僕は貴方の時間を頂いている。【子供心のアンテナ】
人間関係で思う事で、やはりこの考え方が一番しっくり来ている。
僕は貴方の時間を頂いている。
八方美人になって、全員と仲良くしてみるとどうなるだろうか。
自分の時間はみるみるなくなっていき、自分の人生ではなくなる。
それこそ「他人の人生」を生きる事だと自分は思っている。
本人がそれで満足していたり、やりがいを感じているのなら話は別。
ただ、他人は責任は取らないという事なのだ。
その人の人生が例えめちゃくちゃになったとしても、誰も責任は取ってくれないし、助けてはくれない。
残酷なんかじゃない。余裕がある人間の方が少ないのだ。
しっかりとした態度の人と付き合う必要があるのだ。
どのくらいこの人に時間を掛けたいか、そういう話になる。
類は友を呼ぶ
同じグループには同じような人間が集まるのだ。
いい意味でもあるし、悪い意味でもある。
自分がnoteを始めた理由も、そこのコミュニティでは文才の卵が多いように感じ、自分もやってみたいと思ったからだ。
noteをしっかりやっている人、Instagramをそれなりに運用している人。
やはり、それだけでも同じような人間が集まるものだ。
ちゃらんぽらんな人の周りには、やはり同じような人が集まる。
自分はどこに属していたいか、それが大事なのだと思う。
だから僕は常に環境を変える
自分は何方かというと刺激が欲しくて生きている感じはある。
こんなものが家にあったら楽しいなとか、これがあったら便利だろうという
「子供心のアンテナ」で生きている気がする。
人間関係の断捨離をしたら確かに環境はそれはそれで変わるが、それは後ろ向きであり、ただ失うだけで終わることもある。
環境は別に外だけではなく、内から変えることができるのだ。
マイナスな選択肢を自ら選ばなくてもいいのである。
内側から殻を破るイメージ
自分は模様替えが好きだ、これを捨てたらもっとスペースが得られるなとか、これを捨てたら生活できなくなるなとか様々な事を考えることが好きだ。
長年使っていた電子レンジが壊れてから気付く。保存食品が解凍できなくなるので食べ物がなくなるということ。
壊れてから気付くこともあるんだなって。失ってから気付く大切さというのもある。
断捨離と内側から殻を破るのは類似しているのだと勝手に自分はそう思っている。殻を破ることについてと断捨離の記事を書きたいな。。。
時間を頂いている認識として、今回はスマートに終えてみるとする。
正直、何もオチが思い浮かばなかった。そう言う時もある。
物は言いよう?