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【掌編小説】はナび

 『エレファントマン』という映画をご存知だろうか。
 奇形により象に踏まれたような顔で生まれたせいで『エレファントマン』と呼ばれていたジョン。ジョンはその顔を商売道具に、見世物小屋に立たされていた時、客で来ていた外科医であり、後の親友となるフレデリックと出会う。2人の関係が深まる中でジョンは本来の人間の温かみを知っていくーーそんな絵空話だ。
 何百回と見た。夢を見るような気分で作品に浸った。だからこそ、僕の元にフレデリックが現れないのだと、痛いほどーーいや、痛みも麻痺するほど、理解している。
 ただ、魔が差したのだ。
 見知らぬ者同士が笑い合い、打ち解け、同じ踊りを踊って、同じ花火を見る、夏祭りの場でなら、フレデリックとは言わずとも、友達ができるんじゃないか、って。
 
 どぉん。初めて間近で聞く花火の音に、体ごと揺れた。
 そして、夜空に、星より明るい大輪が咲いた。
 花火だって、花と呼ぶには歪んでいる。
 奇形だーーそれが美しかった。

 奇形で生まれたことは、見世物行商をやっている父にとって、神の授けものだったらしい。
 「お前はうちのエースになるんだ」と日ごとに言われて、早々に他の団員ーー蛇を呑み込む蛇女や、炎を呑み込むMr.フレイム、無数の虫を呑み込む原始人などーーに紹介された。かといって、玉のように可愛がられてきたわけではない。
 学校には「商品を安売りしたくない」と行かせてもらえず、日がな、何かを呑み込む稽古ばかりさせられた。おかげで今は金魚くらいなら簡単に呑み込める。
 でもいいんだ。学校に行っても、化物扱いされて怖がられるか、苛められるかのどちらかだったから。
 他の団員には、妬まれた。
「お前は顔を見せるだけで客取れるんだから楽だよな」が、毎日の挨拶だった。
 妬まれる筋合いはなかった。だって、団長、つまり父はなにか技を習得しないと舞台には立たせない、変にストイックなところがあったから。なにも技を持たない僕は客の取りようがないんだもの。
 でも、今日から妬みを真正面から受け取ることになるかもしれない。
 火の輪くぐりを覚えた。10歳の夏だった。
 僕は、見知らぬ土地の夏祭りで初舞台を踏むことになったのだ。

 緊張はなかった。自分の顔が怖がられることも嫌ではなかった。それが商売なるらしいから。
 赤と青がはっきりしたプリマを足に着けてるような奇妙な服を着て、袖で待つ。
 舞台に立つ直前、僕を呼び出す口上を言った父が、耳元で「頼んだぞ」と囁いた。
 なにも響かなかった。なにを頼まれたんだろう。
 それよりも、僕の後ろで父が袖の団員に溜め息まじりで笑った「長かった、金になるまで」って言葉の方が響いたよ。

 夏祭りに遊ぶフレデリックと、僕はなぜこうも違うんだろう。
 そうじゃない、フレデリックなんていないんだーー。
 
 今まで麻痺していた痛みが疼き出す。
 消えたい、と、逃げたい、と、外に出たい、は、全て別の意味だけど、そのどれもが出口へと僕を走らせた。
 一心不乱。僕の肩に火の輪が当たり倒れるも、振り返らなかった。
 客の悲鳴が、自分の顔へのものなのか、火へのものなのか、わからなかった。でも、どうでもよかった。

 随分遠くまで走ってから、やっと気付く。夜風だ。普段なら生ぬるいのに、今は誰かの体温のように感じる。
 小屋の外には、絢爛たる怪しげな灯りが連なってた。屋台の行列だ。
 僕は甘辛いソースの匂いに手を引かれたけど、焼きそば屋に向かう途中で、紅い艶に目を取られた。
 りんご飴だ。一度も食べたことない。
「坊主、面白いとこに口ついてんなぁ」
 急に同じ目線で話しかけられて、驚いた。目の前にりんご飴屋のおじさんの顔がある。それは、馬鹿にしているでもなく、怖れているでもなく、優しい顔。
 ああ、思い返せば、僕は小屋を出てから一度も怖がられてない。不思議。
「その口に、サービス」
 おじさんがりんご飴を手渡してくれた。でも、手が伸びない。怖がられない現実が、疑わしい。
「イぃんデすか……?なンで」
 僕はぐちゃぐちゃで横を向いている口を動かして、聞こえるように言葉を発した。
 おじさんは笑った。
「なんでもなにも、見世物の人だろ? お疲れさん。それにそんな物ほしそうに見てる小僧っ子をシカトできるほど、鬼じゃねぇよ」
 おじさんがもっと大きな口を開けて笑った。
 りんご飴を受け取る手が震える。
 おそるおそる舐める。甘い。
 当たり前だけど、甘いのだ。
 
 どぉん。
「おお! はじまったな」
 おじさんの声に被さって、もう一発。
 どぉん。初めて間近で聞く花火の音に、体ごと揺れた。
 そして、夜空に、星より明るい大輪が咲いた。
 花火だって、花と呼ぶには歪んでいる。
 奇形だーーそれが美しかった。
 花火に見とれて、僕の顔にも、炎を上げる小屋にも、誰も見向きもしていない。
 僕が泣いていることにだって、誰も気付かない。

 ずっと、花火が上がり続ければいいのに。
 ずっと、お祭りだったらいいのに。

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【罪状】無銭飲食

りんご飴の料金を払っていないため。

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