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沖縄県北大東村を踏破 その7<日本全市町村踏破(制覇)>
2018年4月29日。ゴールデンウィーク沖縄未踏市町村集中踏破二日目、第一村、北大東村。
初日、島の外周を見て周り、この日は、内陸を見て周っている。
島の中心的神社、大東宮。
大東諸島は、明治になって移民により開拓されるまで無人島であったので、当然、そこにある神社も、明治以降に建てられたものである。
手水鉢には、アルファベットをあしらった不思議な紋が。
何だこれは、フリーメーソンか?!
とでも言いたくなるマークだが、TSはかつて島を実質的に支配(島で通用する貨幣同然の金券まで発行していた)した、東洋製糖のイニシャルと思われる。
境内の神輿庫。沖縄には神社はあっても神輿はほとんどないが、大東諸島は八丈島からの移民が主体となって開拓した為、そちらから神輿の文化が持ち込まれたと、今回泊まった宿・ハマユウ荘で聞いた。
大東宮の社殿は老朽化しているのか、改築中らしく、存在しなかった。御神体はどこかへ一時的に遷座しているのだろう。境内も工事中であり、全体的にリニューアルするのか、台風などの災害によるダメージでもあったのかもしれない。
大東宮の近くに、「鐘撞堂」と書かれた道標が立っていたので、進んでみた。
鐘撞堂への道は鬱蒼としたジャングル。
ジャングルを抜けた先は、芝生の広がる公園のような場所。確かにそこに、琉球風の瓦屋根を乗せた鐘撞堂があった。てっきり、寺院に付属するものかと思っていたが、そうではない。北大東島には神社はあるが、寺院はないようである。ただし、仏教信仰自体は存在する(後述)。
意外なことに……というほどでもないが、鐘は平成になってから作られたものであった。それも、「北大東村」の刻印がある。北大東島には寺院がないようだが、除夜の鐘を聞きたいという島民の要望が多かったのだろうか、村の事業として鐘撞堂を建てたようである。なお、鐘には、歴史ある富山県高岡市の鋳物師の刻印がされてあった。
公園の奥には、北大東村地域スポーツセンターが建っている。
その手前に、神社建築風の屋根を乗せた山車。
これも、八丈島から持ち込まれた文化なのだろうか。大東宮の例祭の際に、用いられるのだろう。
こちらは、大東宮からもそう遠くない場所にある「地蔵さん」。以前の投稿に書いた、島の内部に環状に盛り上がる丘「長幕」の頂上部にある。
石灰岩を穿った祠。両脇に南方の島嶼部に特有のオオタニワタリが繁る。以前、八丈島の南に位置する、伊豆諸島最南端の有人島・青ヶ島で数多く見かけた。
祠の内部に地蔵菩薩の石像が祀られている。
境内にはユリも自生している。
こちらは今回泊まった宿・ハマユウ荘の、道路を挟んだ向かいあたりに建つ「観音さん」。
こちらは、紫檀らしき木に彫られた観音像が祀られている。このように、島には寺はないようだが、仏教信仰時代は存在しているのである。
「観音さん」の隣には、獣魂碑が建てられている。八丈島出身者主体で開拓された大東諸島だが、沖縄本島からの労働者も数多く渡って来た為、沖縄の文化も持ち込まれている。その為、大東諸島でも沖縄本島と同じく、ヤギを飼育し食べる為、その慰霊碑として建てられたのだろう。
「地蔵さん」「観音さん」の間あたり、これまた長幕の頂上部に、灯台が建っている。通常、灯台といえば海岸に建っているものだが、北大東島では長幕の頂上部が最も標高が高い為、ここに建てたのだろう。
以上で、北大東島の周遊は終わり。北大東空港から、飛行機に乗る。
市町村踏破数は前回投稿から変わらず。
沖縄県全41市町村のうち、30市町村踏破、残り11市町村、達成率73.2%。
九州・沖縄全274市町村のうち、262市町村踏破、残り12市町村、達成率95.6%。
日本全国1741市町村のうち、1722市町村踏破、残り19市町村、達成率98.9%。
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