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私がこの世で一番怖いのは善良で鈍感な人
義母との関係にずっと言葉にならない息苦しさを感じていた。
その息苦しさがこの本を読んでようやく解明された。
「善良で押し付けがましい人」
それが義母だった。
結婚当初、義母は私に一度の断りもなく、勝手に新居のカーテンを縫ってきて、まな板などキッチン道具を買い揃え、私の服を買い、毎日晩御飯を作って夫に持たせた。
そこには義母の「善意」だけがあった。
しかしそこに決定的に欠けていたもの!!
それは「相手の気持ちの確認」だったのだ。
義母はいつだって私の気持ちを確認しなかった。
自分がいいと思うことは相手にもいいと思い込んでしまうのが「押し付けがましい人」の特徴なのだ。
そしてそこには恐ろしいことに「善意」しかない。
「善意」なのだからいいでしょ?
あなたのためでしょ?
と善意だからこそ相手は遠慮なく他人の領域に踏み込んでくる。
これこそが「バウンダリーオーバー」
バウンダリー(境界線)を超えるということだったのだ。
義母のその「善意」が分かっていたからこそ、私は無碍に義母の行為を断ることができなかった。そこに悪意や下心があればどんなにか楽だったろう。
そして世の「押し付けがましい人」が総じてそうであるように義母も例に漏れず「押しが強くて鈍感で良い人」なのだった。
もう大丈夫です。
もらってばかりで悪いからもういいです。
などと婉曲な言い回しで断ったとしても、それは全て遠慮と捉えられ華麗に跳ね返される。
そんな言葉は意にも止めない無邪気な鈍感さで「押し付けがましさ」は日々強化されていく。
事前にこちらの意思の確認がない。
思い込みが強い。
独りよがりで話が通じない。
無邪気で屈託ない。
そしてそこには「善意」しかない。
それはもう恐怖でしかない。
彼らは一見他人のために見える行動をしているけれど、その善意に身を隠して自分の欲求を満たそうとしている。
そしてその真意に気付くことは永遠にない。
なぜなら鈍感で自分の気持ちにさえ蓋をしているから。自分の気持ちが分からない人に他人の気持ちなど分かるはずがないのだ。
そんな人たちとは離れるのが一番いい。
だけれども離れられない場合も往々にしてある。
(親戚や職場、色々あるよね。)
そんな時はキッパリと自分の境界線を主張しなければならない。
曖昧にして相手の好意を受け入れすぎることは、結果として相手に対して誠実さを欠く行為になってしまう。それはこの15年間で痛いほど思い知った。
「相手に嫌われたくない」というのは誰にでもある感情だけど、そろそろこの感情と決別するときだ。嫌いな相手に好かれる努力は必要ない。よく見極めて今度こそは。嫌いな相手には嫌われてなんぼ。その分のエネルギーは好きな相手と過ごす時間に使っていきたい。
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