ボジョレー・ヌーボー
11月 第3木曜日。混沌と熱狂の日。
そう、ボジョレー・ヌーボー解禁日である。
毎年このくらいの時期から、しなりしなりと近づいてくる足音が聞こえる。
この日は恒例の現場に集合し、関係者10名あまりで卓を囲む。この会は新酒の解禁を祝うことが目的のため、ヌーボー以外の飲み物は基本的に飲まない。とりあえずビール!ではなく、しょっぱなからフルスロットルでヌーボーを水のようにかっ食らうのだ。
本来、今年の出来はどうだとか10年に1度の傑作だとか、色々とウンチクを語りながら上品に飲むのだがこの現場は違う。とにかくアクセル全開で純粋に体内を紫色に染めあげる。
おおよそ1人当たり2.3本はいく。水のように飲む。そして最後は店のヌーボーが無くなり、とうとうイベントとは関係のないバックインボックスのハウスワインまで飲み始める。
その頃には皆くちびるがフリーザみたいに染まっていて、話し方もとろんとしたいい状態に仕上がる。ふわふわと談笑し、しょうもない話で盛り上がる。そしてひとしきり話し終えた後、
めでたくお開きとなる。
物語はここからはじまる。
普段乗り慣れない中央線に乗り込んだ自分は運良く座れたことに安心し、油断した隙にうっかりまどろんでしまった。沈むように、溶けていくように。
そして揺られ。揺られ。揺られて。
…ハッ!!と目を覚ますと
大月という駅にいた。
へっ? 大月?
なにそれ?美味しいの?
思考がついていかない。
いやそもそも聞いたこともない地名だ。
「お客さん、終点ですので降りてください」とめんどくさそうに駅員に促され、恐る恐るホームに降り立った。するとヒンヤリとした、肌を刺すような鉄風が全身を駆け抜けていった。
ッさっむッ!!
まだ11月だというのに真冬並みの体感温度。
あなたを思い出す体感温度。
ねぇ、答えはないの? 誰かのせいにしたい。
ひとまず状況を整理しようと改札を出た。
するとすぐに、ここが東京ではないということが分かった。
ここは、
ものすごく静かでありえないほど遠い。
辺り一面が真っ暗闇で、ひと気も外灯もない。シーンとしていて恐ろしく寒い。遠くにコンビニの光だけがポツンと見えていた。
午前1時。
見た感じ周りに暖を取れそうな場所はない。
野宿は死を意味する。タクシーもいない。
完全に詰んでいる。
おそらく藤井聡太でもこの局面はひっくり返せないだろう。9回裏、二死満塁、大谷さんの劇的なホームランでも逆転できない、そんな絶望的な状況だった。
とにもかくにも寒すぎるので、ひとまずコンビニまで向かいホットコーヒーを買って辺りを捜索しようと詰人(つみんちゅ)は歩きだした。
コンビニまで着くと、コーヒーと現金を調達した。現金はいつもあらゆる不便を解決できるのになんて役に立たないのだろうと思った。
極寒の地で飲むコーヒーは凍るように冷えた身体にじわりと染みこむ。口先からそっと流し込むと舌を抜け、喉元を通り、胃の辺りまでゆっくりと落ちていくのが分かった。
はぁ~っと白いため息をつき天を仰ぐと、満天の星空が嫌味なくらいパノラマで広がっていた。
あぁ、旅行で来たかったなぁ。。
少し休憩した後、再び歩き出す。歩いて歩いて歩く。しかし物の見事に何もない。ひとっこひとり見掛けない。どうやらこの世は滅びてしまったらしい。そんな中とうとう疲弊してきて、あきらめかけたその時、国道に一台のトラックが止まっているのが見えた。
…ざわ…ざわ…。
桔梗色に染まりきった頭の中で考えた策は二つあった。一つは、田舎に泊まろう!ばりの突撃!隣の晩ごはん並みのお宅訪問。しかしこれはあまりにもハードルが高い。ハードルというよりも反立つ壁。テキ屋のくじ引きぐらい絶望的な確率。どう見ても不審者である。
二つ目は、進め!電波少年的ヒッチハイク。だが画用紙はないしチューヤンもいない。真っ暗な国道では親指はおろか姿さえ見えないだろう。なにせ本当に真っ暗なのだ。
そんな中突如現れた一台のトラック。足は引き寄せられるように向かっていた。
トラック…。長距離…。
い、いくしかねぇっ…。
少しずつ近づいてみると、路肩に止めていた大型トラックの横でコーヒーを飲み、煙草を咥えて休憩している屈強なドライバーが見えた。
その風貌を見た瞬間、やっぱやめときてぇ~…と思ったが、おそらくこの機を逃すと今夜は終わる。いや、今夜で終わる。人生が。
それは学生が使うワンチャンあるっしょ。のような生易しいものではなく、正真正銘のラストチャンスだった。
あの、すみません。
慎重に。丁寧に。私は変な人間ではないですよと言わんばかりに。
あ!?
こ、こぇ~!!
いきなり怖い!やっぱり怖い!まだ何も言ってないのに怖い!顔も怖い!
ツイッターで山本山本という人が見た目怖いのに実は優しい人、なんで見た目怖いんだよ。と言っていたのを思い出した。
でも、ひるむな。この交渉に全てが懸かっている。言葉の全体重を乗せ、その身を預けろ。
いきなりで恐縮ですが終電を逃してしまって。。と切り出すと
だから?みたいな顔でこちらを見ている。
お代は支払うので、もし同じ方向であれば乗せて行ってもらえませんか?
自分でも驚くくらい流暢にはっきりと言った。言えた。口を出た瞬間、それが自分の言葉か少し分からなかった。
返事を待つ間、約5秒。
いや3秒だったかもしれない。ドライバーは口から煙草を離しゆっくりと煙を吐き出すと、
八王子。とだけ言い放った。
…八王子。
…完璧だ。そこには横浜線がある。
なんというヒキの強さ。
桃鉄で言うとぶっとびカードで目的地の10マス内まで行くような感覚。その返答は乗せてくれるということを意味していた。
近くなのでお願いできますかと言うと、
いいよ、乗りな。とニキは低い声で言った。
車内では弁解がましい話をしばらく続けた。これがそのシミです!!とシャツについた赤ワインの返り血を指差すとニキは笑って
大変だねぇ、お兄ちゃんも。おれも嫁にボジョレーヌーボーでも買ってってやるかな。と言った。
惚れてまうやろ~!!とは思わなかったが、粋な人だなと思った。
世界は優しさで溢れている。
それにしても大型トラックは車高が高く、視界が開かれていて実に爽快だ。高速道路を爆走する何かのアトラクションに乗っているようだった。
約3時間にも及ぶドライブは長いようで短かかった。道中、最近娘から毛嫌いされてるんだよね、とかPerfumeっていいよね、とか言ってたけれどそんなことよりも、話し相手がいて眠くならなくていいと言ってくれたのを覚えている。
やはり粋な人だ。
なんで顔怖いんだよ。
八王子に到着し財布を取り出そうとすると
いいよとニキは制した。
そして、じゃあなと一言残し闇に消えていった。
…そんなことをこの季節になると思い出す。
夏が終わって鈴虫が鳴く頃、金木犀の甘い香りが秋の訪れを感じさせる。あの日味わった希望と絶望はこの先も忘れることはないだろう。
世界のどこかには同じ十字架を背負った詰人が、10年に1度の傑作だと酒の肴にされているかもしれない。そして本人もまんざらではないのかもしれない。
そんな想像をしながらガメイのように爽やかな気持ちであの日を懐っている。
fin.
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