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🆕笑福亭呂好さんの「盆唄」を聴く 無筆日記 第十筆
2023年1月17日火曜日18時50分開演
木馬亭ツキイチ上方落語会@浅草・木馬亭
鰯売り 楽太
初天神 源太
盆唄 呂好
~仲入り~
来て!観て!イミティ村 太遊
宿屋仇 雀太
噺家さんがある噺を何べん演っていても、観客によっては、その演目が初めてでとても新鮮な場合がある。今回聴いた笑福亭呂好さんの「盆唄」もちょうどそんな演目だった。
呂好さんの落語、初めて聴いた。なんの予備知識もなく高座に接したのが良かっただと思う。「盆唄」ととても印象深い噺の世界に入っていくことが出来た。
「盆唄」は、もともと「ぼんぼん唄」という江戸落語。それを当代の桂文我師匠が関西以西の新年正月の行事である十日戎(えびす)から、夏のお盆にかけての噺に仕立て直した。
噺は子供が授からなかった夫婦のまえに現れたひとりの女の子。自分では迷子というが、夫婦はこれこそ普段からの信心のおかげと喜び、自分の娘のように可愛がり育てようとする。が、それも長くは続かなかった…。というもの。
江戸時代から明治になって、俗説が信じられていた頃。お盆にはご先祖様が帰ってき、「かどわかし」や「神隠し」が、世の親に取っては怖れの対象であった頃。一方で子供のいる、いないが、家族の価値観、意義を決めていた世の中。
呂好さんは、まず「これは電灯というものがなかったころのおはなしです」と切りだし、お盆が来ると「遠国*」という唄を、子どもたちが唄いながら、町内を廻るのですと、マクラを振って噺に入る。
*「遠国」に関しては、折口信夫がこう書いている。
私が大阪で育つた頃、まだ遠国ヲンゴク歌を歌つて、小娘達が町を練り歩いて居た。此は盆の踊りの一つである。
こんな不思議な雰囲気を背景に、噺は進んでいく。呂好さんの語り口は、上方でいうところの「もっちゃり」としているが、子供のいない夫婦がお互いに持っている、言葉にするまでもない、蟠り(わだかまり)と慈しみ(いつくしみ)、哀切(あいせつ)をうまく表現していて、とても感情移入し易い。
ところで、オリジナルの「ぼんぼん唄」は志ん生の録音が残っていて、CDにもなっている。今では立川談四楼師匠や三遊亭萬橘師匠が演るということだが、滅多に聴くことの出来る噺ではない。Youtubeでは、志ん生の孫弟子の古今亭駿菊師匠が上野鈴本演芸場で演ったときの映像がある。それを観ると、いかにも古今亭らしいハキハキした口調の噺になっていて、上方版で感じるような哀切さはあまり感じられない。
ちなみにそこでの夫婦の会話でお互いに「畑が悪い、鍬が悪い」といういいあう場面があるが、これはこのまま、同様に子宝に縁のなかった老夫婦が登場する、五街道雲助師匠の「夜鷹そば屋」に引き継がれている。
閑話休題。
呂好さんの語り口は、常に淡々としていた。が、上方落語のショーケースのようなこの会で、しかも仲入り前、他の噺家とのバランスを考えれば、かなり難しいネタ選びになる前提で、こういう噺を口演するというのは、演目自体によっぽどの自信がなければ出来ないだろう。しかも東京においては全く馴染みのない噺。実際仲入りで、「今、よかったけどあれ、なんていう噺?」という会話が、客席のアチラコチラから聴こえてきた。
サゲ近く、女の子を実の親に返して、トボトボと家に戻る夫婦のうしろ姿。決してハッピーエンドとは言えない結末だが、すっかり彼らにシンパシーを抱いた観客は、そこにハッキリと二人のすがたを脳裏に焼き付けたに違いない。呂好さんの芸はそれがキッチリと出来る。いわゆる「正面を切る」ことが出来る噺家だ。
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