあるとは思う。傷付くのが怖いからこそ本質を聞けない。そして後戻りができない時になって結果として裏切られたような気持ちになるのではないのかと思う。
簡単に言えばコミュニケーション不足が招いたお互いの事故みたいなもん。

結婚という契約について

やはり、20代前半になるとこういう話はしょっちゅう出てくる。
それぞれの意見が飛び交い自分を見失いそうにはなる、最近はないけれど。
これも結局はコミュニケーションの有無なんだろうなって思えてきた。
結婚はしたいけど、子供は今はいらない。結婚したいけれど子供は今すぐに欲しい。これはお互い譲れない部分であり、責任が伴う事。
そう簡単に決断を決めることは平常に決める事は難しい。自分達だけでも精一杯な人達が何とかやれるかやれないかというのは、早計かもしれないが結果はあまり良くはならないだろう。

人は結局、傷付くのが怖い生き物。

本音を言ったらどうなるだろうとか、この行動をしたらどうなるとか、
相手も同じ人間だからこそ少しずつにしか距離を近づける事しかできない。
まぁ~、距離感がバグっている人もいますが!ある意味バグっている方が幸せなのかもしれない。

練習と本番の違いは何なのか。~結局は場数だよね。~

練習と本番の違いは何なのか。練習はいくらでもミスをしていいし、途中で投げ出してもいい。ただ、本番はマズい。だから本調子が出なくなる。
いつも練習したことができなくなれば、完全にアドリブになる。
完全にその人の馬力で戦う事になる。戦っている事にはなると思う。
だから、予想外の事が起きた時の練習というのは生きている間ずっと必要なのだと思う。

100回練習本番1回より100回本番という練習をしたら無敵になれる。

100回練習をして1回の本番を行うより、実践を100回行った方が良いという事。本番の魔物は存在する。疲れのせいでミスが連発するかもしれないし、凡ミスも多発するかもしれない。実践を沢山積んでいれば、それ前提にも動くことができる。失言も同様だよ。

リカバリーの練習も必要という事になるのだ。

人は失敗からしか学べない。成長する気がないならそのままでもいいが、冷静さを欠くというのは本当に怖い事だと、自分は思っている。

本番という思い込み

そもそも論、練習と本番の違いはなんだ?
気軽にできることなのか、一度きりしか挑戦権がないのか。
じゃあ常に本番でもいいじゃないのかという話でもある、その生き方は猛烈に疲れるかもしれないけれど、未来に不安を持つよりいい生き方ではあると思う。んな誰も未来の事はわかんねえよ。

本番の練習を取り入れることが大人になっても必要なのだと思う。


アドリブでやれる自信があるならこの話は必要ないと思うが、何でも初見で出来る人は本当にいるのか、今一度考え直してもいいのかもしれないと自分の中でもそう思えている。慢心ダメ、ゼッタイ。


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