
僕たちの生活、そのものです
晴天。長谷から極楽寺へと続く、星ノ井通りを散歩してみる。
田舎の祖母の家に、日当りの悪い廊下があった。幼い頃、その薄暗い廊下を腹ばいになって這いずり回るのが好きだった。廊下の床板がいつもヒンヤリとしていて。そんな雰囲気を思わせる通りである。勝手に懐かしい気持ちに。
カフェやパン屋が多い。特にパン屋。そのうちのある1軒で、食パンを買う。「ふつうの食パン」と「リッチな食パン」どちらにしますか。とお店の人に聞かれたので、「リッチな食パン」にする。ふだんは行列が並ぶ人気店のようだから、買えるのは今日が最初で最後かもしれない。
「星ノ井通り」という名前は、極楽寺切通の登り口にある「星月の井」という井戸に由来するらしい。こちらのサイトによると、新編鎌倉志に次のような説明がある。
「昔はこの井戸の中に、昼でも星の影が見えたのでこの名が付けられた。 ある日、近所の人が誤って包丁を井戸の中に落としたので、このとき以来星影が見えなくなりました。」
井戸の存在を確めるのはまた今度にして、星の井通りを引き返す。その帰り道に、派手な暖簾を目にする。今度、新しいアップルパイのお店ができるらしい。こんなご時勢だけど、孝太郎さんにはぜひ頑張っていただきたい。どなたか存じ上げませんが。
帰宅して、「リッチなパン」をトーストで焼く。チーズとしらすをのせて食べる。あっという間に半斤消える。
***
一生けんめい自作した本棚のおかげで、蔵書の本を気軽に手に取りやすくなった。仕事が終わり、ふらりと本棚の前に立ち、先月買った田中康夫『たまらなく、アーベイン』をパラパラやりだしたら、なんだこれは……めちゃめちゃおもしろい……。
時は1984年。著者が自腹で購入したAORのレコード300枚のなかから厳選した名盤100枚について、どんなシチュエーションで聞いたらちょうどよいかを語るエッセイ付の選曲ガイド本なのだが…。
なんなんだ、この新しさは…。
新しい。古くて新しい。しかし懐古趣味ではない。古いものが一周回って新しくなる、という話でもない。1984年というある時代の、都会に暮らす人々のライフスタイルが、当時の空気そのままに文章に密閉されている、その事実に感動するのである。菊地成孔も帯文で次のように書いている。
二度とやって来ない時代のライフスタイル読本
1984年。
クラブカルチャーはまだギリで日本にはなかった。有史以前に出版された、恐らく世界でも最初の「選曲の本」。
今でもアンファンテリブルであり続ける田中康夫の「なんクリ」と双極を成す孤高の都市文化論。
「アーバン」を「アーベイン」と発音した唯一の書。
で、この曲はこんなシチュエーションで聴くといいよ、と紹介する体を取りながら、話題はだいたい脱線する。紅茶についての話や、午後のドライブ・コースの紹介、恋愛についての話、など。正直、曲とどこまで関係があるのか分からない。
バブル時代のアーバンライフを語るエッセイなんて、けっ、気取りやがって、いけ好かねえや。なんて思う暇がないくらい、斬新な言語感覚のつるべうちでもある。
たとえば34ページ、Eddie Rabbittの "Loveline"という曲を紹介するエッセイの章題がこうである。
Eddie Rabbitt "Loveline"
高原のホテルにお泊りした翌朝、庭の芝生に夜露がしっとり、気持の良い風がヒュー。そんな時、カントリー・フレーバーを適度に残したエディ・ラビットがぴったし。お部屋に戻ったら、外国製のきれいな便せんで彼におたよりを書いたりとかね。
田中康夫(著)『たまらなく、アーベイン』河出書房新社,p34
気持の良い風がヒュー?
いま、「気持ちの良い風がヒュー」なんて文章を思いつき、そのまま書いてしまう作家がいるだろうか。それに「カントリー・フレーバー」てどんな香りよ。外国製のきれいな便箋でおたよりなんて書いたこと無いし…。なんか、上手く言えないけれど、どれもが私にとって新しい……。
しかもこの長文がエッセイの”タイトル”。思わず部屋の窓を開けて、タイトルだけでも朗読したくなりませんか?なりませんか。窓を開けたら、気持ちの良い風がヒュー。
肝心の楽曲は、甘いムードのメロウな一曲。続くエッセイの本文では、あまり曲とは関係がなさそうなシチュエーション・コントが2ページほど続く。
もう一つ。
Alessi "Long Time Friends"
彼女と待ち合わせしているのに首都高がえらく混んでて遅れちゃいそう。公衆電話なんてどこにもないし、彼女、イライラしてるかな。なんて時、実力を発揮するのが自動車電話。「まあ、車の中から連絡くれるなんて、カンゲキ!」となること、うけあい。
同上,p.20
自動車電話。自動車の車内に備え付ける電話のようである。一部の富裕層が利用していたらしい(参考はこちら)。まだ携帯電話が普及する前のこと。知らなかった……。
続くエッセイには、「自動車電話はゼイタク品と思ってる人がいますけれど、一ヶ月三万円の基本料と六・五秒で十円という通話料が、そんなに高くないよね、と考えられる人にとっては、実にもって便利な代物であります」とある。
いや、ゼイタク品でしょう。携帯電話が月々1,000円ちょっとで利用できる時代が来るなんて、当時の人間は想像もしなかっただろうな。
などと、当時の風俗も面白おかしく知れるので、本を閉じるタイミングがなかなか難しい。紹介される音楽も良い曲ばかりなので、YouTubeで曲を検索しながら読むと尚楽しめる一冊。
すべての体験が、みんな疑似体験になっていってしまう都会生活の中で、僕たちが信じられるものといったら、それは、宗教とか政治とか哲学とか、あるいは疎外論的発想法の「志の小説」といった類の、観念的な代物ではなくて、デザインの素敵な洋服や、おいしい食べ物、雰囲気のいいレストラン、スタイリングのいい自動車、ハンサムなボーイ・フレンド、チャーミングなガールフレンドのように、商品化された具体的な品物しかないのだなって気がしてきます。
アダルト・コンテンポラリーやブラック・コンテンポラリーの音楽も、僕たちが信じられる物のひとつです。ジャズやロックと違って、ストーリーやメッセージを持たない”気分の音楽”は、ドラマのないのがドラマになってしまった僕たちの生活、そのものです。
同上,p.10
YouTubeの動画を再生しすぎて、WiFiの通信容量制限にひっかかった。