「ろくろっ首」の嫁
Amazonで購入した新しいリュックが届く。それを背にして、夜の渋谷に向かう。仕事終わりの奥さんと合流し、ユーロライブのしぶや落語を観に行く。
三か月前、しぶや落語で人生初めての寄席を体験した。入船亭扇辰の妾馬という演目を観て、笑って泣ける!みたいな定型句通りに、ものの見事に笑って泣けてしまい、観終わったあともしばらくの間、ふと思い出しては、「あの噺は良かったね」などと奥さんと感想を語りあう、そんな経験をした。
今日は人生2回目の寄席。お目当ての噺家がいる訳ではなく、むしろ出演者のことは全員知らず、ただ日程の都合だけでこの回を選んだ。新鮮な気持ちで、4人の噺家の落語を聴く。
台所おさんは、高座に現れた瞬間、ああ、こりゃやばい人が出てきたなと感じた。腰は低く、口調はゆっくりで、顔はにこやかだが、目がぎょろっとしていて、全身から只ならぬ気配が漂っている。ご自身では、少し抜けたところのある与太郎役の方が演じやすいとおっしゃる。冊子の紹介文には、こう書いてある。
31歳で入門、芸歴17年目、2016年3月真打ち昇進。最近まで、お財布とスイカをもっていなかった。小銭はポケットに押し込んでいたため、ポケットがパンパンに膨らんでいた。家の近くの公園のベンチに体育座りになる瞬間が好き。先日、その公園で500円玉を落としてしまい、数時間かけて見つけ出した。
渋谷らくご公式読み物「どがじゃが」2018年8月 「今月の見どころ」より引用
与太郎が、承知の上で「ろくろっ首」の嫁をもらうが、夜になっていざその姿を目にしたらやっぱり怖くて逃げ出した、というその名も「ろくろっ首」という演目だったが(今書いていても、それどんな話だと思うのだが)、叔父が与太郎にその嫁の正体を明かすときの語り口がぞっとするくらい怖くて、基本は全編笑い話なのに、その瞬間だけ不穏な気配がしめやかに漂い、厭な汗をかいた。この噺家さんは、きっと怪談噺も巧い気がする。
最後の古今亭駒次の創作落語は鮮烈だった。溌剌とした朗らかな声で、青春の甘酸っぱさを醸し出す演目「すももの思い出」の内容にぴったりな声質だった。不可思議/wonderboyの声に少し似ている。この人の創作落語は全部観てみたい。
最後、会場の出口のそばで、しぶや落語のキュレーションを務めるサンキュータツオさんが、会場を後にするお客さん一人ひとりに「ありがとうございました」と声を掛けて、挨拶していた。彼の前を通り過ぎる時、気恥ずかしくて、目を合わせることができなかった。彼のブログを読まなければ、おそらく夏目漱石の面白さに注目することはなかったし、彼のラジオの推薦がなかったら、『収容所のプルースト』を手に取ることもなかった。何年も前には、毎晩、実家の近所の川沿いを散歩しながら、彼の出演するラジオ番組やPodcastを聴いていた時期もあった。彼の前を通りすぎたあと、その頃の鬱屈した気分などを、ほのかに思い出していた。
青山通りのお店で奥さんとお酒を飲んで、奥さんが少し悪酔いする。酔い覚ましも兼ねて、夜の街を歩いて帰った。青山六丁目あたりの閑散とした通りを歩いていると、奥のお洒落な飲食店に通じるビルの廊下の暗がりで、モデルのようにスタイリッシュな男女二人が抱き合う瞬間を目撃する。トレンディな夜だった。
深夜2時ごろにようやく帰宅。そのあとジムに行って軽く汗を流す。今日は読書をしなかった。