本学と末学の違い
ご挨拶と余談
5月から大学教員の独り言という番組名で朝のウォーキングをしながら収録しています。大学教員の佐々木です。
本番の状況と同じにすることの大切さ
朝5時にウォーキングを開始したんですが、この時間にはもう駅伝の選手たちは練習し始めているんです。素晴らしい!
一般的に、朝起きてから数時間後に一番体が動くとされていることを考慮すると、効率が悪いとも考えられる時間になぜ練習するのか?
本番のレースは朝から行われることが多いから、ではないかと考えられます。
フルマラソンやハーフマラソンの大会に参加された方は分かると思いますが、レースって朝からですよね?
すなわち、いつも夕方練習していたら、一番大事な本番で力を発揮する時間に体が対応していない、となるのです。
テスト勉強にも同じことが言える
このように一番力を発揮したい時と同じ状況にするというのは、テスト勉強にも言えると思います。
聴いたことないですか?「試験会場が母校の人は有利だ」「朝から勉強する習慣をつける」「時間を測って勉強する」
「朝から勉強する習慣をつける」「時間を測って勉強する」このふたつなんて、まさに本番を想定しているわけです。
寝起き直ぐは基本頭がぼーっとしますよね?効率を考えたら夕方ぐらいの頭がシャキッとした時間の方が捗るかもしれません。また、出来るときに沢山勉強したほうが量も確保できる。
けど、本番で似た状況になった場合、いつもよりできなかった….となるでしょう。
普段通りに本番を行う。なかなか難しいですが、習慣化することで出来るようになる。努力すれば出来ることなので、一度試してみてはいかがでしょうか?
本学と末学
今回は二日分の放送の内容を紹介したいと思います。
本学と末学の違いはご存じですか?
本学とは
「人間としてどう生きるか」「どのようにして人の役に立つのか」人格を磨き、魅力を高めること。利他の精神。
末学とは
必要とされる専門的な技能・知識のこと。学校の国語、算数など。
まぁすごくシンプルに書きましたが、自分が思ったのは…
「本学とは人生をどう生きるかの目標を定めるために学ぶものであり、末学はそのサポートになる知識や技術」
すなわち、本学をおろそかにすることは、末学の価値すら失ってしまう。末学ばかりに目が行っている状態は「本末転倒」なんですね。(語源を初めて知りました)
現代教育は末学に偏りすぎている
この放送やnoteを通じて言いたいことは、この一点に尽きます。
なんなら、本学について学べる環境がありますか?と言いたくなるくらいです。
たまに議論にある「義務教育は必要なのか?」の答えは「必要」と答えますが、それよりも「その教育を受けることで、人生がどのように変化するか。」を教える科目が必要なのではないかと思います。
自分も合計21年間、学校で勉強しましたが一回もまともに教えてもらってない気がします。(気づいてない部分もあるかとは思います)
末学でのみ評価される時代
特に学校ではこれを感じます。
テストの成績やレポートの出来が評価に繋がり、受験勉強で末学を朝から晩まで勉強する学生が大半だと思います。
一部はやりたいことが明確にあることで気付けますが、一般的にこの環境では気づけないと思います。だから学生さんが
「やりたいことが分からないから、とりあえず大手に就職する」
みたいな安易な決定をし、就職してから自分には合わないと直ぐにやめてしまうのではないでしょうか。
本学で評価するのは難しい
これは教員側の難しさですが、本学には明確な基準が設けられないため、評価が難しい。さらに、人の数だけ評価が存在する可能性があります。
教員は学校側から評価されることで、給与が決定します。その場合、末学など分かりやすい評価で、教師としての技量が図られ、評価が悪いと退職させられる。
家族がいる方は働かなければ家族を養えませんから、本学を重要視したくても出来ない環境にあります。(自分も大学教員です)
本学も教えれる教員を目指す
日々生活する中で、研究室の学生さんに今何を教えるべきなのか。いつも考えています。教える内容は色々ありますが、私の指導の基準は、
「社会に出ても困らない技術や思考を育む」です。
研究活動は特殊でその活動が就職先で行うことに直結するとは限りません。
ただ、技術や思考はゼロからイチを創り出す研究活動を通して、学べることは沢山あります。
ただ、それは教員がしっかり伝えなければならない。授業よりも大切なことではないかなと考えています。
本日も最後までご拝読頂き有難うございます。
皆様の一日が素晴らしい一日であります様に。
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