時代を先取りし過ぎた家族葬。
オットさんの、最後の年の領収書を整理しはじめたら、なんか色々でてきた。
二人で、初めて撮った、プリクラ。オットのクセのある手書きのサインの入った領収書。ああ~あのころ、生きていたんだ。いまだに、生々しくて。かたづけようとおもっても、手が止まってしまった。
基本的に自営業だったから、確定申告は自分でやっていたようだ。
オットは、9月28日に消息を絶つ。(雪崩で、行方不明)
仲間とともに・・。
帰国したとき、呆然。自失状態で、関空まで、オットのご両親、私の姉貴夫妻がむかえにくる。その他、ガイド仲間の方々など。
姉貴は、怒りだすやら、呆然自失から、半ば薄ら笑いをうかべるしかなかった。
姉貴が怒るので、はるかで、帰るといいだして、困らせた。
とにかく、阻止されて、姉貴夫妻のくるまで、マンションまで送ってもらい、その日は、姉も泊まってくれた。
なんか、ぼぉーとしてしまい、なんかやんなきゃなあ。
しかし、色々と手続きがあって、年金のこととか、遺族年金はあきらめてくださいと、役所のひとにいわれ、微々たる一時金ですべてだった。
かれは、5年間しかまともに働いたことがなかった。だから、国民年金すら、結婚してからなんとか納めはじめて、16万円の一時金だけだった。
それで、葬儀か?遺体もあがってないのに・・
で、考えた。とりあえず、オットさんの山仲間のO和尚に自宅にて、念仏をあげてもらおうと。
親戚といえども、オットのご両親、オットの姪っこ姉妹、姉夫妻だけを呼んで、平服でと。
式場でのことは、16万円で、なにができるのか?と二の足を踏んでしまった。
とにかく、16万円以内におさめるしかない。
念仏後は、近くの料亭で、昼食の予約をとり、質素だが法要のつもりでお食事処に案内し、食事をとってもらった。
うちの両親は、オヤジの具合がわるく、母がその介護にあたり、とてもじゃないが、参加できない状況。
その前段階に、山ダチにきていてだたいて、テントとか、山道具のクライミングシューズ(クライアント用の)サイズさまざま、数足はあったが、引き取ってもらった。
なんか、自分でもかなり混乱していて、記憶がとんでいることが多いが。
まあ、それが、時代を先取りしすぎた、家族葬だったかもしれない。
いつも、そうだ。私は、時代を先取りしすぎるところがあるから、邪見にあつかわれ、嫌われ、いじめられ・・。
まあ、そんなところかな。
15分掃除どころじゃないわ。