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損得で選ぶとき、わたしは境界線を踏み外す

わたしは過去に自己愛が強くて、わたしをコントロールするタイプの人と付き合ってきた。

その人たちとの付き合いをいま振り返って考えてみると、たしかに「分岐点」みたいな瞬間があった気がしている。

それはわたしがその人たちとの関係を「損得」を基準に考えて、続けることを選んだあの瞬間だ。



自己愛の強い人たちって不安が強くて常に自分が優位でいたいんだよね。そのために批判したりマウントをとったりわたしに小さないじわるをしたりするんだよね。親身になって相談に乗るふりをしてわたしの不幸話を根ほり葉ほり聞きだしてわたしに同情することで優越感にひたったり。

そんなとき、わたしはチクリと胸を刺されたような痛みを必ず感じてるんだ。

そこに分岐点がある。


その痛みをちゃんと感じて、関係を解消するか、はたまたその痛みをなかったものとして、関係を継続するか。
そこにはいつだってふたつの選択肢があった。

そして今までのわたしは後者の道を選んできた。
そのときの根拠となるのが『損得』なんだよね。

「いじわるだけどいろんなお店を知ってておしゃれな人とつながってるママ友」とか
「めっちゃ競ってマウントとってくるし同情してくるけど、子供ぐるみで遊べて親友というブランドを提供してくれる幼なじみ」とか
「依存的で執着が強くてわたしを陰でコントロールするけど、こどもの父親でいてくれてお金を稼いでくれる人」とか
「本当はわたしのことを好きじゃなくて性欲を満たすためだけに近づいてきたけど、一緒にいるとわたしの知らないことを教えてくれて面白い本を貸してくれて無料で身体を施術してくれる人」とか

心にチクリとした痛みを感じているのに、それを無視して表面的な「得」をとった結果、わたしは自己愛の強い人たちに搾取されてきた。

あの瞬間、わたしは間違った道を選択した。
じぶんの感情を麻痺させて、表面的な「得」をとってきた。

その結果わたしは境界線を踏み込まれてコントロールされてきた。


あの瞬間なんだ。

あたまに損得がよぎった瞬間、そこが自己愛が強い人と付き合う場合のまさにターニングポイントだ。

損得なんて考えず、自分の感覚に素直に従えば、絶対に一緒にいたくない人たち。

それを我慢してまで一緒にいるメリットって1ミリもない。

もしもまた自己愛の強い人と出会ってしまったら、次こそは勇気をもって「損」を選ぼう。

じぶんを傷つけてまでしたい「得」なんてないのだから。

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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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