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【短編小説】血色(+ご挨拶)

 人間にとって、この国は実に暮らしやすい。

 某国は、貧富格差の元で息づいていた。
 貧民は、隙あらば富豪に盗みを働き、時に殺人を犯した。富豪たちは貧民に対する人権を認めず、やがて貧困集落から奴隷として買い取るようになった。更に富豪が拳銃で貧民を殺そうが何も咎められなくなった。政府が何も言わないのは、同じことを彼らもやり始めたからだ。
 金のない者は殺される。そういった一般国民の恐怖心は、自らの子を奴隷として売りに出す引き金となった。命を乞う国民の数だけ奴隷は増え、同時に奴隷のビジネスが生まれた。奴隷買取業、奴隷卸売業、 奴隷販売業……奴隷という商品は金になった。奴隷という道具は使い勝手が良かった。
 同じ色の血を流す者が、人間と道具に区分された現代国家。

 人間にとって、この国は実に暮らしやすい。


【一日目】

 奴隷問屋は、富裕を鼻にかけた街の大通りで、トラックの荷台を開いた。瞬間、強い香水の臭いが北風を 侵食して周辺に広がる。
 荷台に積まれているのは、十三人の奴隷。髪の色、肌の色、瞳の色まで様々で、下は五歳から、上はその母親ほどの年齢と幅広い。共通しているのは手枷、足枷、取り敢えずの化粧と安価なドレス、そして全員が女性 であるということだ。
 奴隷商人は荷台を覗き込み、品揃えを一通り見渡すと顔をしかめた。
 幼女とは、素直である。思い通りにいかなければ、感情のままに怒り、泣き、そして反抗する。奴隷であってもこの特徴は幼女に当てはまる。幼女の売り上げの大半を占めている中高年男性が求めているのは、この反抗だ。中高年の富裕層は既に仕事場においてある程度の役職に就いており、出る杭を札束で叩ける地位にいる者がほとんどだ。反抗する者を意のままに抑え付けられる彼らにとって、金の価値など知らない幼い奴隷の反抗はよい刺激となるのだ。主に夜中の行為でその効力を発揮する。
 絶叫しながら肉体全てを使って拒絶するひ弱な幼女の股には、暴力でこじ開けられる旨みがある。絡むほどに心身壊れゆく幼女にもまた違った風情があり、壊れ「果てない」旨みがある。『生かして一興、殺して一興』、誰が言ったか、その言葉はいつしか幼女奴隷を売る常套句となっていた。
 この街の年齢層と収入を調べ上げ、商人は卸しに最も売れるであろう幼女を多く仕入れてくるよう頼ん だ。予想を大分下回る幼女の数に、商人の口から思わず呆れ声が漏れる。
「四個……」
 問屋は言いにくそうに返す。
「私が仕入れる時にはもう、まともなのが五個しかなかったんですよ」
「五個?」
「一個は体洗ってる最中に逃げようとしたんで撃っちゃいました。だからこれ、お詫びということで」
 商人は、喉元まで出掛っていた「管理問題で訴えるぞ」という言葉を堪え、問屋がおずおずと差し出すチーズ詰め合わせを受け取る。横から聞こえる問屋のチーズに対する賞賛を打ち消すように渋い顔で言う。
「香水の臭い、キツくないか? なんか、トイレみたい」
「今回暴れる娘が多くて。だからろくに洗えてないんですよ。臭い消しですね」
「まあ、すえた臭いよかいいけどさあ……あと、あれ」
 商人はある幼女を指差した。つられて、問屋は指し示す方を向いて問う。
「金髪の娘ですか?」
「違うよ。その横のほっそい釣り目。小さいやつ。あれはないよ」
 注文通りの幼女へ文句を言う商人に、問屋は怪訝な目を向けた。その視線にため息をつき、商人は人差し指に力を入れ問い掛ける。「あれはブスか?」
「いやあ……微妙ですね」
「そこだよ」
 商人は振り向いて背広の懐からボロボロの茶封筒を出して、中の紙幣を数えながら問屋に説く。
「行き着くとこまで行ったブスなら、マニアとか見世物小屋とかの買い手がつくけど、あれはダメだ。ああいう中途半端なブスが一番売れないんだから。ほれ」
 そこから数枚紙幣を引き抜いて封筒を差し出した商人に、問屋は目を丸くして訴える。
「これだけ!?」
「こんなもんでしょ、一個ダメにしちゃったんだもん。いつも買ってやってるよしみもあるし。文句あるなら買わないよ」
 問屋は不満げな唸り声を小さく上げ、それをポケットに詰めながら当てつけるように言う。
「いい加減財布くらい買ったらどうですか」「給料なんて家計に回すので精一杯だよ。小遣いは少ないし」
 個人商売なので、商品を売った分だけの利益がそのまま自分の収入となる。価格が犬や猫と変わらない安価奴隷のセールスマンであっても、売り切った際の収入は仕入れ値を差し引いても相当なものとなる。
 相場よりも一割ほど安く売っている大道商人の彼でさえ、収入は会社員の平均収入を倍にした数値よりも上だ。しかし、金遣いの荒い妻と、大学進学を控えた双子の息子、私立小学校に入学予定の一人娘がいる。彼の収入のほとんどは学費と、妻の歳不相応に派手な装飾品に変わってしまうのだ。
 問屋は含み笑いをしながらこぼす。
「それでも財布ぐらい買えるでしょ」
「もうこのスタイルに慣れちゃって。財布から金出すのが、なんか、気持ち悪いんだよ。それより、こいつらのリスト。あと車の鍵」
 商人が思い出したようにそう言うと、問屋は慌ててショルダーバッグの中から奴隷の顔写真と名前、出身地、生年月日などが記載されたリストを取り出して渡した。ほとんどの奴隷がスラム街の出身で生年月日不明である。
 問屋はポケットからトラックの鍵を取り出して、笑ってごまかしながらそれも手渡す。
 奴隷の保存方法は各商人によって様々である。この商人の場合は、問屋から奴隷が完売するまでトラックを借りて、その冷暖房が完備された荷台の中で保存する。同時に大量の飼料と水も仕入れ、奴隷の栄養を補う。商人は状態管理以外にも、常に逃亡や自殺なども阻止しなければならないため、共に運転席で寝泊まりする必要がある。
 帰宅できないその期間中、当然ながら彼は家族に会うことができない。特に娘に会えないのは彼にとって非常に苦痛であり、最近ではわざと仕入れ個数を少なくしたり、早い段階で値引きしたりして、仕事を早急に切り上げようとするほどだ。
 しかし、その期間を彼の妻は良しと思っていた。不倫相手に余裕をもって会えるからだ。そして彼はその行為を知っていた。半年前、娘の「パパのお友達っておじいちゃんなんだね」という無邪気な一言により判明した。娘に掘り下げて聞いてみたところ、厚化粧をした蝶みたいな妻と三人で仲良く、ホテルで随分と高そうなディナーを楽しんだというのだから間違いない。
 妻が娘を同行させた理由を、彼は容易に推測できた。離婚だ。妻は自分より収入のいい新しい伴侶という名の金づるを見つけたのだ。
  妻と別れられるなら彼も望むところだ。しかし、妻が握っている娘の親権だけがそれを踏み止まらせていた。 
 問屋は鍵を持ったままリストをパラパラとめくる商人に、素朴な疑問を投げかけた。 「でも、そんなの何の役に立つんですかね。奴隷になったら、こんなの気にされるわけないのに」
 商人はリストを見ながら単調に返す。
「歳を基準に買う人とかスラムは嫌だとか言う客もいるの。そういや、暖房直してくれた?」
「運転席見ましたけど、壊れてなかったですよ」
 とぼけたように言う問屋の頭を、商人はリストで強く叩き尖った声で言った。
「違うよ、荷台の方だよ! 俺が寒いのはどうでもいいんだよ! 今は作動してるみたいだからいいけど」
 苦笑しながら自分の頭をさする卸しを横目に、商人はリストをめくり続けるが、少しして手が止まる。 愛娘の名前「アイリ」を最後のページに見つけたのだ。写真には、先ほど指差した釣り目の幼女。商人は幼女の奴隷に目をやる。よく見ると身の丈も娘と同じくらいである。何よりも黒いくせ毛が娘にそっくりだ。
 商人の脳裏で娘と幼女の奴隷が薄く結びつく。
 奴隷と目が合う。とっさに目を逸らす商人。リストをトラックの後輪に立てかけ、腰のホルダーから拳銃を抜く。それを左手で奴隷たちに向け、右手で手枷同士を繋ぐ鉄鎖を引っ張って荷台から降りるよう指示した。しかし、ほとんどの奴隷が微動だにしない。
 問屋は驚いた声で問う。
「化粧直さなくていいんですか」
「こういうのは新鮮なうちにーー」
 商人は空に拳銃を三発放ち「売った方がいい」と続けた。三発の銃声は奴隷への脅し以外に、近辺に奴隷売り開始を知らせる合図となる。
 商人は奴隷の見栄えを偽りであっても美しく保たねばならない。そうしなければ、見た目勝負のこの商売では買い手がつかないからだ。
 日々の化粧は商人が担当する。普通の商人なら、高価な化粧品を使って仮面の如く化粧をするが、彼は化粧に時間と金をかけない。より安く奴隷を売るためのコスト削減だ。これは彼の商売の腕が伴って為せる業である。
「あとさ、俺はすっぴんでも売れるから。ほれ、手伝え」
 商人が自慢げに言いながら半ば強引に鎖を引っ張ると、荷台からのそのそと、とぼとぼと、亡霊のように奴隷たちが降りて来る。放心している奴隷は問屋にも手伝わせて、力ずくで降ろす。
 恐怖でえづき震える者、音にならない泣き声を上げ続ける者、半笑いで虚空を眺める者。俯き黙りこくるアイリという名の奴隷も降りて来る。通りの端にそれらの奴隷が横一列に並んだのを確認すると、商人は咳払いをし、叫んだ。
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 冷えた寝床に人肌はいかが! イキのいいのがより取り見取りだよ! さあさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」
 彼の飛び切り通った声は、貴婦人を押しのけ、悪趣味な成り金たちの元へと届いた。

 おとうさんを忘れよう。おかあさんを忘れよう。私は奴隷として生まれたんだ。
 絵本を忘れよう。お人形を忘れよう。私は使わない、私は使われるんだ。
 温かい声を、手を、肌を忘れよう。私に血は流れてないんだ。
 
 商人のおじさんが私を見て、早く死ねよって、瞳で唾を吐きかけた。

【四日目】

 中高年の男性たちが奴隷を囲むそれは、糞に蠅が集っているさまに似ていた。
 既に奴隷の在庫は六個となっていた。中でも、幼女の売り上げは好調で、残りは元々あった四個の内一個だけ。商人の予想通り、売れ残った奴隷はアイリである。
「小さい娘を買いに来たんだがね」
 細身の老人は足元にトランクケースを置いて、かすれた声でそう言った。旅の帰りなのか、そのトランクケースは膝の高さまである大きなものだ。 商人は気味が悪いほど満面の笑顔でそれに対応する。
「あ、お客さんついてます。今、丁度一個だけ五歳の娘がーー」
「この娘だけか」
 商人の言葉を、老人の口から漏れた落胆の声が遮る。商人は焦って早口で売り込む。
「この娘はスラム出身じゃないのがウリでして、今時血統書付きの奴隷なんてレアですよ。また名前も可愛くてーー」
「そんなのは何でもいいんだよ」
 場が静まり返る。老人の怒気のこもった呆れ声と睨みに対し、商人は言葉が返せず身じろぎするばかりだ。老人は続けた。
「君は鉛筆の産地を気にするか? 名前なんて気にして買うか? 私は使い勝手すら気にして買ったことがないよ。当然だ、鉛筆は我々に使われる以外の存在理由がないからね。
 私が許せないのは使われる側の物が、我々を見下した目をしていることだ。幼いくせして、先の人生を悟っているかのような目だ。まだ人間気分でいるこの目だよ。この娘は人を不幸にするよ」
 奴隷のアイリは老人を睨んだ。アイリがしている、右手の爪で左手の指の甲を引っ掻くその仕草は、表情に出ていない悔しさを表しているようだ。
 老人は奴隷を鼻で笑い、トランクケースを持ち上げて、去り際に更に続ける。
「とはいえ、奴隷に『目つきを変えろ』なんて言っても聞かんだろう。指導なんて愛情、道具に向けるだけ時間の無駄だよ。君は運が悪かったと思いなさい。小さい娘を仕入れたらまた呼んでくれ。私はこの近所に住んでいる」
 街中に去って行く老人の背筋は、老いを感じさせないほどに凛としていた。
 彼が去った後も依然場は冷めたままであり、商人は売り出すタイミングを見失っていた。そんな中、一人の肥えた男性が明るく注文する。
「あんな奴も商売やってりゃ出て来るさ。この娘の名前は?」
 男性が怯える金髪の若い奴隷を指差す。商人は慌てて名簿をめくり、名前を答えた。
「キャリーです」
「キャリーちゃんを貰おうか」
 男性商人は威勢よく「毎度あり」と答えて金額を続ける。「手頃だな」と笑顔で金を差し出す男性に、表情が緩む商人。
 金を受け取ると商人はその奴隷の手枷足枷に付いている鎖を外す。
「さあ、キャリーちゃん、ここは寒いだろ。家で一緒に温まろう。さあーー」
 男性が生温い声で奴隷の手を掴んだ瞬間、奴隷はつぶれた悲鳴を上げ腕を振り回し始めた。男性は一瞬驚いたが、すぐに元の笑顔で鼻息荒く奴隷を舐めるように言う。
「ハハ。大丈夫、何にもしないよ」
 再び手を差し出す男性に見向きもせず、奴隷は悲鳴を上げ足をよろけさせながら暴れ続ける。
「元気のいい娘だ」
 男性の冗談めいたその言葉は、奴隷の悲鳴で周囲に全く聞こえない。それでも笑う男性の額に振り回される手枷が降ろされる。
 小さく鈍い音が鳴ると、男性は額を抑えながら少々よろける。痛みの中で、男性は抑える手に不快なぬめりを感じる。咄嗟に手に目をやる男性。目を見開いて、凍りつく。唇を震わせて、呟く。
「血……」
 奴隷を止めようと身を乗り出した商人の目の端に、銃を抜き出す男性の姿が見えた。

〈パンッ、パンッ〉

 銃声と共に、奴隷は声を失って背中から倒れ込む。倒れて痙攣する奴隷にまた一発撃ち込む。男性は重い足取りでその死体に近付き、死体の口から出る真っ赤な血を顔面ごと踏みつける。
「奴隷が一丁前に赤い血流してんじゃねえ」
 男性は怒鳴り散らしながら奴隷の顔を踏み続ける。血が飛び散る度、他の客はその場を退く。他の奴隷は歯を食いしばって震えたり泣いたりしている者がいる中、半数はこの状況に無反応だ。
 男性が疲労で足を止め息を切らして周りを見た頃には、他の客は誰もいなくなっていた。
 たった一人残された男性は、助けを求めるかのように商人に尋ねる。
「今の、暴れたままだったら危険だったよね」
 商人はひきつった笑顔で答える。
「お金を貰った時点でお客さんの物ですので、好きなようにしてーー」
「 そうだよな! ありがとう! 何か汚しちゃってすまないね。お詫びに今度また来て買うよ」
 そう言って手を振りながら、男性は腹の肉を揺らして小走りで去って行った。
  商人は男性のでっぷり肥えた姿が見えなくなると、舌打ちをして、奴隷たちの鎖を引っ張り荷台へ誘導 した。店じまいだ。一度客を引かせてしまった今、その日の内に再び集客するのは難しい。
 全員が入ったことを確認し、荷台の扉を閉め強固な錠をかける。その足で助手席から黒いビニール袋を引っ張り出し、ついでに運転席と荷台の暖房も入れる。横たわる奴隷の死体を、その袋に小言を吐きながら詰め始めた。
「苦情に……殺しに……厄日だな……」
 表情からはだるさが滲み出ているが、慣れた手つきだ。素早く詰めると、袋の口を固く結んで肩に背負う。
 商人は近場のゴミ捨て場を探して、とぼとぼと街中に歩いて行った。

 悔しかった。
 消し去ったはずの人間気分が、まだ残ってるって言われたことが。
 そして、まだ私に悔しいって感情が残っていたことが。
 悔しさを捨てたいのに、怖さを捨てたいのに、悲しさを忘れたいのに。まだ。

 人間気分のお姉さんが、死んだ。死にたくないと思ってしまったことが悔しかった。

【十四日目】

「そう、パパ来週までには帰ってくるから……旅行? ママとアイリと二人で? ……そうなんだ……うん、パパの友達」
 商人は携帯電話で娘のアイリと話していた。いつもならば遅くとも十日ほどで帰宅する父が二週間経っても帰って来ないと、娘が電話を掛けて来たのだ。相思相愛でありながら、娘の親権は稼ぎに巣食う妻にある。やるせなさが商人の笑顔を悲しげにさせた。
 甘ったるい声で「じゃあね」と言うと、愛しき娘の声から耳を離す。携帯をポケットに入れながら横で俯く幼い奴隷を睨み付けた。
 商品を全て売り切ってから帰宅するのが彼のスタイルだ。彼の帰宅を阻んでいるのは一つの幼い奴隷だった。
 先週、商品は彼女を残して完売したため、商人は彼女一つを売るためだけに七日間道端に立っていた。 商人の前を通りかかる全ての人に声をかけたが、一向に結果は出ず、商品が一つだけとなり身軽になったため、中心街まで足を伸ばしキャッチセールスにも試みたが、見向きすらされなかった。彼の彼女への苛立ちはだんだんと募ってい き、その不機嫌が態度に現れ始め客を更に遠のかせた。娘から電話が掛かってきたのはその頃だ。愛らし い娘の声は、商人にとって一時の癒しとなったが、その分、通話後の怒りを増幅させた。
 商人は奴隷に向け低い声で重く言う。
「なんで売れねえんだよ」
 アイリは俯いたままだ。声に反応した素振りは微塵もない。商人は我慢ならず、彼女の顔面間近で怒声を発する。
「スラムじゃねえからっていい気になるなよ!」
 アイリの顔に商人の唾が飛ぶ。彼女は商人と目が合っているにもかかわらず、何一つ反応がない。目さえ開いていなければ、死んでいるのかとさえ疑えるほどに。
 彼女のその態度は商人の怒りに追い打ちをかけるばかりだ。商人が拳を振り上げた時、アイリの手にある見覚えのある仕草を見る。指の甲を引っ掻く仕草。娘が怒りや悔しさを抑えている時の仕草である。商人の前に今立つのは、紛れもなく怒られている時の「娘」のアイリだった。 商人は放つことが出来ない拳を降ろして、代わりに言葉を強く叩き付ける。
「お前が商品じゃなかったら殴れたのにな」
 畜生と胸の内で続けた時、商人の怒りを冷ますかのように、手の甲に白いものがひらひらと舞い落ちる。
 雪だ。それも、次々と止むことなく降って来る。時折商人の肌に刺さる北風が、彼の怒りを、愛娘と奴隷を重ねてしまったことへの虚しさに少しずつ変えていく。
 離婚とともに近付く娘との別れ。娘との時間は限られているのに、会うことが出来ない。俯き、商人は娘を想っていた。
 鼻水を鼻の奥ですすり商人が顔を上げると、それを無表情でじっと見つめる娘、アイリと目が合う。その目が奴隷のものだと気付き、益々込み上げる悲しみ。咳払いでごまかして、小さく呟いた。
「寒っ……」

 私だってスラムに生まれたかった。
 そうしたらもっと簡単に奴隷になれたのかもしれないし、簡単に買われたのかもしれないし、簡単に殴られたのかもしれない。
 奴隷に向けるだけ無駄な指導なんて愛情、向けられなくてすんだのかもしれない。
 商人のおじさんに唾を飛ばされた。
 それが愛情じゃなくて、憎しみであれ。


【二十日目】

 砂漠はお天気 砂が固いよ 風が冷たいよ
 遠くからかいじゅうさんたちが歩いてくる
 おしゃべりしましょ かいじゅうさん

「なんで生まれて来ちゃったのよ」
 おかあさん
 あたしだって生まれたくて生まれたんじゃないよ

「稼ぎもないのに食ってるんじゃないよ! あんたのせいで奴隷になったらどうすんのさ!」
 おとうさんはいつ会社から帰ってくるの?
 お仕事してるんじゃないの?

 あ かいじゅうさんの足元から
 小さなネズミさんが……チュウちゃんだ
 あたしの大好きなチュウちゃんーー

「女一人売ってこれだけしか貰えないの!?」

「寒っ!」
 アイリは、荷台を開けた商人の声と、外から吹き付ける北風によって目覚めた。涙が凍って開き辛くなった目を開ききる頃には、商人が荷台のエアコンの前で悶えていた。
「止まってるよ。これ、もう潮時だろ」
 ぶつぶつ独り言を言いながら荷台から出ていく商人。少ししてエアコンが重くけたたましい音とともに 停止する。商人が運転席から電源を切ったのだ。
 すぐさま商人が戻ってきて、薄い毛布をアイリに投げて言う。
「今日は雪がひどいから、中止」
 荷台に上がって、扉を閉めた。商人は睨むアイリの横に座り、ショルダーバッグからチーズの詰め合わせを出し放る。続けてウイスキーの小瓶を取り出して、アイリに見せ付けながら「暖房器具」と言って蓋を開けた。商人は既に酔っていた。
 一口酒を含むと、商人はアイリに問うた。「俺、なんでこんなに喋るかわかる?」
 アイリは依然睨むだけで、何も答えない。商人はアイリの肩に手を置いて、ため息交じりに言う。
「お前、二十日も独りでいてみろよ。嫌でも喋りたくなるよ」
 無反応なアイリに対し、なぜか嬉しそうに続ける。
「あとさ、喋ってると温まるじゃん」
 商人はひとしきり自問自答をした後、チーズの詰め合わせを無造作に開け、一つ摘まんで自慢げに言う。
「知ってる? これ。チュウチュウチーズ。美味いよ。俺も好きだけど、娘の方がもっと好き」
 チーズを頬張り、ウイスキーを一口。
「一般家庭で育ったんでしょ。ここが出してる絵本読んだことない? チュウってネズミが雑食の怪獣にチーズの消費期限説くっていう奇天烈な内容の。結構有名なんだけど」
 アイリの反応などお構いなしに、商人は語る。
「でもさ、ここ酷い企業らしいよ。ばんばん社員作って、ばんばん社員殺しちゃうんだって。単調な仕事を朝から次の日の朝まで、休みなしでやらせて。それで、極めつけは、『お前らみたいな他で働けないクズを使ってやっ てるだけ感謝してほしい』っていう社長さんのお言葉よ。使うって。人を道具みたいに」
 ウイスキーをまた一口飲み、口の中で軽くげっぷを吐き出す。チーズを二、三個掴んで、アイリに差し出した。彼女はチーズ会社に勤務していた父を思い出したからか、潤んでしまった目を商人から逸らす。
「いいよ、食べて。名簿に書いてあったけど、お前今日誕生日らしいよ」
 チーズに見向きする素振りがないアイリの手に、チーズを無理やり掴ませるが、アイリはそれをすぐ 壁に向け投げつける。商人は「あーあ」と間延びした声を上げると、ウイスキーを飲んだ。呂律が回っていない舌足らずな口調で言う。
「そういうアクションをなんで客の前で出来ねえのかなあ」
 首を横に振りながら、鼻でため息をついて続ける。
「お前が化粧栄えしない理由を今後のために研究しよう。な」
 アイリの肩を軽く叩いて、商人はショルダーバッグから化粧道具の入ったポーチを取り出し、おもむろ に彼女の化粧を始めた。しかし、酔っているせいで手元がおぼつかない。雑ながらも素早く手を動かしながら商人は言う。
「俺の娘もこういう風に自分で化粧する日が来るのかなあ」
 商人の声が震え始める。
「変な化粧は覚えてほしくないなあ。ケバくなってほしくないなあ」
 半泣きで言う商人だが、手は依然動いたままだ。
 アイリが化粧を経験したのは、奴隷になってからだ。そのためアイリにとって化粧とは奴隷になされる行為であるという印象しかなかった。しかし、商人の化粧により彼女の考えは揺らぐ。
 突然涙目のまま笑い出す商人。腹を抱えてのたうち回っている。呆然とするアイリに、商人は笑って揺れる手で手鏡を見せる。
 頬まで伸びた口紅、曲がりくねったアイライン、そこに映っていたのは福笑いさながらの出鱈目な化粧。商人は手鏡を落として、自分で描いた化粧に笑い転げ続ける。
 アイリが、人の笑う姿を見ていないのは、笑い声を聞いていないのはいつからだろうか。忘れていた温かみのある感情に、彼女は反応することが出来なかった。そんなことはお構いなしに、床を思い切りたた きながら、商人は涙を流して笑い続ける。

 数分経って、笑い疲れた商人は崩れるように奴隷に寄り添い眠った。商人の心地よいいびきが聞こえて 来た頃、アイリは手鏡を拾って自分の奇怪な顔を見た。
 笑っていた。

 おとうさんを思い出す。おかあさんを思い出す。私は売られた時の悲しみを思い出してしまった。
 絵本を思い出す。お人形を思い出す。おとうさんを殺した会社への憎しみを思い出してしまった。
 温かい声を、手を、肌を思い出す。人に流れる血を思い出してしまった。
 商人のおじさんが私に寄り添って、お前も人間だって、お世辞で、肌で温かく囁いた。

 お世辞、なのにね。
 そうかもしれないよ、って、手鏡の向こうの私が言ったんだ。

【二十一日目】

 雪はまだ残っていたが、昨日よりも大分薄い。天候は快晴。商人は、夕方までに雪はほとんど溶けきるだろうと推測し、一つの奴隷を売るため商売を始めた。
 アイリを売り込むが、客の反応は芳しくない。空振りし続け二時間ほど経過した頃、一人の肥えた男性が商人を見つけ手を振りながらどすどすと駆け寄る。
「悪いね、お金入るの遅くなっちゃって。覚えてる?」
  息切れしながら明るく言う男性は、寒さを感じさせないほど汗をかいている。商人はそれ以上に明るいトーンで答える。
「覚えてます、覚えてますとも! 先日お買い求め頂いたーー」
「そうそうそう、金髪買った!  俺、また来るって言ったでしょ」
 商人は男性の心意気に驚いて、僅かの間何も言うことが出来ない。男性は奴隷を見て表情を変え、不安げに訊く。
「あれ? この娘しかいないの?」
「ええ」
「そっか……まあ、約束だしな。息子に土産で買ってくか。この娘の名前は?」
 嫌々ながらも笑みを浮かべ尋ねる男性に、商人は答える。
「アイリです」
「じゃあ、アイリちゃんを貰おうか」
 この奴隷を売り切れば、商人は帰宅でき、愛しい娘にも会える。しかし、商人の中ではその嬉しさの中に、売ってしまうことへの躊躇いが燻っていた。それは奴隷自体への愛情によるものではない。歳、身の丈、名前までもが愛娘のアイリと同等であることから生まれてしまった愛着によるものであった。
 その商人らしからぬ感情を、底抜けに明るく「毎度あり!」と言って押し殺す。
 鎖を外しながら商人は奴隷に目を向ける。無表情のままだった。商人は見慣れたアイリのその表情が、 堪らなく虚しく感じた。
 商人に男性が財布を見ながら「いくら」と訊く。金額を答える商人に対し、「この質にしてはやけ高いな」と少し渋った後、男性は金を差し出す。
 アイリは俯いたまま黙って男性に近づく。男性に先ほどの笑みはなく、柔らかい声でありながらも乱暴な口調で、「さあ、おいで」と言い、アイリの右手を掴む。
 アイリの右手に熱が伝わる。人の熱だ。
 ぁの脳裏に、父母の手の温もりが過る。昨日の商人の肌の温もりが過る。
 アイリは自分の体が熱くなるのを感じた。道具でありながら、流れる血潮を感じてしまったアイリは願った。
 かつて人であった頃と同じ涙を頬に伝わせながら。
 人間でありたい、と。

「痛え!」

 アイリは男性の腕に噛み付いた。「やめろ!  離せ!」と、男性は奴隷の頭を何度も殴る。アイリはロの端から熱い息を漏らしながら噛み付いて離れない。いくら振り回されようとも、涙を流し、鼻水を垂らしながら腕に食いかかり続ける。
 商人は動くことが出来なかった。自らの生命にすがり付くアイリの姿が彼を動かせなかった。

〈パンッ〉
 
 一発の銃弾がアイリの頭を撃ち抜く。男性はアイリの髪を掴んで投げ捨て、怒号を上げる。
「汚ねえ、おい、これは管理問題じゃーー」
 男性の言葉を商人の右拳が遮る。娘を殺されたことへの怒り。それは錯覚なんかではなく、奴隷のアイリを欠片でも娘のように見てしまったことから生まれた感情だった。
 殴られた男性はその場に倒れ頬を抑えながら、片手で拳銃を向ける。そして鬼のような表情の商人に撃ち込んだ。

〈パンッ、パンッ〉

 商人は腹に二発の銃弾を食らい、膝から倒れる。
 男性は、それを見て息を荒げながら後退る。小さい悲鳴を上げて慌てて銃を放り、立ち上がって街中へ逃げ去って行った。
 商人とアイリに北風が吹き付ける。商人の傷に風が沁みるが、アイリは既に痛みを感じなくなってしまっていた。
 商人は痛みを堪え、這いずり、横たわるアイリに近付く。アイリの元まで行くと、商人はアイリの血に濡れた頭に手を当て、掌を真っ赤にする。その人間である証をアイリに見せ付け、息を切らしながら言った。

「見て……赤い……」

 アイリは無表情で無反応だ。商人は深いため息を最後に動かなくなった。



●○●○●○●○●○

【罪状】携帯電話不正利用法違反

商人の使っている携帯電話は、他人名義(問屋名義)のものを不正利用しているもののため。


追記

【本収監が、小説としては年内最後であります。
 今年も数多くのご来所、誠に有り難うございました。

 当作『血色』は、有り難いことに、昔からご好評を頂くことの多い作品であります。なので、というわけではありませんが、『血色』についてのエピソードをちょっとだけ。

 当作は、大学3年次、部活の同期に「幼女の奴隷と奴隷商人の恋愛小説」というお題をもらって書いたものであります。
 そのため、書いたのは僕、杜崎ですが、厳密には原案は部活の同期です。
 しかしながら、書き上げてみたら、恋愛要素ゼロ。それどころか、初稿では心理描写も薄く、愛すらどこにもない有り様でした。
 結局、幼女と大人の奴隷商人の恋愛模様なぞどう頭をひねっても浮かばす(というか、こんな小説書いておいてあれですが、倫理的にどうかと思い)、ヒューマンドラマに落ち着きました。
 僕の記憶が確かなら、ギミックだけで動かすシチュエーションものではなく、感情の動きを意識した情緒的な作品に挑戦したのは、この作品が初めてだった気が。
 もしかしたら、『血色』がなければ、今の僕の作風はなかったかもしれません。

 もう1つ。
 Xの方にも少し書かせて頂きましたが、僕の作品群に『ケツ穴ペンタゴン』という、とんでもなくタイトルが下品な小説がありまして。
 読んで頂いたことのある方だけがわかることですが、『ケツ穴ペンタゴン』作中に出てくる、漫画家の主人公の初連載作品『血色』はこの作品がモデルになっています。
 作中では、「ヒロインの名前がわかるところで打ち切り」とされていますので、いかに序盤で『血色』が下ろされたかがわかるかと思います。

 ちなみに、『ケツ穴ペンタゴン』はタイトル同様、内容も結構下品なため、noteに上げる予定はありません。
 ただ、個人的に、半私小説というのこともあり非常に愛着のある作品です。こんなタイトルなのに、実は創作人応援小説なんですよ。時々自分で読んで、自分が書いた作品に励まされてます(好きすぎる)。
 来年5月の文学フリマ東京に、
まーびぃん氏

https://note.com/clever_borage344


と、参戦予定でして、ブースで販売する冊子に収録するかもしれません。

 その時は何卒、お読み頂ければ嬉しいです。

 最後に、今年1年、看守活動を応援してくださった皆様に重ねて感謝申し上げます。
 収監以外でも、『1年の振り返り記事(いい事いっぱいあった!)』や『文芸友達のHPを紹介する記事(逸作の詰まった充実ページ!)』など、まだまだnoteに上げたいことは沢山あるのですが、なかなか忙しくて手がつけられず……。
 年内に上げられるよう頑張ります。
 
 少し早いですが、良いお年をお迎えください。
 あ、それと……あなたの作品も、裏で何してるかわかりませんよ……?
 通報は私めに。ブタ箱にぶち込みます。

 来年もご贔屓のほどを。


杜崎まさかず】


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