シェア
夜、私たちは海岸通りを歩いた。押し寄せる波の向こうの暗闇、海面に漂う赤い光を見る。それがポツポツ見える。漁船の灯りだろうか。人魂のようで綺麗だった。 *** アルメニア出身のジャズピアニスト、Tigran Hamasyanの最新アルバムを聴きながら本を読んでいると、次の一節が目に入る。 人間の心の営みはすべて薄暗がりのなかの動きだ。われわれは自分が何者なのか、あるいは、自分を何者と思っているのかまったく確信がなく、意識の黄昏のなかに生きている。 ポルトガル出身の詩人・
目抜き通りを歩いた。道の両側に、手作り人形が複数、間隔をあけて立っている。子どもくらいの背丈があり、両手を広げている。私たちを通せんぼする案山子のようだった。あるいは本当に案山子かもしれない。 *** 街の音楽会を案内するちらしが電柱に貼られている。雨で滲んだ黒のインクで文字が書いてある。とても楽しい音楽会だからみんなで遊びに来てね、と書いてある。 *** 名物の丼ぶりを店で食べる。身ぶりの大きなあさりが、食べても食べても顔を出す、という触れ込みだった。本当にそのとお
昼下がり、潮の匂いがあたりに漂う。雨が降る気配。 *** 海のそばを散歩する。波が高い。沖合、サーファーたちが等間隔に並ぶ。押し寄せた波が私たちの足下を奪う。風は全く吹かず、湿り気で息が苦しい。 全ての足跡が波に消えたとき、読みかけの『ウィトゲンシュタインの愛人』のことを思い出した。 誰もいない世界に独り残された女性が、タイプライターにキーパンチする言葉の連なり。不確かな記憶から次々と他の記憶をつなぐ連想の力をよりどころにして、文章は前進と後退を繰り返す。複数のモチー