怪異との幸せな出会い・名著『新耳袋』の事。
先日の事だ。
とある動画配信サイトで提供されている、『実話系怪談』を視聴してみた。
「流石プロの語り部!」
という、暖急の効いたトークに惹かれつつも、薄っすらと聴こえてくるBGM的効果音が本当に邪魔で(如何にも怖がって下さい!的な『あざとさが』が耳について、ハッキリ言って興醒めだ。)、集中力が途切れがちだったが、語り部の熱演というべき、目の動きと声量調整の見事さに引っ張られて、いよいよ話は怪異蠢く佳境へと突入した!!
・・・のだが。
話の冒頭で紹介された『怪異にあった話の主人公』の設定が、終盤になって突然変えられたのだ。
色で例えるなら・・・
『白』だったのが『実は黒でした。』みたいな・・・。
つまらない。
本当につまらない。
まるで後出しジャンケンだ。
我々怪異ファンは冒頭の話の設定紹介で『主人公像』を、頭に思い描きながら聞く訳で。
それを最後の最後に
『実は違うよーーーーーーーーん!』
なんてヤラレたら怖がるどころか腹立つわ。
確かに『どんでん返しの快楽』という娯楽的方法論もあるけれど、『実話怪談』と謳うのであれば、それはやっちゃダメでしょうよ。
もっともこれが発表されたのが90年代中盤だったら、問題は無かったのでしょうに・・・。
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『新耳袋』
木原浩勝氏と中山市朗氏の共著による、実話怪談の在り方を変えた、まさに名著である。
この『新耳袋』に出会ったのは雑誌『ダ・ヴィンチ』誌面であった。
(確かメディアファクトリーから刊行されるようになった『第二夜』辺りだったように思う。)
日曜日の昼間に放送されていた『怖い日曜日』との連動もあって、話題となっていた本ではあったが、雑誌ダ・ヴィンチに於ける『試し読み』的な話に目を通した私は、心底驚愕した。
『本当に怖いのだ。』
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それまでの実話怪談話と云えば、『主観が誰のものか分からない』ものであったり、『友達のまた友達の友達に聞いた話』や、逆に『お前その場で見てきたんかい?!』と突っ込みを入れたくなる程、精緻な描写だったりと『創作臭』プンプンの物が多く、『買う気にも読む気にもならない』ものばかりだったのだが・・・
まさに溜飲が下がるとはこの事。
淡々とした語り口。
原因や正体が分からないままに終わる話。
客観的視点で終わらせない潔さ。
そして何より『嘘の臭い』がしないのだ。
そう。
私が求めていた物こそが『新耳袋』だったのだ。
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やがて巻数を重ね、第十夜を刊行する頃には、『新耳袋』が実話系怪談の新たな基準となっていた。
それは語り部達にとって『怪異のハードル』が上がった事を意味する。
良書『新耳袋』によって、怪異に目や耳が肥えたファンの審美眼に晒される事態に発展するのだからね・・・。
もし『実話』
と謳うのなら、それなりの覚悟を持って挑むしかないのだ。
『創作』は何れバレるものだから。
件の配信怪異譚・・・
本当に浅い。
浅いよ。
『新耳袋』に載っていたエピソード数本と、全く同じ体験をした事のある、私の感想だ。
写真は購入二周目になる角川文庫版。
元来怖がりな私は、メディアファクトリー版を全夜揃った時点で実妹に譲渡。
また読みたくなると文庫版を購入した後、再度、実妹に譲渡。
結局またしても読みたくなり、文庫版を購入している次第。
阿呆です。