鉄棒、逆上がり
鉄棒の類いの運動は全くダメでした。子供時代、他の運動神経の良い子は、前回りを連続してやったり、膝を抱えて、クルクルと、楽しくあそんでいるのに。真似して、近くの公園で、鉄棒を握り、とびあがり、お腹のところで、支えて、前回りもどきをやってみる。回れない、すぐにドタっと落ちる。宙ぶらりんになる感覚が怖いのである。
それが、高校3年生の、卒業式が終わっても、逆上がりができないということで、最後の最後まで、補習のために通い、鉄棒に取り付く羽目になるとは、思いもよらなかった。
私のほかにN子がいて、二人ともに鉄棒にぶら下がった。何度やっても、ドタっと。私はすぐに、手の握り方が悪いのか、右手、親指の横の皮が剥けてしまい、血だらけになる。絆創膏を張っても、血がにじんでくる。それでも、ドタっ、ドタっと。
N子は、何に対しても、真剣に取り組む真面目なところがある。進路に関しても、勉強に関しても。私は、どこか、抜けているというか、なにか甘えみたいなものがあるような気がする。今までのnoteの投稿記事を見ても、本質的なものに対して逃げているから、間の抜けたいい加減なものしか、書けないし、書いていない。
N子は、なんとか、工夫というか、努力を重ねて、ある日、出来た!!って。手の持ち方とか、何に気がついてコツをつかんだのかなあ?と。N子に聞けばよかったのに、自分が最初から、どうせ自分はというところがあって。それが、彼女の今後の人生に、自信みたいなものになって、看護学校を出てそれから、保健婦さんの免許をとり、私はこれだと、堂々と生きているかのようだった。
私は、N子ができたのなら、自分ひとりになっても、鉄棒に向かえばよかったのに、あるいは、体育の先生に直談判して、コツを教えてくださいと、頼み込む勇気というか、気力もなかった。受験がやってきて、あわただしくなり、逆上がりは、免除というか、うやむやになって、学校を卒業した。
私の人生で、これは、というものは、今まで、何一つなく、そろばん塾も途中ついていけなくなって、それを素直に先生に言えばいいのに、逃げてしまった、小学4年生。塾の先生に説得されても、同級生たちは、すんなりと、理解できて、次の級へとどんどんあがっているのに・・。何につまづいて、わからなくなったのか、塾の先生に言えなかった。このときから、逃げるクセがついてしまった。
逆上がりも、そのまた二つ目、三つ目となった。段々、つまづきは増えて、増える度、自分自身逃げていたのだ。
今でも、何におびえているのかしらないけど、いつもおどおどしている。それを、人にみすかされるから、人間関係もうまくいかない。だから、転職は、3回。期限付きのものは、なんとか務め上げた。
今でも、いいようのない恐怖感を感じ、おびえながら生きている。
あの逆上がりができていれば、もっと地に足のついた人生をおくっていたのかもしれない。