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近代の文化遺産を売り払った横浜市

372万人の横浜市民の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

今日も横浜市のおかしなところをお伝えしたいと思います。

現代文化建築物として評価が高い旧横浜市庁舎

先日、旧横浜市庁舎の売却について記事を書きました。まだお読みになっていない方は下のリンクからご覧いただけると幸いです。

旧横浜市庁舎が、売却金額が7667万円と恐るべき安さで売り払われたことを取り上げました。この格安で売られた建物ですが、実は文化遺産として貴重な建物なのです。

旧横浜市庁舎

文化庁のHPに「近代の文化遺産として掲載されています。

横浜市庁舎は、横浜開港100周年記念事業として、指名設計競技で5者の中から選ばれた村野藤吾により設計され、1959(昭和34)年9月に竣工した大規模市庁舎建築の傑作である。

庁舎の構成は、高層8階建ての行政棟と4階建ての議会棟、および両者をつなぐ2階建ての市民広場からなる。高層棟と低層棟を対比的に構成する手法は、戦後民主主義を象徴する大規模市庁舎建築に用いられた典型的な設計手法であるが、両者をピロティではなく内部空間を持つ「市民広場」でつなぐ点に村野の独創性が示されており、設計競技ではこの点が高く評価された。この市民広場の内部には、1,2階吹抜け空間に壁面レリーフ(辻晋堂作)と2階へ上がるオブジェのような階段があり、村野特有の空間を見事に醸し出している。

横浜市庁舎 - 近代の文化遺産の保存と活用 - 文化庁

設計をしたのは、建築界の巨匠として、丹下健三と並べて挙げられる村野藤吾です。百貨店やホテルといった商業施設を中心に設計した人で知られていますが、旧横浜市庁舎の設計も担当しました。

デザインは周りも環境と調和して設計されています。旧横浜市庁舎の特徴は、コンクリート打放しによる格子状の柱梁と、その間の壁、ガラス、バルコニーで構成した立面です。柱は上の階に行くほど細くなっています。

バルコニーは壁面に深い陰影をもたらし、ランダムに散りばめられたように見えますが、絶妙なリズムを感じさせてくれます。そして壁面の素材にはレンガタイルをあしらって、豊かな質感を備えさせるデザインです。

このような外観したのももちろん理由があります。当時、関内駅の周りは大きな建物がなく、のっぺりとした巨大な壁面が現れることは景観が良くないと考えたからです。

旧横浜市庁舎は、神奈川県建築コンクールに入賞しています。

旧横浜市庁舎をデザインした村野藤吾とはどんな建築家だったのか


村野藤吾(日本建築界の偉才 村野藤吾とは | 関大のハナシ | 関西大学より引用)

文化遺産として評価されるほどの建築デザインをした村野藤吾とはどんな人物なのでしょうか。簡単にご紹介します。

村野は、1891年に佐賀県東松浦郡満島村(現・唐津市)で代々船問屋を営む家の一男第三子として生まれました。生後すぐから12歳頃まで乳母の元に預けられ、その後両親の住む福岡県遠賀郡八幡村(北九州市八幡東区 )で育ちました。

1913年、早稲田大学大学部理工科電気工学科に入学。しかし、自分には向かないと考え、1915年、同大建築学科へ転学。27歳で卒業しました。

その後、渡辺節建築事務所に入所。日本興業銀行本店、ダイビル本館、綿業会館等の設計に携わります。1929年に村野建築事務所開設。日中戦争・第二次世界大戦中は実作の機会は少なく、不遇の時期を過ごします。

1949年、村野・森建築事務所に改称。1955年、日本芸術院会員。1967年、文化勲章受章。日本芸術院賞、日本建築学会賞など受賞する建築家となりました。

建築デザインは以下のような特徴があるそうです。

村野が設計した建物にはタイルを用いた作品が多く存在し、建物ごとに貼り方や色合いが異なっています。

日本建築界の偉才 村野藤吾とは | 関大のハナシ | 関西大学

村野が設計した階段の美しさには定評があります。

千里山キャンパスの中で最も村野らしい優美な階段は簡文館のらせん階段でしょう。薄いスラブ(床)の階段と、社交ダンスのしなやかな腕の振りを連想させる木製手すりのなめらかさに村野らしさが光っています。

日本建築界の偉才 村野藤吾とは | 関大のハナシ | 関西大学

村野がデザインした建築物は現在も数多く残っています。

実は横浜は文化遺産がたくさんある街

横浜はご存知のようにペリー来航で開港して以降、西洋文化の影響を受けてきた街です。市庁舎がある中区には文化遺産がたくさん残っています。

例えば、カトリック山手教会 聖堂、

カトリック山手教会 聖堂

石橋邸も

石橋邸(4トラベルより画像引用)

損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店)も

002.損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店)より画像引用

横浜市認定歴史的建造物です。他にも100以上の建築物が認定されています。

認定歴史的建造物について横浜市は以下の様に述べています。

横浜には、開港以来の近代建築や西洋館、土木遺産が残されています。また、郊外部には農村の風情を伝える古民家や社寺が残されています。これらの歴史的資産を再評価し、街づくりの資源として位置付け、その保全と活用を積極的に図っていくため、昭和63年に「歴史を生かしたまちづくり要綱」を施行しました。

所有者の協力を得て、主に建築物の外観を保全しながら活用を図ることを目的としており、要綱に基づいて「登録」「認定」を進めています。認定を受けた歴史的建造物については、外観の保全改修や維持管理に対して助成をすることができます。
平成9年からは耐震改修(構造補強)、令和4年からはリノベーションに対する費用助成制度も設置しました。所有者・関係部局との調整により可能な場合には、横浜市が歴史的建造物を取得し、市民利用施設として整備公開を図っています。

横浜市のHP「歴史を生かしたまちづくりについて」より引用

きちんと「 歴史を生かしたまちづくり要綱」として法令化されており、行政として保存や耐震補強する義務があります。

こうした取り組みは文芸評論家の富岡幸一郎関東学院大学教授も評価しています。富岡先生によると鎌倉市の100倍良いそうです。

ただ、旧横浜市庁舎は認定歴史的建造物ではありませんでした。

売り払われた旧横浜市庁舎はどうなるのか


旧横浜市庁舎

認定歴史的建造物ではないせいで格安で売られてしまった旧横浜市庁舎はどうなるのでしょう。

この記事でも軽く紹介しましたが、2026年オープン予定の複合施設の一つとしてホテルになるそうです。

TECTURE MAG「村野藤吾設計の旧市庁舎を継承・再生 横浜市旧市庁舎街区活用事業が着工、2026年春グランドオープン」より画像引用

上記がイメージ図ですけど、村野がデザインしたコンセプトを活かしているのでしょうか。旧横浜市庁舎の隣に大きなビルがある時点で違うように思えますが、プロから見ると違うのでしょう。

因みに新しくなった赤レンガ倉庫は以下のようになっています。

昼の赤レンガ倉庫


夜の赤レンガ倉庫

横浜市の認定歴史的建造物なだけに元の建物を活かした造りです。

旧横浜市庁舎の売却価格を「妥当」と言った山中竹春市長はどう思うのでしょう。

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