寝る前の備忘録その6「多数決の恐ろしさ」
こんばんは、もう夜ですけど今日も一つ
読んでくださってる方の大半は「遊び人ギルド」の方かな、と思います。それ故に、今回の記事は親方が以前話していたことと繋がる部分があると思います。
多数決の恐ろしさについて、よく少数意見が排除されることが挙げられるかなと思います。
でももっと恐ろしいことがあると思っています。
それは…
少数意見だった場合、自分の意見に責任を持たない
ということです。
どういうことかというと、例えば…
「私の意見は◯◯だけど、多数決で否定されたんだよね」
っていう発言、聞いたことないですか?
これって、どうおもいます?
私としては
「多数決が自分の意見を排除したに過ぎない、私の意見は悪くない」
って言ってるように聞こえるんですよ。
こんな無責任なことってないんじゃないかなって思うんですよね…
で、もちろん多数決が少数意見を徹底的に排除するものであるのは言うまでもありません。しかも多数決で意見を否定するとしたら、否定の根拠が乏しいようにも思うんですよ。
だって、多数決って選ばれなかっただけで排除されるわけです。仲間が多い人が有利だし、共感を得られればなんだって通るわけですよ。
極論、会議で
「めんどくさいからその案件パスしよう」
って人が過半数を超えたら、どんなに素晴らしく先のある案件だとしても否決されちゃう気がしてならないんですよね(現実にそんなことあってたまるかとは思いますけど)
そしてこんな性質を持っていると言い訳もしやすいですよね
「俺の意見は正しいのに否決された」
ただし多数決には圧倒的なメリットがあります。それは全員の考えを統一することなく舵を切れることです。
これがいいことかどうかは、場面によるでしょう。
そういえば、多数決って責任取る人いないですよね。みんなで決めたっていう強い前提が生きてるものですから。だからこそ意見に責任が持てないんですかね?
じゃあ最終みんなの意見をまとめるにはどうしたら良いのでしょうか…?
まだ考えてる途中ですけど、もしかすると意見を出し合って、議論して、それを加味した上で最高議決権を持つ人が責任をもって決定する、というのが一番正しいんですかね。
つまり、決定する人=責任を取る人に決めてもらうことなんでしょうかね…
これはこれで独裁的になる気がしますが、責任の所在が明らかな分、そのような不正は難しいようにも思われますね。
結論、多数決に頼りすぎると少数意見の排除や、発言への責任感の欠落などのデメリットがあるなあ、と思った話でした。
それでは皆さま、おやすみなさい⭐