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日常を味わう力
コロナになって1週間後、味覚が消滅した。
いわゆるコロナ後遺症というやつだ。
まさか自分がなるとは夢にも思っていなかったので本当に衝撃だった。
ソースたっぷりのお好み焼きを食べても、お肉に焼肉のタレをかけても、ラーメンの調味料を2倍にしても、味は遥か遠くのさざなみ程度しか感じられなかった。
これは私にとって大事件だった。
ここ1年、私は食べるためだけに生きてきたと言っても過言ではない。
辛く苦しい毎日の中で、食べることが私を支えてきた。(多少食べ過ぎではあったけど)
どうやら食べることは私にとっての生きる歓びの大きな部分を占めていたようで、味覚が消滅してから私は生きる歓びを失った。
毎日何をしても楽しくなかった。
いつもは自分でごはんを作って食べたり、本を読んだり、犬の散歩に行って自然に触れたり、体を動かしたり、お出掛けしたり、その全ての行為を楽しめるのだけど、この期間は全く何をやっても「無」。全く楽しさを感じられなかった。
こうなると1日がとても長く感じる。
何をやっても楽しくないから何もやりたくない。何もやらないから一日がとても長く感じて、早く夜になってほしいと願いながらただ横たわって一日が終わるのを待つ日々。
こんなに楽しくない日々は初めてだった。
何をしても無感動なのだ。
私は日常を味わう力を失っていた。
こんな日々が続くのは何よりも怖いことだと思った。
お金が無くても、地位も名誉も無くても、誰からも認められなくても、歳をとって見た目も体力も衰えても、孤独な一人暮らしになったとしても、私は毎日を楽しめる自信があった。
だって私が毎日やっていることはお金もかからない歳をとっても誰にでもできる普通のことばかりだから。
スーパーで安い食材を買って工夫して美味しく調理する。読みたい本はほとんど図書館で予約して借りに行く。(何が届くかワクワクしている)
週に一度は近くの市民プールで泳ぐ。それ以外は犬と一緒に毎日近くの公園と河原を歩く。
一見とても地味な生活だけれども、その全てが私にとってはとても楽しいし私はそれに満足していたはずだった。
なのに突然「日常を味わう力」を失ってしまって私の人生は崩壊しかけた。
心が壊れるのってこんな感じなのかな?と思った。
日常に歓びを見出せない。何をしても歓びを感じられないから、より強い刺激を求めてしまう。それは依存症にも繋がっていくだろう。
まるで心と身体がバラバラになってしまったようだった。
「この自然は美しいはず。」
「子供たちと過ごすこの日常はかけがえのない尊い瞬間だ」
脳みそでは分かっているのに、身体で歓びを感じることができなかった。
結局1週間程度で味覚も生きる歓びも戻ってきた。どうやらまだコロナが回復してなくて身体がしんどかったらしい。
生きる歓びを取り戻した今、何をやっていても猛烈に楽しい!
旬の安い食材を買ってきて自分で調理して美味しく食べる喜びはひとしおだ。味がするってこんなにも素晴らしいことなんだ!私の舌、万歳!ありがとう私の舌。
そして普通の日常生活を送るにもけっこうな体力が必要だということも思い知った。
普段の何気ない日常への感謝がまた一段と高まった。
当たり前に感じる日常の中に幸せを見つける力についてはいつも書いているけれど、日常に歓びを感じる力もまたとてつもなく重要なものだと気付いた。
そしてそれはどうやら身体と繋がっているようだから、やはり身体を大切に。適度な運動と栄養バランスの取れた美味しい食事を心掛け、生きている限りは何とかこの身体と仲良くやっていきたいと心の底から強く思う。
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