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一見素晴らしく見えて、実際は無能な経営者とは、どういう人のことをいうのでしょうか?

KDDI (au) の小野寺正 元社長をノミネートしたいと思います。(ご本人さまには申し訳ありません、ごめんなさい!)

2007年〜2009年、あの当時はまだガラケー全盛時代の延長上で、私は広告代理店の社員としてモトローラ社に出向し、ガラケー製品のPRを担当していました。(カシャッと開閉する懐かしいアレです。当時はその開け閉めがかっこよかったのです!)

新製品(ガラケー)が出ては海外からセレブタレントを日本に来日させて記者会見やイベントを仕掛けたり、ドコモなど各社に挨拶に行き、新製品はデザインがシャープで美しく、写メール(カメラ機能)がこんなに綺麗なんです、などとPRプレゼンをする日々を過ごしていました。当時はSIMフリーも当然なく、大手キャリア企業(3社)の権力は今よりも絶大だったのです。そのキャリア企業にいかに好かれるか、そして何か製品などにトラブルでもあった際には、すぐにお詫びに行って行脚をすることが重要でした。まさに体育会の世界です。

その頃から徐々に、近い将来はスマートフォンという「多機能携帯」の時代がやってくる、またiPhone(初代)という機種が米国で出ている、要注目だ!というような話が業界内で出始めていましたが、一般的には2008年6月のiPhone 3Gの発売ぐらいまではあまり関心もなく、時代は一部を除けば、まだガラケー全盛でした。ただ、当時は尖った感性を持っていたauに関しては、新時代を意識した新しい製品が投入され始め、今のスマホに少し近いような機種も登場し始めていました。(下記の写真のような)

この時代が日本のその後を決める最後のチャンスだったのかも

しかし当時影響力の高かった、KDDI (au) の社長だった小野寺氏は、

「日本人はテンキー入力に慣れており、スマートフォンが日本でどこまで使われるかは検証が必要。日本人へのスマートフォンの投入は時期尚早である。スマートフォンは、法人向けとして今後研究はしていくが、まずは通常の端末(ガラケー)の充実を優先するべき。iPhoneには独自性のある高機能な端末で対抗していく。」

と記者会見で発言し、ガラケー・プラスαな機種の投入を目指していきました。

この発言は、日本とITという観点から、「発展」「自由な創造」「未来の可能性」「多様性」と言ったカテゴリーから通ざけてしまった一因だったと言っても過言ではないと今でも思っています。本来ならばアップルやサムスンに続き、どこか日系企業の1、2社がそれに並ぶ可能性があったのを否定してしまった発言だったのではと、当時を思い出す度に感じています。そしてちょうどその頃、中国は急発展し、IT先進国となって世界を席巻して羽ばたいて行きました。そして日本では相変わらず、社長は生え抜きの偏差値エリート、作業は集団で行い新しいことは潰される、内向きで改革や変化が遅いといった、所謂年功序列・終身雇用的なサラリーマン社会が続いていき、「ガラパゴス」という皮肉な用語も生まれていきました。

今の時代は、「日本人には、日本では、日本人だから。。」と言ったムラ社会的な考え方はその世界を狭めてしまうだけでなく、新しい価値や物事を吸収する機会を奪い、経済を始めとする国力をも削いでいくものだと思っています。当時のKDDI社長の「日本人にはまだ早い」の発言は、非常に重いものだったと思っています。

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