見出し画像

わたしにとって自由とは「じぶんで選べること」

いま久しぶりに断捨離をしている。

2年半前、夫が亡くなってから狂ったように断捨離した。
夫の遺品から車、ソファ、ベッド、テレビとテレビボード、イス、食器も半分くらい処分した。

気がつけば気に入らないものばかりに囲まれて生活していた。
それらはわたしが本当に欲しいものではなかった。
わたしが欲しいであろうと夫が考えたものだった。



その時期、徹底的に断捨離しまくって、一年を待たずしてわたしは力尽きた。
死別から一年くらいの間は、衝撃でアドレナリンがドバドバ出ていたのだろう、からだが緊急モードに切り替わっていた。それは「葬式躁病」ともいえる症状だったと思う。やるべきことが山ほどあり、それを怒涛の勢いでこなすことができた時期だった。

その時期が終わり、わたしのからだは完全に力尽きた。
もう一歩も動けなかった。それにともない断捨離も終了したのだった。



あれから一年半、久しぶりに断捨離を再開してみてあらためて感じたことは


「わたしは自由だ」


ということだった。



わたしはいま、本当にじぶんが好きな物だけを所有している。
じぶんが本当に好きな物を、じぶんの好きなタイミングで自由に買うことができる。
気に入らない物は自由に捨てることができる。
必要だと思えば収納をふやすこともできるし、逆に収納を捨てて、余白を余白として残しておくこともできる。


いま、わたしは誰にも自由を妨げられない。

じぶんのタイミングで自由に決断することができる。

わたしの直感を尊重することができる。


こんな当たり前のことが本当にしあわせなのだ。

人は失って初めてその大切さに気づくというけれど、本当にその通りだ。

ここから先は

1,025字

わたしの経験と気づきを赤裸々にお届け。 有料記事3つ読むならこちらのほうがお得! ちょっとしたおやつ食べたつもりで 気軽によってってくださいな。 1記事68円以下だよ〜

わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

うれしいです!!!!