親ガチャに当たった人生は幸福なのか?生まれの苦難による不平等!
人間は、生まれる前に自分の人生を選んで生まれてくると言われます。
スピリチュアルの魂の教えでは、苦難の多い人生で魂の成長をするために、生まれてくるらしいです。
しかし、人間は、成長していくうちにこの初心を忘れてしまい、理不尽な人生だと自暴自棄になります。
その最もひどい形が、自殺で終了させるパターンです。
こうなれば、人生の魂の修行を放棄したとされ、地獄に落ちるか、無の空間に魂がさまようことになります、
これが、私の考えうる人生の俗説です。
さて、こういった考え方もありますが、動物や植物の人生も含めて、生き物として生まれてくると、必ず苦難が立ちはだかります。
生き物は、基本的に、生きるために栄養をとらなければなりません。
そうしないと、飢えで苦しんで死んでしまいます。
これを、長年の文明化によって、克服したのが人類です。
先進国では、最低生活保障がされて、誰もが、食べ物に困らない時代が到来しました。
ところが、人口爆発が起きている中、食糧危機は、間近に迫っています。
また、地震・津波などの災害や、犯罪に巻き込まれるリスクがあります。
人間として生きている以上、リスクは完全に避けることができないのです。
そんな中、世間では、『親ガチャ』と呼ばれる考え方が広まっています。
ようするに、金持ちの家で、高い能力の容姿端麗な人間に生まれれば、親ガチャに当たった人生だということです。
ただ、私からすれば、生まれてきた時点でリスクはつきものですから、そのくらいの格差は、深刻に考えません。
最悪、のたれ死んだとしても、そういう人生だと思って、割り切るだけです。
お金持ちであっても、子供が甘やかされて育てられ、長期引きこもりになれば、目にも当てられません。
それでも、世間の人達は、その格差を埋めようと、必死に努力しているわけです。
多くの日本人にとって、清貧の考え方は、過去の遺物となってしまいました。
1945年の敗戦後、欧米型の資本主義に染まって、金や社会的地位こそが全てだと考える日本人が増えたのです。
確かに、敗戦で全てを失った日本人は、経済力しかすがるものがなかったのでしょう。
日露戦争後、大国に勝った日本人が調子にのったように、高度経済成長で自信をつけた日本人は、バブル崩壊と平成不況で、生き方を見失ってしまったようです。
親ガチャで運が良ければ、確かに、めぐまれた人生をおくることができます。
そういう意味で、人生は不平等でしょう。
障害者に生まれてきて、能力にめぐまれない人生は、悲惨そのものです。
しかも、その国が福祉を打ち切れば、死んでしまうぐらい深刻です。
そのため、親も、昔に比べて、頭ごなしに子供を作る人が減ってきています。
出生前診断で、生まれてくる前に中絶する人がいるくらいです。
ただ、勝ち目のない戦いはせずに、人生をどううまく作り変えるかは、本人次第です。