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【掌編小説】ハンバーグ


 ハンバーグ弁当が半額にされている。
 それでも、売り場に点々と置かれた弁当の前をお客さんは見向きもせずに通り過ぎていく。
 店内に蛍の光がかかり出した。有線ではなく、30年間未だにカセットテープからマイクを通して流しているため、劣化し、曲調が延び縮みしたり、音が切れたりする。
 店長曰く、「この方がさっさと店を出たくなるから」らしい。
 僕は、閉店のレジ締めを遅くしてしまうと迷惑なので、勤務中だが半額のハンバーグ弁当を取ってレジに走った。さして腹は減っていない。
 でも、このまま弁当が廃棄になってしまったら、中村くんがあまりにも可哀想だ。

「別に買ったっていいけど」
 牧野は唖然としてから、そう言って弁当をレジに通した。
 僕は小銭を探りながら返す。
「だってさ、中村くんが浮かばれないじゃないの」
「だからって、宇賀屋さんそれ食べれますか?」
 牧野の声が震えながら大きくなる。
 僕は指を口に当て、周囲を見渡す。閉店間際、客が見る限りいないことに安堵した。

 牧野は本来、精肉加工のアルバイトだが、加工場が落ち着き清掃が終わったら品出しやレジ対応まで兼任してくれる。当店きってのスーパーアルバイターだ。
 中村くんはそのちょうど1年後に、青果担当のアルバイトとして入ってきた。小さなスーパーである。担当部門の垣根などなく、歳の近いもの同士すぐ仲良くなった。
 中村くんは令和の世には珍しいほど、曲がったことが大嫌いな若者で、自分が違うと思ったことには自分の処遇など一切気にせず意見をぶつける、熱い男だった。
 だから、一介のアルバイトの身でありながら、ターキーに噛み付いてしまった。
 ターキー、こと、瀧は精肉部門の長だ。肌は黄黒く、隈は更に黒い。そして、身は骨が浮き出るほど細いが、丸坊主の頭だけが膨らんで大きかったため、ターキーレッグから取って『ターキー』と呼ばれていた。本人が瀧を可愛らしく伸ばした愛称、と思って上機嫌になっている姿を見るのが、面白く、奴への憂さ晴らしになった。
 何があっても、ターキーの真意は奴に伝えてはいけない、はもはや社訓であった。ターキーは粗暴な上に、怒りの沸点が低い。ターキーに怒鳴りつけられ辞めていったバイトも、ひとりふたりではない。中には手を出された者もいた。元暴力団員、なんという噂が流れ出したのはその頃からだ。
「人なんてなぁよ、刃あ入れるとこさえ間違えなきゃ、出刃でだってバラせんだ。店長で試してみな」が、ターキーの得意なジョークだ。
 キレさせたら、バラされる。
 現実味のない言葉なのに、ターキーにはその言葉を納得させるほどの威圧感があった。
 それでも、ただ恐怖に怯えていた方が、昨日よりもずっと楽だ。

 昨夜のことだった。
 ターキーが本当に『人をバラせる』奴だと知ったのは。
 発端は、喫煙所で中村くんに牧野が、「ターキーは挽肉に廃棄肉を混ぜている」と溢してしまったことだ。
 その話は、社員にとっては周知の事実だった。
 大母体を持たない、個人経営の弱小スーパーが生きる道は、常軌を逸した安さしかなかった。
 それを実現する術のひとつとして、店長含め社員全員、そして社員候補の牧野は目を瞑っていたのだ。
 しかし、中村くんにとってはそれは悪でしかない。それが正しいのだ。本来ならば、その後中村くんがターキーの元に殴り込む勢いで抗議に向かったことも、全て世間的には正しいことなのだ。
 ただ、言葉より先に、加工場の清掃をしていたターキーを中村くんが押し倒したのだけは、間違いだったのかもしれない。
 牧野は止めに入ったそうだ。しかし、その細身からは想像もできないほどターキーは怪力で、弾き飛ばされたらしい。
 そしてすぐ、中村くんも軽々と弾き飛ばされ、ターキーは腹にまたがり何度も殴った。
 スイッチが入っていた、近付いたら自分まで殺されそうで動けなかった、と牧野は話した。
 僕が現場に着いた時には、ターキーも牧野も肩で息をしていた。それに反して、既に中村くんは息をしていなかった。
 放心状態の牧野。
 袖で汗を拭うターキー。
 僕が救急車を呼ぼうと携帯を取り出した瞬間、ターキーの平手が携帯に飛んできた。
「宇賀屋よぉ、社員ならわかるだろ。おめぇが今そいつをかけてたら、店の社員を全員路頭に迷わせてた」
 ターキーはプラスチックのコンテナに腰を下ろすと、煙草をくわえ、火をつけようとしてやめた。
「トロッコが止まらんくて、その先は線路が二つに分かれてる。このまま進めば、5人轢き殺すことになるが、レバーでひいて方向を変えりゃ5人は助かる。だが、その先にも1人いてそいつは轢き殺さにゃならん。どうするかって話、お前聞いたことあるだろ? もうな、ひとり殺してるんだよ。戻って5人殺すことねえだろ」
 随分と乱暴な例えだったが、確かに食品偽装は店全体が共犯だ。警察に知られれば、社員一同の人生が終わる。
 頭は真っ白に濁り、目の前で中村くんが死んでいることだけが暴力的に脳を揺らし続けていた。
 ターキーは、首を鳴らし深く息を吸い込むと、立ち上がり手で僕と牧野を払った。
「お前ら外出てろ。店長には俺から話しとく。んで素知らぬ顔で帰れ。精肉はもう仕事ねえから牧野はこのまま直帰な。宇賀屋もさっさと帰れよ」
 それからターキーが何をしたか、僕は知らない。その日、閉店後も加工場の灯りは点いたままだったと言う。
 ただ、今日出勤したら、中村くんの死体はなくて、精肉の冷蔵保管庫には大量の肉が増えていた。
「人なんてなぁよ、刃あ入れるとこさえ間違えなきゃ、出刃でだってバラせんだ」
 ターキーのその言葉が何度も頭を駆け巡り、僕も牧野も体調を崩した。
 牧野に至っては、包丁が握れなく使いものにならなかったらしく、ターキーから今日は売り場出てろと言われ1日レジについていた。
事実はわからない。
 精肉売り場が、急遽大売り出しセールを実施し、今年トップクラスの売上を叩き出したその数値だけが事実として残った。

 「食べられますか」と牧野から聞かれ、何も答えられなかった。
 食べられる、と答えれば、気が狂ったと思われるだろうし、食べられない、と答えれば、中村くんに失礼な気がしたからだ。
 冷静じゃない。正気ではないと自分でもわかっている。
 でも、昨日の一件から頭が白く濁った状態は何も変わっていないのだ。
 何も発さないままハンバーグ弁当を袋に詰めている僕に、牧野が囁いた。
「隠せると思いますか」
「わからないよ」
「隠していいもんなんでしょうか」
「わからない。ただもう隠しちゃったんだ、僕らは」
 率直な答えだ。何もわからない。何も考えられない。
 レジを去ろうとする僕の背中を牧野が呼び止めた。
「もしこれで隠し通せたら、俺、同じ方法でターキーを殺そうと思います」
 振り返った僕の顔はどんなものだったのか。ただ白い濁りに血が混じるような感覚があった。
「その時は、宇賀屋さんも協力してくれますか」
 牧野の拳を強く握りしめている。眼差しが、今の僕の頭の中の色のように見えた。
息が止まった。数秒間がとてつもなく長く感じた。
 再び呼吸をしたときに出てきた言葉は、本音でもあり、弱さだった。
「わからない」
 蛍の光のテープが切れた音がした。


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【罪状】労働基準法違反

シフト外の深夜に労働させていたため。

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