親父が生きた時代や人生について考えてみた
「ちょいワルおやじ」のつもりの親父
私の親父はほぼアル中だ。診断書がないので”ほぼ”と表現するが、昼間からロレツが回らなくなるまで飲んで、世間に醜態を晒す姿はアル中だ。そんな酷い自分の姿を外から見たことのない親父は、今日も「ちょいワルおやじ」のつもりで機嫌よく酒を飲むのだ。
親父を起こす係だった母
親父は戦後生まれの団塊世代だ。とある離島から工業高校を卒業した後に、大阪で就職した。会社の寮生活をしていた親父は、毎晩のように同僚らと酔い潰れていたようだ。寝坊する親父を寮で叩き起こす係だったのが母で、そんな中でいつしか出来たのが私だ。
蛇口からお湯が出るようになった
団塊世代という豊富な労働力に恵まれた日本は、高度経済成長を成し遂げた。不良社員だった親父も、それなりに恩恵を受けたのだと思う。住まいは文化住宅から府営住宅に、風呂は入れ墨のお兄さんたちと一緒の銭湯から内湯に、トイレはボットン便所から洋式水洗トイレに変わり、蛇口からはお湯が出るようになった。
独立の決心
80年代の中頃に、私は高校に進学した。親父は工業高卒の自分にどこかコンプレックスを抱えていたのだと思う。当時の親父の口癖は、「高卒にしては仕事が出来ますねと言われた。アホが。」だった。子供たちを大学を出してやりたかった親父は、収入を増やすために独立の決心をした。
なぜか札束を見せて自慢した
親父の独立は絶妙なタイミングだった。バブル景気に乗った親父は、数人の社員を雇用するまでになった。酔った親父の口癖は、「ウチの社員は有名大卒で高校の元先生やけど、教わってないので出来ませんと言う。アホが。」に変わった。車は中古のファミリアから当時流行のハイラックスサーフに、住まいは府営住宅から新築マンションに変わり、なぜか私に札束を見せて自慢したりした。そして子供たち全員を大学に入れ卒業させてくれた。
目は魚のように
大学を卒業した子供たちは無事に就職し、それぞれが結婚して子を作った。盆と正月には10名以上の家族が集まって賑やかだ。成長する孫たちの顔を眺めているうちに、すっかり肩の荷が降りたのか、親父は急速に老け込んだ。歯は抜け、目は魚のようになり、田舎のビデオを眺めつつ、昼間から酒を飲むようになった。
言葉を失うらしい
最近の親父の楽しみは、孫たちと並んで撮った写真を、馴染みの飲み屋で披露することだ。虚ろな目をした親父が、孫に囲まれている姿など、誰も想像できないのであろう、皆が驚きの余り言葉を失うらしい。
親父の大好物
親父は新聞の同じページを、30分以上も視線を動かさずに眺めている。恐らく脳ミソが1ミリも動いていないのだ。目に余る親父の劣化を心配した母は、脳トレも兼ねて2人でスマホを購入した。母が器用にスマホを使いこなす一方、親父はメールを送った私に、「今の何や?」と電話してくる。最近は家族のグループLINEが大のお気に入りで、文字変換ミスをイジられるのが大好物だ。
酔ってる親父は既読スルー
親父が生きた時代や人生について考えて思った。やはり私は親父が愛しいのだ。飲み過ぎは本当に良くないよ身体に悪いから・・と、親父の人生に思いを馳せていると、「いま飲み屋で○!※□◇#△!」と泥酔状態で家族グループLINEにメッセージが入った。私は兄弟グループLINEに、「酔ってる親父は既読スルー」を我が家の掟とする緊急動議を提出した。
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