わたしに無害なひと チェ・ウニョン
読んだ日:2020年10月頃
まずタイトルに惹かれた。人を無害だとか有害だとかで判断したことがないからだと思う。作者が「無害」という言葉に込めた意味を知りたくなった。
この本は七つの短編で構成されている。主人公が青春期を共に過ごした人との思い出を淡々と振り返る話がほとんどで、ドラマチックな出来事が起きることはない。けれど、彼らが過ごす日常には同性愛者への差別や家族内の軋轢が傍にあり、時折影を差し込ませる。家族や恋人、友人同士など、話ごとに関係性は異なるが、同じ苦しみを共有し、お互いがかけがいのない存在になっていく過程が丁寧に描かれていた。
一度でも大切だと思った人と、ずっと一緒にいられたら、どんなに幸せかと思う。この本の主人公達のほとんどは、大切な誰かと別れてしまう。あとに残るのは、傷つけ、傷つけられ、そして確かに愛した日々の記憶だ。若さ故に相手を見下し、決めつけ、結果的に相手を遠ざけてしまった後悔。仕方がないとあきらめられず、ふとした瞬間に過去に引き戻されてしまう経験は、誰にでもあると思う。これは、私の物語でもあるのだ、と強く思った。故に、読むのがつらく、止めてしまおうかと思った瞬間があった。個人的な経験と結びついてしまうから。
まだ、無害、という言葉にどうして引っかかっているのか、自分でも整理がつけられていない。誰に対しても無害でいるにはどうしたらいいのだろう?生きていく上で、誰かに有害になることは避けられない。それなら、植物や石のように、誰にも影響を及ぼさない存在になりたいと考えることがある(もちろん無理だけど)。その願望は、私にとっては希望であり絶望だ。無害であればあろうとするほど、私という存在は透明になっていく。生きる限り、誰かを傷つけても迷惑をかけても、誰かを求めずにはいられない。悲しいけれど、わたしは無害にはなれそうもない。それならそういう気持ちを、この本に出てくる人と同じように、見つめ続けていようと思う。
2020年12月某日