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放浪旅あいまい記憶日記 その9

((((((鍛冶屋のブット爺さん)))))

1988年ごろ、

命の恩人に助けられ、水晶を握って治ると信じ、タイとマレーシアの国境をこえることができた(すったもんだあり簡単ではなかったけど)

無事にパンガン島にもどってきた。
金もなく体重も36キロしかなかったが、とにかくお金をかせがないていけない。この島で鍛冶屋さん探しが始まった。カリンバのキーの部分は自電車のスポークや傘の骨などをハンマーで、叩いて潰さないとならないのだ。

いろんなところで聴きまくるが鍛冶屋なんてないと言われる。諦めかけて、雑貨屋で買い物するときに、聞いてみた。
「鍛冶屋さんなんて知らないよねー」
「鍛冶屋?うちのおじさんが、やってるよ」
「本当に!!紹介してくれる。こんな楽器作るのに道具必要なんだ」
というと、雑貨屋の主人は良い人で

「よし、今から行こう」

と彼のバイクの後ろに乗っけてもらい。ココヤシジャングルを20分ぐらい走ると
タイの古民家が現れた。

「タブット!タブット!」と雑貨屋の主人が叫ぶと、中から痩せた、上半身裸のおじいさんが出てきて、何やら俺のことをを話す。
俺の片言のタイ語以外に言葉が通じないので、カリンバを弾いて身振り手振りで、道具を遣わして欲しいと伝えた。何やら離れの家が空いてるらしく、そこに住み込んで鍛治道具を使わせてもらえることになった。

ブット爺さんは、いつも裸足で、身につけているのは短パンのみ。俺も真似して裸足で後をついてくのだが、熱帯の森の中を裸足で歩くのは結構痛くてゆつくりしか進めない。ブット爺さんは高速なのだ。

村の鍛冶屋なので、主に鎌を作るが、頼まれればなんでも作る。アイスクリーム売りの自電車につけるボックスの修理や、船を漕ぐ櫂なんかも作ったりしていた。

毎朝、俺のためにヤング ココナッツを取ってくれる。ココヤシの高い木のてっぺんに何個もあるココナッツの中から、ながーい竹の先に包丁をくくりつけたような道具で一個だけ落とす。

この一個がドンピシャなのだ。

ココナッツ水は甘くて、中の白い部分はプルンプルンの水菓子のようだ。

すごいよなー。俺がみても絶対わかんないもん。
みんな同じ緑のココナッツにしか見えないもんね。

作業場といっても、壁のない、椰子の葉葺きの屋根があるだけだけど、道具はバッチリ揃ってるし、鍛冶に必要な火窯もある、たまにさかなやいてるけど。

ここで何台かの楽器をつくって、島で一番流行っているハドリンビーチまでうりにいくのだが、金が無いので歩いた。
片道4時間、ブット爺さんの影響で裸足でいつも裸足だった。

パンガン島のハドリンビーチはこの島の一番美しいビーチで、現在はフルムーンパーティーで有名だが、当時はまだパーティーが入ってくる前で、満月はビーチで仲間と焚き火を囲んで楽器を演奏することができたのだ。

ここは、インドやネパールで仕入れたアクセサリーなどを売るバックパッカーたちで、チョットした路上ならぬ、ビーチ マーケットができていた。ここで、おれはカリンバを売っていた。

とにかく、体力を戻さないとならないので、魚や肉をたべまくったのだが、1か月近く何も食べてなかったので、魚も肉も生臭く感じるのだ。それでもがんばって食べていたら、ある日夢を見た。

ーつづく



ー「喜捨」の意味は功徳を積むため、金銭や物品を寺社や困っている人に差し出すこと。ー あなたの喜捨に感謝いたします。