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難民映画祭2018

UNHCR主催の難民映画祭2018の映画を観に、イタリア文化会館へ。

まず昼に『パパが戦場に行った日』を観る。

平和な日々の中でパン屋を営んでいた親子に起きた物語。ある日紛争が勃発し、父親は娘のトーダを祖母に託して兵士として戦地へ向かった。日に日に激化する戦闘。祖母はトーダの命を守るため、母親の住む隣国へ避難させる。母親を訪ねてたった一人の避難の旅。戦闘の光景を目の当たりにしながら、トーダは数々の試練を乗り越えてゆく。10歳の少女、トーダの目に大人たちの戦いはどう映ったのか-。紛争や迫害によって避難を余儀なくされる人々が急増する今、そこにある恐怖と苦悩を日本で暮らす私たちがどれだけ想像できるのか問いかけられている。

難民映画祭2018公式HPより引用

架空の国の、架空の出来事。少女のハラハラドキドキ冒険譚といった趣きで、子供たちにそれなりの苦労はあるのだが、最後はめでたしめでたしのハッピーエンド。敢えて架空の舞台を設定したのは、戦争、あるいはそれに巻き込まれる悲劇の普遍性を浮彫にする狙いがあったのかもしれない。だが、あまりにリアリティのないご都合主義の連続に、メルヘンなお伽噺を見ているような気分にもなった。私たちは、この映画以上に悲惨な現実を知りすぎている。映画上映の前後でUNHCRの職員が、観客に対ししきりに毎月募金を訴えていたが、この映画を観て財布の紐を緩めようとは思わなかった。

そのあと、会場の近所で時間を潰し、夕方からもう一つの映画『ソフラ ~夢をキッチンカーにのせて~』を観る。

レバノンの難民キャンプで生まれ育ったパレスチナ難民のマリアムは、自分の運命に立ち向かうためにケータリングビジネスの起業に挑戦する。その名は「ソフラ」。幾多の困難に直面しながらも、同じような境遇にあるパレスチナ、シリア、イラク難民の女性たちとともに奮闘する日々が続く。人類史上、最大の難民危機でうまれたサクセスストーリーは、絆、希望、勇気、情熱とともに、人々が戦争による心の傷を癒していく姿を描く。

難民映画祭2018公式HPより引用

作品あらすじに「サクセスストーリー」とあるとおり、良くも悪くも安心して観ることのできる、プロジェクトX的なストーリー。パレスチナ料理を始めとする難民女性たちの作る料理が、本当に美味しそう。女性たちは、クラウドファンディングでキッチンカー購入資金の募集に成功する。キッチンカーの購入には、国に申請して認可を得る必要があるが、その認可がなかなか下りない。通例、2,3日で認可が下りる類の手続きだが、5か月以上待たされて挙句、棄却となる。それが難民に対する差別であるとは(少なくとも映画だけでは)断言できないが、そう疑わせるに十分な一幕ではある。申請棄却の事実にひどく落胆した女性たちが、気晴らしに部屋に集まって映画の上映会をする。上映した映画が、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』。未視聴だが、あらすじを知っていただけに、この映画を黙って見詰める女性たちの姿にはぐっとくる。

上映後は、UNHCRと類似国連組織(組織名失念)の職員二人によるトークショーがあった。二人の話を聴きながら、ソアラのクラウドファンディングに募金した人びとにあって、UNHCRの毎月募金に応じようとする人びとに無いものは何だろう、と考える。そして、UNHCRの職員たちが難民問題に取り組む動機を訊ねてみたくなる。難民たちが可哀そうだから?正義感?義務感?罪悪感?例えば、嬉しくなる瞬間や、わくわくする瞬間はないのだろうか。難民たちの生活が変わる瞬間に最も近いはずの彼らに、支援にたずさわる歓びを、具体的な経験(それは、この映画のように派手な成功例でなくたっていい)と共に、もっと聴いてみたいと思った。

難民映画祭は初めての参加だが、正直に言うと、難民たちのもっとハードな現実を目の当たりにすることを、どこか露悪的に期待していた向きがあったかもしれない。その点では、本日鑑賞した2作品は、期待を裏切る作風で新鮮だった。UNHCRは、どのようにして上映作品を選んでいるのだろう。上映作品を選定する過程で、募金額に応じて観客も作品に投票できたりすると面白そうだなと、ふと思う。

帰宅して、家で奥さんと夕食にカレーを食べる。その後、ファミレスで二人夜更かしする。昨日の日記を書くが、東京藝大の学園祭で感じたことが自分の中で巧くまとまらず、結局書き終わらないまま帰る。

深夜、寝る前にジム。トレーニングしながら『ミメーシス』を読む。SmartNewsのトップに並んだ記事。

・高校体育大会:寒さ訴え、生徒36人搬送 命に別状なし(毎日新聞)
・大型トレーラー横転で軽自動車下敷き、3人死亡(読売新聞)
・北海道で震度4の地震 津波の心配なし(ウェザーニュース)

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