🆕春風亭柳枝師匠の「鼠穴」を聴く 無筆日記第九筆

コロナ療養明けの、春風亭柳枝を聴きに行く。

柳枝の會（第40回）＠港区立伝統文化交流館
2023年1月13日金曜日 19時開演
牛ほめ　杏寿
五目講釈
四段目　柳枝
～仲入り～
鼠穴　柳枝

柳枝の會＠港区立伝統文化交流館

本来ならネタおろしをする予定だったそうだが稽古が出来ず、そのかわり三席みっちり演る、と直前にツイートしていた。

年始正月だし何をやるのかと思っていたけれど、前半二席は師匠いわく、リハビリ代わりの二席。休んでいたほぼ１週間、芸人にとってはかなりのブランクということだが、そんな倦怠感は微塵も見せないテンポよい噺だった。

口馴しのつもりだろうが、客席から聴いていると「五目講釈」の言い立ても「四段目」の定吉のモノマネ芝居も、小気味よくタイトでポンポンと噺が進んでいく。病後にありがちな全くダルさを感じない。額に汗は浮かんでいたから、多少の緊張感は合ったかもしれないが、普段のいつもの調子を取り戻したようだった。

正太郎時代から師匠の高座の良いところは、「これから古典落語をやります！」と宣言するような、あらたまった高座ではなく、演る方も聴く方も自然体でリラックスして楽しめるところだろう。それが真打に昇進されてからより明確になった。

昨年「ごりんや」の会、上方落語桂福丸さんの会に客演していただいた時の演目が「明烏」だった。正に本寸法、何処からどう観ても聴いても揺るぎない「古典落語」なのだが、時次郎も源兵衛も多助も、生き生きとして、噺の世界にすぐに入ることができ、まるで目の前でコトが起こっているのような錯覚におちいった。こういう親しみやすさが、師匠の高座にはある。

これが柳枝落語の真骨頂だと思っている。

そこで、今回のトリネタの「鼠穴」である。

正月の会といえば、縁起の良い噺をするのが常道だろう。「妾馬」「御慶」「初天神」「薮入り」など。ここでは、なぜそんなありがちな噺を演らず、あえて「ねずみ穴」を演ったのかは、考えない。それは師匠本人に聴くしかないからだ。しかし個人的な想像を許してもらえるなら、上にあげたような、滑稽度が高く客席が笑いに包まれる要素が高めのものより、笑いどころも少なく、登場人物の性格描写が必要とされる演目が、コロナ休養後のリハビリとしてはいいのではないかと思ったのかもしれない（繰り返すが、個人的な想像です）。

師匠自身「鼠穴」を「そんなにのべつ幕なしにやる噺ではない」と仰っていた。が、その第一の特徴は、噺の中で竹次郎の兄に重点が置かれていることだ。

弟には名前があるのにも関わらず、名前で呼ばれることのない兄、これまでの見方、解釈からすれば、弟を窮地に追い込む因業で冷酷な兄と思われているかもしれない。

しかし師匠の高座における兄は、際立って弟に厳しく当たる人物には描かれていない。おそらく世間の酸いも甘いも全て心得ているのだろう。他人からは鬼かと言われているかも知れないが、そうでもならなければ、江戸での商売で生き残っていけなかった。そういう人間を、師匠は等身大に描いている。冷酷というより、むしろ冷静なリアリスト、現実主義者だ。

逆に弟、竹次郎のほうはどうか。人はよいし努力もするが、世間を（舐めてるとまでは言わないが）甘く見ている様子がわかる。金、酒、女に溺れ切羽詰まって、兄に助けを求めてくるのだ。

兄はそのあたりをきちんと見極めて、判断を下す。これが世間の常識ということを示すのだ。その意味で。噺の中で兄に名前がないのは、兄の存在そのものが「世間」だから、ということに違いない。

これまでの「鼠穴」だと、竹次郎の方に共感や同情が生まれることが多かったかもしれない。しかし柳枝師匠の高座を聴くと、そのを少しだけ見方聴き方を変えてくれて、噺の世界をより深く掘り下げ、奥行きを出し、幅を広げてくれる。

昨年、新宿末廣亭で主任を演った時に聴いた「浜野矩随」もそうだったけれど、「鼠穴」の兄同様、仇役と思われる登場人物（「浜野矩随」では古道具屋）が秀逸。性格や背景の描写が念入りに成されているので、物語に奥行きが出てきて、より味わい深くなっている。

このことは人情噺にはより必要なことだ。例えば柳家喜多八師匠や、先代金原亭馬生師匠の「文七元結」。ここで登場する遊郭「角海老」の女将。長兵衛の娘を匿い、長兵衛を諭す役回りだが、一方で女郎屋の女主人。約束を違えたら容赦しないという冷徹さを併せ持つ。ここが上手く描かれていないと、物語に深みも奥行きも幅もでない。それがなければ、単なる字面を追った物語に過ぎなくなる。

柳枝師匠、真打になられてからも精力的に会もやっていて、演目にも興味深いものが多い。前座から二つ目に上がられたころを知っている者としては、人物的にひと回りもふた回りも大きくなられたように見え、感慨深い。しばらくは高座を拝見しつつ、その豊かな噺の世界を味わいたい。