母校 一関一の特別な一勝 盛岡大付を破る
夏の高校野球が開幕。早速、心躍るような一方が届く。
私の母校一関第一高校が、盛岡大附属高を破った
この相手は我々一関一にとって、特別な相手だ。
卒業してから早くも15年が経つが、私たちが在籍したころとは明らかに違う校風になっている。我々の在籍時は、普通科と理数科があり、理数科が競争率が低かったため、野球を高校生活の中心に考えている生徒がこぞって理数科に入部し、チームの力になっていた。しかし、2009年に一関第一附属中が併設された後、8強に残ることも稀になった。
その一方で、進学校として進化。我々の代でも東京大を目指している生徒はいたが、合格に至らず。それが今では現役で東大・京大に合わせて7人を送り込む高校になっている。
いかに文武両道といっても、時間は有限であり、何事もトレードオフ。
2004年、21世紀枠で春の選抜に出場して以降、その距離はなかなか埋まらなかった。その2004年からの夏の成績を見ていくと
センバツに出場した2004年から3年連続で盛岡大附属に敗れている。
2004年にセンバツに出場してから、チームとしても注目されるようになり、近隣の市町村から優秀な選手が集まるようになった。本来なら私立高校に進学するような生徒も。その面々が阿部寿樹であり、新沼悠太だ。(現:大船渡高校監督)
我々に憧れを抱かせてくれた先輩方。木村正太さん(元巨人)をはじめとする先輩方が盛岡大附属の前に散った。相手チームとして、彼らのメガホンを使った力強い応援は今でも思い出せるほどだ。
その盛岡大附属を破った一関一高の後輩たち。ベストを出し切ってくれました。盛岡大附属のメンバーの皆様にとっても、これからの人生に活きる敗戦になることを願ってやみません。