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寝る前の備忘録23「自分のアバターを意識する1」
今日は休日でしたが、寝倒していた結果ほとんど何もしていない豪雪婦人です。本を一冊読むのが限界でしたね…。
さて、今日は「アバター」についての話をしたいと思います。ゲームをしたことのある人がいれば、この言葉が何かわかると思います。ざっくり説明すると、「アバター」とは、「作り出した別のじぶん」みたいなものです。語源はヒンドゥー教のアヴァターラというもので、神様が別の姿になって顕現するその姿、というものですね。
それを自分の中に「作り出す」ことが大事になってくると思う今日この頃です。それってどういうことか?説明しましょう。
まず、皆さんは生きている中で様々な環境=コミュニティに自分が晒されていることかと思います。「会社」「ネット」「家族」「友人」…私の周りには少なくともこれくらいはありますね。
このコミュニティ、皆さんは意識したことがありますか?
つまり、
今自分がどこに晒されているか意識する
ことはありますか?
私はここ一年くらいで意識するようになりました。理由は「ネットでのみ使う名前がある」からなんですよね。
その名前=豪雪婦人を使うときは、私は「ネット」の住民です。
その一方で「会社」では本名、特に名字で呼ばれます。「家族」には下の名前や兄貴と呼ばれます。「友人」には愛称で呼ばれます(ニックネームが本名なのでわかりにくいですが)。
で、名前が変わることで別人になるんですよね。
「ネット」ではビジネスのこともそうですけど、アニメのことやもっといえばエロい話なんかもしています。でも「会社」では特にエロい話はできないですね。
「会社」では今月の売り上げ目標やそれをどう達成するかを考えます。でも「家族」の中にいる時には、積極的にそれしか考えないことはないです。
「家族」の中では親族の話で盛り上がることもあります。でも「友人」の中でそんな話は積極的にはしないですね。
「友人」とはよく高校ではどうだった、みたいな話をしますし共感されます。でも「ネット」でそんなことを書き込んでも「友人」ほどは共感されないでしょう。
話すことに注目しましたが、話し方や身振り手振り、その他一挙手一投足までおそらく環境によって変わります。もちろん、状況次第ではその環境はかぶる部分が出てきますけど。
つまり、私はその場その場で「自分の中の要素」を適切に引っ張り出して、その環境に対応しているのです。
この「その場に適応する自分の中の要素を引っ張り出して、環境に対応できるようにした」状態のことを「アバター」と呼びたいと思います。
では、この「アバター」を意識するとはどういうことなのか。
ちょっと長くなったので、そのまとめは次の投稿にしたいと思います。