見出し画像

不登校から5年をふりかえって

残り10

売り切れの場合は下記に表示される有料マガジンで読めます↓↓↓

むすこは今から5年前、小5の終わりに不登校になった。

それまでたのしく学校に通えていたし(宿題にはいつも苦労していたけれど)友達も多かった。放課後はたくさんのお友達がわが家で集まってゲームをしていた。給食がだいすきでたくさんおかわりしていた。内気で引っ込み思案で不器用なところはあるけれど、純粋で誰にでも分け隔てなく優しいむすこはみんなから好かれていたと思う。


そんなある日、むすこは学校へ行けなくなった。
小5の夏休み明けだった。

わたしは混乱した。
毎朝玄関でわたしとむすこの押し問答がはじまった。

「行くの?」「行かないの?」
「なんで行かないの?」「行くって言ったじゃん!!!」

お友達に迎えにきてもらったり、いろんな先生に迎えにきてもらって、どうにか行ける日もあったけど、そのうち行けない日の方が多くなった。

朝の玄関での押し問答の末、わたしが根負けして学校を休むことになった日はわたしが学校へ電話した。
わたしにとって、その電話がなによりもストレスだった。

担任の先生から
「なにが原因なんでしょうか?なぜ学校に行きたくないのでしょうか?」と毎日のようにたずねられたけど、いくら考えてもわたしには原因がわからなかった。むすこにたずねても、むすこもわからないようだった。


なぜ?なぜ?なぜ?

なぜ学校に行けないのか?


先生にたずねられるたび、じぶんが責められているようで苦しかった。
わたしはどんどん追い詰められていった。


いったいわたしはあのころ、なにと闘っていたのだろう。
なぜわたしはむすこに寄り添ってあげられなかったのだろう。
わたしはどうにかしてむすこを学校に行かせたかった。
むすこが学校を休むことは「まるでわたしの子育てが間違いでした」と認めるようで恥ずかしかった。じぶんの名誉のためにむすこを学校に行かせようとしていた。
わたしはじぶんのことしか考えてなかった。

わたしは毒親だった。




そんなすったもんだをどれくらいやっただろうか?毎朝玄関でむすこを引きずりだして学校に行かせようとすることに、わたしは疲れてしまった。

学校に連絡して「これからは学校に行ける日だけ電話します」と伝えた。

いちばんストレスだった学校への電話連絡をやめたことで、わたしはずいぶん楽になった。
むすこを無理やり学校に行かせることを諦めた。



最初はいろんな人に相談した。
先生やスクールカウンセラー、ともだち、親やきょうだい、夫。

常識のレールから外れたことのない人たちにとって、常識のレールを外れることはとても怖いことだ。
親きょうだい夫たちはみな、なによりも常識のレールに沿って生きることを重んじてきた人たちだったので、みな一様に「学校に行かせること」だけが正解だと信じていたし、その人たちにとってそのレールから外れることは「人生の終わり」を意味していた。そんな人たちからかけられる言葉は「早く学校に行かないとこのまま行けなくなるよ」とか「将来就職できなくて引きこもりになるよ」とか脅しのような言葉だった。そこにはむすこの味方はいなかった。

誰かに相談してもなにも解決しなかった。
それどころかよけいに悲しい気持ちになるばかりだった。

わたしは不安で不安でたまらなかった。なにか解決策はないかと不登校関連の本を読み漁った。
「食事を改善すれば不登校が治る」という内容の本を読んで、病院に通ってプロテインとサプリを飲ませた。(おなかを壊して続けられなかった)

「不登校は自尊心のコップが空っぽになった状態だから、こどもをほめてそのコップを自尊心の水で満たしてやったら学校に行けるようになる。そのために1日3つこどものいいところを見つけてこどもに伝えよう」という趣旨の本を読んで、不登校の子どもを抱えるお母さんたちとオンラインのコミュニティーをつくって実践してみたこともある。

ここから先は

1,914字
この記事のみ 残り10/10 ¥ 200

うれしいです!!!!