見出し画像

台湾総督府のそばで生まれたじいちゃん(ご先祖さまの墓探し(6))

ということで、大阪から戸籍を入手!
これ以前はまだ曽祖父が生きていたので、戸主は曽祖父になってる。

これで、いろいろわかってきた。
まず祖父は7人兄弟(全部男)の5男。

で、なんで5男の祖父が家督相続をしたのかというと、まず長男と3男はまだこの戸籍には出てきていないので不明。

次男は途中で戸籍を離れてるんだけど、その理由が『戸主の同意を得ずしてて○○と婚姻』。

なんだそれ!と思ったら、当時の民法では結婚するのに戸主の同意が必要らしい。
どうしても結婚したいなら、その戸籍を抜けなければならないと。
今じゃ考えられない。。。

あと4男はよその家に養子になった。
なので5男の祖父が家督を継ぐことになったらしい。

他にも、祖父の生まれた詳しい住所がわかった!

臺湾臺北北門衙弍丁目

「臺湾臺北北門衙弍丁目」を現代的に書けば「台湾台北北門衙2丁目」
今の台北市だと思うんだけど、Googlemap等で検索してもそのままでは出てこない。
おそらく、昔あった台北城の北門の近くっぽいんだけど。。。

と思っていろいろ昔の台湾の地図を探すと、、、

北門衙二丁目

あった!

ていうか、台北のど真ん中じゃん!

当時(明治30年(1987))の台北中心部
現在の台北中心部(城壁の位置に広い道路が)

(『臺北市百年歷史地圖』の左下にある「図解」から、いろんな昔の台湾の地図を見ることができます)

ていうか、台湾総督府のすぐそばじゃん!

「北門衙二丁目」の左下に「總督府」

台湾総督府は、日清戦争終結後、その講和条約である下関条約に基づき清から割譲された台湾を統治するために設置された日本の出先官庁。

台湾総督府 - Wikipedia

今の日本でいうところの、霞ヶ関的な場所?かどうかはさておき、北縣廳(台北県庁)もすぐそばにあって、とにかく台北のど真ん中。

その台湾総督府の100mくらいしか離れてないところで、じーちゃんは生まれたのか。。。

ちなみに、台湾総督府は大正8年(1919)に少し南に建て替えられて、現在も中華民国総統府として使われているそう。

完成直後の台湾総督府庁舎

前も書いたけど、なぜ日清戦争直後に曽祖父一家は台湾に移り住んだのだろうか。。。

#ご先祖さまの墓探し

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?