記憶に関する考察
◼️ふとしたときに、
名称などが思い出せないような事がある。
歳のせいか?だなんて思ってしまいがちだが、
果たしてそうなのだろうか?
そもそも、何故それを思い出せなかったのか?
それはおそらく普段の生活には何ら関わりの無い、
知らなくとも何ら支障の無い名称なのではないか?
また、言った、言ってないという不毛な
口論になることがある。
この場合、言った主張側が正しい場合、
言ってない主張側はそもそもそんな話をした
場面自体を忘れている可能性がある。
何故、かたや一方は覚えていて、
他方は忘れているという事態が生じるのか?
単純な話、言った主張側はその時の会話が
印象的だったのに対して、言ってない主張側には、
特に気に止める程でもない程度の会話
だったのではないか?
そんなことを言うと言った主張側は、
あんな真剣に話し合ったのに悲しいとか
思うかも知れないが、違う人間なのだから
仕方がないと諦めてもらうしかなかろう。
その他にも、言った、言ってないに関わらず、
他方が何事も自分の都合の良いように考え勝ちな
思考回路を持っている可能性がある。
普段の自分からしてガラにも無いような
言動だから、過去においてそんなことを
しているはずがないという思考が、
記憶を塗り替えてしまったり、
こんな話は特定の人としかするはずがないから、
その特定の人に言ったはず、又は特定の人以外には
言ってないと思い込んで記憶を塗り替えてしまう等
万が一こういう事態に陥ってしまうと、
とてもたちが悪い。あくまでどちらの主張も正しい
(と思い込んでいる) のだから。。。
◼️何故人はボケてしまうのか?
(この場合、アルツハイマー等の病に関しては除外)
確かに歳をとれば、体力も落ちるし、
体の機能も衰えてくる。
そして、それらを言い訳にして、
今のままでいいと自分に言い聞かせて、
新しい事を見聞きし、行動することを避け、
行動範囲と行動内容を固定化していく。
それにともない思考も凝り固まっていく。
その結果、脳が働かなくても良いと判断し、
ボケていってしまう。
要は幾つになろうが、
現状に満足せず、知見を増やし、
行動し、考え続けていくべきなんだろうと。
または、いくつになっても楽しめる楽しみを持っておくことか?
けれど、常に気を張っていては疲れてしまい、
その状態を継続していては反動も大きくなる。
だから、程よく休みを取りつつ走り続けるべきなのだろう。
とはいえ、老いには勝てない。
いくら鍛えてようが気を張ってようが、
衰えるものは衰える。
まぁ、それも含めて人生。
楽しんで生きていきましょ!!