小学生の思い出①
前回、私が場面緘黙症になったきっかけを
記事にしています
良ければご覧ください
場面緘黙症になった私は
家族、叔父、親しい友達としか
話せなくなりました
何か困ったことがあったら友達に言うか
紙に書いて先生に渡していました
こんな私のことを気にかけてくれる人がいるのは
大きな心の支えでした
話せる友達が1人と、話せない友達が4人ほどの
大人数グループの輪に入って小学三年生までは
それなりに楽しめていたと思います
友達と縄跳びで遊んで笑いあっていた風景は
今でも忘れません
しかし、小学四年生の時
私はその大人数グループから
省かれてしまいました
裏切られたあの瞬間は
今でも目に焼き付いていて、声も覚えています
私が何をしたのか、怒らせることをしてしまったか
泣きながら考える日々でした
ぼっちになってしまった私は
学校に行きたくなくなり
仮病を使ってよく休むようになりました
親は先生から
私が学校で話さないことは聞いていたと思います
しかし、先生も親も場面緘黙症のことは知らず
私も知りませんでした
そんな中で親に聞かれました
「なんで学校で話さないの?」
私は当時場面緘黙症のことを知らなかったので
吃りのせいだと思い込んでいました
しかし、吃音症のことも吃りという言葉も知らず
なんと言っていいのかわかりませんでした
黙り込んでしまい、怒られた記憶があります
小学三年生で母を病気で亡くしていたため
少し優しかった父ですが
休みまくる私に我慢ならなかったのでしょう
キツく言われ、渋々学校に行くようになり
休むことも減りました
怒鳴られたくなかったからです
当時はとても辛く、学校では笑わない子でした
でも、大人になった今は厳しい父に感謝しています
あのまま不登校になったら、私の精神力だと
二度と立ち直れなかった可能性があるからです
話は少し戻りますが
唯一話せる友達は
私がグループから省かれた後も
コッソリ私のことを気にかけてくれていました
家が近いということもあって
よく遊び相手になってくれました
母がおらず私1人で家にいるのは悲しいので
本当に今でも感謝してもしきれません
その子曰く、私が省かれた理由は
「○○(私)ちゃんのために省こう」
と、リーダー格の子が言ったからだそうです
どういうことかと言うと
「このまま絡んでても
○○ちゃんのためにはならない」
ということらしいです
正直意味がわかりません笑
喋らない私が目障りだったので適当に理由作って
省いただけだと、私は思っています
裏切られて心はズタズタでした
でも、これが新しい友達と出会う
きっかけでもありました