孤独と友だちになる
私はひとりが好きだ。
ひとりで自室にこもって本を読んだり、手芸や工作をしたりするのも好きだし、
自分の今食べたいものを自分のためだけに作ってひとりで味わって食べるのも至福の喜びだ。
それは「回避性愛着障害」とか言われる症状なのかもしれない。
以前の私なら治さなければと躍起になっていただろう。
でももういいじゃないか。
ひとりが好きなら思う存分ひとりでいればいい。
いつ怒り出すか分からない父親と、何かあっても助けてくれない冷たい母親に育てられて、私は自分の殻に閉じこもるしかなかった。
そうやって育てられたのだから、そうなって当然なのだ。
別に責める必要もないし反省する必要もない。
それが私だと認めてしまえば楽だ。
誰かといると楽しいけれど、心の底からリラックスできない。それは例え我が子でも。
人と居てもリラックスできる自分になれたらどんなに素敵だろう。
そう思わないこともない。
けれど私には人と居て緊張してしまうと同時に
ひとりの時間を豊かに彩る才能がある。
私はひとりで過ごす時間の楽しみ方、味わい方を知っている。ひとりになると感受性が研ぎ澄まされる。自然の美しさを愛でて豊かな気持ちを育てることもできる。
もちろん孤独を感じることもある。だけど孤独さえも人生を豊かにするスパイスなのだ。孤独があるからこそ人といる喜びを感じることができる。そして私はいつだって孤独と共に生きてきた。孤独があるから私は私でいられる。私は孤独と親しい。
遅かれ早かれ人は一人になる。
年老いていくにつれ愛着のスタイルは変化して行くもの。死別や病気を経験することでことで愛着のスタイルが替わることもある。
人と一緒にいるのが好きな人が、晩年にはひとりで孤独に暮らすことになることもよくあることだ。
私はもういつ老年期が来ても大丈夫。
ひとりで楽しくやっていく自信がある。
むしろ早くひとりになりたくて
老後が楽しみでたまらない。
それまではあと束の間、子供たちとの賑やかな時間を楽しもう。
そしていつかひとりになった時、人生を愉しめる健康な心と身体を維持するために日々鍛錬していこうと思う。