陶器製のボタン。/「あの日の君は」
5月1~4日、野良仕事に、帰省しておりました。
目的は、タケノコ探しと、タケノコ掘り、草取りなど、仕事がないないといって、いてもあるものです。
地べたに座り込んで、草取りをしていたら、「あら、これは?????」
「ボタン」。
「陶器製のボタン」。
糸が通せる糸道もある。それも、どこその学校の学章のような絵柄。
桜の外枠の中に、なべへんは、わかる。亠 母のような、その下にバスタブに足がついた模様。
これは、一体なんだろう?が始まる。チイお嬢に見せても、興味ない。
大お嬢に見せても、果て???
一休みして、一休さんのように、考え込む自分。
夕日を見ながら、一服していたら、ふと、気が付いた。
〇〇実業高校か、〇〇実業学校の学章ではないかと。
わたしの出身高校の前身が、山を下った、平地にあり、〇〇実業高だった記憶からたどって。
バスタブに足が二本ついたものが、貝、つまりは、「実」の旧漢字「實」かと。
それで、謎が解けた。
オヤジの父親違いの兄貴であり、戦時中、盲腸といわれているが、病気で、急死されたMの、ボタンだったかなあと。勝手な模索かもしれないが、彼は、優秀で、隣町の上の学校に上がったと、伝えられているから。
おそらく、間違いないと思います。
普段は、デジカメを持ち歩きませんので、後日写真を撮って、張りつけようと思ってます。
いや、昔の陶工は、素晴らしい技術をもってみえたんだなあと、感心してしまった。戦時中、金属類は、戦争用に使われて、その代用として、陶器製のボタンとは・・・。
『あの日の君は』 (M兄さんに捧げる)
あの日の君は、何歳?
あの日の君は、苦しかったかい?
あの日の君は、夢があったかい?
お父さんが病死して、叔父さんがお父さんになったこと、ショックだったのかい?
丁度、おかあさんが、末っ子の弟をつれて、二番目のお父さんの出征で、広島、呉港から、出港するとき、地元の人たちと、お見送りにいって、さぞかし心細く、辛かったろう・・
だけど、長男だから、弱音吐かなかったんだよな・・
お腹が急に痛くなったのかな?
「どうなっちゃうんだろう、俺・・苦しいよ・・痛いよ・・」
「俺、もうダメだ・・おかあ・・・ごめん・・」
「おれ、父ちゃんのところにいく・・」
「・・・・」
君の、「おかあ」も、君のいるところへ行ったよ。
弟二人も、・・・
次男坊の弟は、長男を務めて、十分じゃなかったかもしれないけど・・
末っ子の弟は、妻がアルツハイマーという病で、看病にあけくれたよ。
君の今いるところ、一体どんな感じかな?
楽しく、やっているかい?
了