『LIVE AID』開催から36年。あの日を今、改めて振り返る。そして・・・現在。
1985年7月13日(土曜日)
時刻は午後20時50分
僕はお茶の間に設置してあるTVの前で、心地良い高揚感と緊張感に包まれながら、ライブが始まるのを『今か今か』と待ち望んでいた。
未開封の生ビデオテープ(β)も数本準備済み。
TVを15時間独占使用する事も、しっかりと家族に告知済みだ。
後は睡魔に負けない様に、この記念すべきライブを見届けるだけ・・・
当時、高校生だった僕はエチオピアの惨状に胸を痛めながらも、世紀のチャリティー・コンサートに興奮を隠せないでいた。
物凄いメンバーによるライブ・イベントだ!
音楽好きなら胸躍らない訳は無い!
(勿論、少しでも役に立とうと、BAND AIDとUSA for AFRICAのシングル、そしてアルバムを購入。針を落とす度に冷酷な現実を痛感した。)
そして午後21時ジャスト。
某民放にて【THE 地球コンサート・LIVE AID】
はスタートした・・・
(〜LIVE AIDオープニング映像〜因みに日本は同時間帯に人気番組が放送されていた為、実際には遅れてのスタートとなったらしい・・・)
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1985年7月13日から36年後。
今年もあの記念すべき日がやってきた。
世界中の人々の心を繋いだ画期的なチャリティー・イベント『LIVE AID』が開催された日だ。
それまでにもウッドストックやバングラディシュコンサートなど、音楽を通じ、そのメッセージを広く伝える大規模なコンサートは開かれていたのだが、人工衛星を介し世界中で同時中継された大規模音楽チャリティー・イベントは、『LIVE AID』が人類初だったのではないだろうか。
(ボブ・ゲルドフ、ミッジ・ユーロの二人から生まれたアイディアが、約半年間で世界中の人々の心に残るイベント開催にまで発展し、以降の大規模チャリティーイベント開催に於ける基盤となった事は、これからも大いに讃えるべきだろう。)
それは間違いなく【音楽が生み出した奇蹟】
の瞬間だった。
僕はあの日、その光景を自宅のブラウン管の前で目の当たりにしたのだ。
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1984年12月
イギリスのバンド、ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフがエチオピアの惨状に対し、チャリティー活動を提唱しBAND AIDが誕生。
BAND AIDの動きに呼応する様に米国でも動きが。
1985年3月にアメリカでUSA for AFRICA(United Support of Artists for Africa)が誕生。
スター達が大勢参加するというセンセーショナルな話題性もあり、世界中がこの飢饉問題を更に認識する事となった。
そしてBAND AID結成から約半年・・・。
イギリスのBAND AIDとアメリカのUSA for AFRICAが中心となり、世紀のチャリティーイベントの開催が決定する。
『LIVE AID』だ。
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1985年7月14日(日曜日)
午前10時辺りだったろうか。
前日の夜9時からTVの前に座りっぱなしだった僕は、睡魔と困惑と意義の狭間の中、必死に戦い続けていた。
(TVの向こうではDURAN DURANの素晴らしいステージが繰り広げられている。アンディ・テイラーのハーモニー・ボーカルが素晴らしい。)
LIVE AID。間違いなく歴史に残るイベントだ。
アーティスト達もハードな環境の中、出来る限りベストを尽くしているのが本当に良く分かる。
しかし。しかしだ。
兎に角、色々言いたい事の有り過ぎる放送だ。
チャリティーイベントという性質上、仕方が無いのだが、ステージ上での混乱ぶりが、イギリスそしてアメリカより海を渡って、日本のお茶の間にも伝わって来てしまっている。
現地PAのバランスの悪さも仕方が無い。通常のコンサートならまだしも、リハーサルの無いイベントだ。会場はゴタゴタしまくりの地獄状態だろう。
しかしそれより何より問題は、日本独自の特番構成が本当に駄目な事。
ライブ生中継の良いところに突如CMが入り込むという、酷たらしい瞬間が幾度もあったり、番組司会が事前に何も調べておらず、登場するアーティストを全く知らなかったり、極め付けは生放送中の日本語同時通訳が本当に本当に酷かったのだ。
全くライブなど見た事も無い様な人(これは私の偏見ですね。御免なさい。)が、アーティストの言葉を脚色無しの直訳で伝えてくれるのだが・・
例えば『Hello!!Philadelphia!!』とアーティストが勢いよく叫んでも、それを
『こんにちは。フィラデルフィア。』と棒読みされてしまう・・・
これでは観ている方は白けるだけ!!!
しかも時間差直訳なので、肝心の曲と被ってしまったり・・・と散々だ。
と、ここまで罵詈雑言並べましたが、冷静に考えれば通訳された方々も本当に大変だったとは思います。(何せ放送台本の類いが無いという!)
『洋楽をよく知らない人達にも楽しんでもらえる』様、配慮し企画した事が、完全にマイナスになってしまったのですね・・・
致し方無しか。
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で。本題はコレ。1番の問題は日本のスタジオだ。
終盤の某アーティストによる
『ビートルズはどうした!?ビートルズは!?』
という発言が本当にイベントの主旨からズレた個人的なものであり、視聴者を置き去りにした残念なものであった事が、当時の僕には不快極まりなく本当に許せなかった。
(しかし。36年経った今、改めて考えてみれば、長時間拘束されての生放送は精神的なダメージを生むもので、溜まりに溜まった感情が爆発しても仕方無いよね・・)
そしてスタジオ内に漂う空気感が、同チャンネルで放送されていた『夜のヒットスタジオ』と同じだったのが、妙に心に引っかかっていた。
『結局、外タレって意識かよ。』
『アーティスト』ではなく『外人タレント』即ち『外タレ』のコンサートとして、日本側のスタッフが認識している様なスタジオ演出が多く、アーティストである佐野元春さんが嫌になって途中帰ってしまったのも本当に頷ける話だ。
これは民放だから駄目だったのだろうか?
やはり『国営放送』が手掛けるべきだったのでは?
イギリス・エンディング。
アメリカ・エンディング
『ドレミファドン!!』
世紀の一大イベントが幕を下ろした。
疲れた。歓喜と落胆のジェットコースターは本当にキツイ。
心底ガッカリした僕は翌日・・・7月15日、月曜日の朝まで、深い深い眠りについたのだった・・・
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2021年7月13日(火曜日)
人類を襲ったパンデミックの脅威により、それまでの生活は一変してしまった。
36年前、世界に対し声を上げていたアーティスト達は現在、活動の場を失ってしまっている。
あれ程までに貢献してくれたアーティスト達を守ってくれるのは一体誰なんだ?
僕に出来るのは配信チケットを購入したり、アルバムを購入したり、グッズを購入したりと本当に微々たるものだ。
LIVEに対し規制するばかりではなく、今こそ音楽を救うべきではないだろうか?
36年前、音楽が世界を救ってくれた様に・・・