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神経発達症(発達障害)

いち当事者家族として

Podcast番組の「ティーチャーティチャー」で発達障害が扱われている。とても興味深く聞いているし、毎回学びを得ていてとても良い。

6月18日配信分で扱った話題に関して、Xにポストした僕の意見は次のとおり。

早期発見、早期療育
早期発見、早期ブレーキ
うちは、早期発見、早期学習やったな。
もちろん学習したのは親である私たち夫婦
さらに、小中学生の学習塾をやっていた私の父、乳幼児の保育を長らくやってきた私の母も知識のアップデートが必要だったのだ。
時々刻々と変わっていく情報を学ぶことは、子供が療育でお世話になっている先生方の行動を理解することにもなるから。
早期発見、早期学習はたしかに“焦らない”早期ブレーキにつながったと思う。

さて、僕が発達障害のことが気になるのにはいくつか理由がある。
まず、息子さんは発達障害という診断を受けている。
正確には「広汎性発達障害の特性あり」。
「上記の特性あり、個別の支援や配慮が望ましい。」となっている。

一度流産を経験した私たち夫婦に、2度目の妊娠が分かったのは結婚後5年が経った頃だった。それが息子さんだ。
最初の気づきは「あんまりおっぱい飲まないんよね」とカミさんが少し難しい顔をして言ったことだった。
「あんまり出ないのもあるんやけど、吸い付きが悪いんよね。まあ、ミルクは飲んでくれるからそれで良いけど。」何気ない会話だったが、実は気になる事だった。
他にも二世帯住宅の1階に居るじいじとばあばが心配して2階まで上がってきてしまうほどの夜泣き。夜泣きのしすぎで、われわれ夫婦が虐待でもしているんじゃないかと思われるくらい、それはすごいものだった。これは「おひな巻き」に出会うまで、本当に苦労をした記憶がある。

赤ちゃんは月齢によっていろいろと成長していくものだが、我が子のそれが少しずつ遅いことは個体差の範囲だと思っていた。
発語の遅れも許容範囲と親として都合のいいように解釈していたが、1歳6ヶ月、1歳9ヶ月、2歳の検診で発語に関して遅れがあることを指摘された。
ほかにも人見知りが全くなかった事、目線が合いにくい事、クレーンハンド、逆さバイバイ、運動が苦手など気になるポイントはいくつかあった。
僕は自閉症に関して予備知識があったので少なからず気にはしていたが、カミさんに言うとイヤそうな反応だったので指摘を受けるまで触れないようにしていたが、とうとう指摘される時が来た。
市の保健施設でテストを受けたり、県の指定機関で検査を受けたりした結果が「広汎性発達障害の特性あり」だった。親としての療育との関わりはここがスタートだった。

少しだけ話は時代を遡る。
僕が大阪に居た頃。鍼灸師として得意だった治療が婦人科疾患と小児鍼だ。
婦人科では生理不順や不妊治療もよくやっていた。
小児分野では乳幼児から小学生まで。その中で自閉症児に対する治療も良くやっていたので、自閉症に関する勉強も少なからずやっていたのだ。それがベースにあったために色々と先回りして気づいていたのだったが、カミさんの同意が得られないのは苦しかった。
しかし幸運にも、わりと早期に診断がついてくれたので、カミさんに対しての療育と発達障害に対する勉強をしようというプレゼンは多少の時間は掛かったものの、それでもフライング気味にスタートすることができたと実感している。

カミさんは隣にいるだけでもこれからの事が不安たっぷりと言う感じだった。
保育園は変わらなければいけないのか?
仕事は継続できるのか?
小学校はどうなる? 普通級? 支援級? 特別支援学校?
中学は? 高校は? 就職は? 不安の先回りでいっぱいいっぱいだ。見ているこっちも息苦しくなってくる。そんな状態で子供に接して良い影響があるわけがない。
だからこそ発達障害に関する勉強をして、正しく恐れていこうと提案した。

正しく恐れる。
これはとても良かったらしく、自分たちが勉強すればするほど多くの研究者がそこにいて、自治体がサポートする体制も思っていたよりも整っているように感じた。
ただし、各保育施設での対応にはかなりのバラつきがあるようだった。同じ療育に通っているママさん達から話を聞くと、それぞれの園での対応に差が大きい事がわかった。通級で通っているからこそ得られた知見だったわけだが、園全体で対応が統一できているかといえばそうでもないケースもあるそうで、各職員のスキルによってもバラツキがあるので先生が産休になったために今までと対応が変わってしまって困っているだとか、パートの職員は良い対応をしてくれているけれど、正社員の職員がタスク処理に追われてうまく機能できていなかったりする事があると。各職員のスキルや職場でのゆとりなどが児童に影響してしまうのは問題だなと感じたところだった。サポートする側の人間がゆとりを持って接する事が児童の「困りごと」の対応や「児童本人のつまづき感」へ影響が出るところには注目してほしいところだ。

さて、うちの場合は早期診断を受けたわけだったけれど、市の検診で指摘されていた児童が全員診断を受けたかといえばそうでもなかったようだった。親の考え方はそれぞれあり尊重するが、実際に幼児の頃から療育を受ける事なく小学校に入学して、3~4年生になって大きくつまずいてから通級や支援級に通い始めた児童もいれば、普通級に通っていた児童が不登校の後、特別支援学校へ転入した生徒もいた。逆に、通級支援を受けていた児童がSST(ソーシャルスキルトレーニング)の経験を積んだ事で通級や放デイを卒業するケースもあるわけで、うちの息子さん含めてそういうケースもある事は知っていてほしいところだと思う。

関わってくれた支援者に恵まれた。
はじめての子供ではじめての発達障害。大海原を家族3人で手漕ぎボートに乗って進むかのような果てしなさを感じたのも最初だけで、すぐにコンパスや海図を受け取る事が出来たのは診断をつけてくれた先生だったり、他の支援者の方達の言葉によって考え方が大きく変わったりした。
「広汎性発達障害の特性あり」という診断をつけてくれた医師は「発達障害は白黒ハッキリしたものじゃないんです。グラデーションなんです。ちなみにわたしは、白黒つかないところをグレーゾーンと言うのが苦手でね。淡い色のパステルゾーンって言ってるんです」と話してくれた。
さらに医師は続けてくれた。「息子さんの場合は“特性あり”なんです。はっきりと障害と言い切れない部分がある。それは本人やご両親や他のご家族が生活していく上だったり教育していく上で大きくつまづいた時。その時に初めて“障害”を感じるかもしれません。それまでは息子さんに障害があると悲観的になる必要はないと思います。さらに言っておきますが息子さんの状態もグラデーションですが、親御さんの受け止め方もグラデーションなんです。どんなに軽くても親、子、どちらかが障害を感じてしまった場合はその障害に対して介入を強める必要がある。その介入は子供に対してだけでなく親に対しても必要になる事があるんです。わかります?」。すっごいわかる!!ありがとう先生!

発達のテストで、うちの息子さんはワーキングメモリが120と平均よりかなり良い事がわかった。しかし、視覚的な判断や注意力は平均以下。聴覚からのインプットはわりと良いものの、持ち前の集中力の無さから学校の授業などはかなり不得手になるでしょう。短文の理解力はあるけれど、長文になると集中できないので物事のルールを覚える事が苦手になるかもしれません。また、会話のルールなどの理解が難しい事も多いと思うので、繰り返し会話の前にルールを言う事で本人に認識させる必要があるでしょうとのこと。全体的に物事の理解に時間がかかる傾向が見られるが理解できないわけではないので、ゆっくり時間を掛けて焦らず見守っていきましょうなど、かなり具体的に注意事項が書かれていた。今読み返しても正にその通り!と思うところがいっぱいで驚いてしまう。

そんなテストをやってくれた先生が言っていたのが発達障害児の教育と成長の考え方だ。
「いわゆる定型発達の人はイガグリや金平糖のようにトゲトゲや凸凹があっても少し離れてみたら丸くて転がりやすそうに見える。発達障害児というのは一部のトゲが極端に出っ張っていたり、逆に短いどころかえぐれている様な状態だと思ってください。近づいてみたら凸凹も激しく転がりにくい事は一目瞭然ですよね。だけど多少なら長すぎるトゲを短くしたり、逆にえぐれているところに補修パテを盛る様にして、離れてみた時に丸くみえる様に。本当のまん丸でなくて良いんです。完全に困らない程度、周囲の補助で動き出せる状態に近づいたら良いのでそういった援助をお父さんお母さんだけでなく、これから関わるみんなでやっていこうと思っています。」正面に立って腕を引く様な援助ではなく、横に立って一緒に考えながら進んでいく。そういった声掛けが響いた。
ちょっと泣いた。

地域包括支援センターと放デイ(SST)。
各種の診断が付いた事でタグ付けされる事で、支援の方向性がハッキリするのも早期診断のメリットだったのではないだろうか。タグ付けそのものに否定的である場合は仕方がないが、タグ付けのメリットもある事を知っておいて欲しいと思う。
地域包括支援センターの支援員の方が決まり、息子さんにどの様な支援が必要かの情報提供と相互に考えを言う事ができる仕組みはとても良かった。放デイも新規の施設も多く、お互いに情報を集めて、気になるところの状況を教えてもらったりできるので仕事をしながら療育できる安心が得られた。息子さんが選んだ放デイは最初は預かってもらって、集団の中での過ごし方を経験できたらと思っていたのだが、どうにも集団の中では存在が消えてしまう様だったので個別に対応できる施設に変更した。そこは個室で個別でSSTを行うところで息子さんの状態によりあっている様に感じた。事実、ずいぶんと色々な状況に対応できる力が付いたと思う。
ちなみに放デイの送迎の半分くらいは元保育士のばあばにやってもらったのだが、どうやら専門職だった彼女が一番SSTが理解できずにいたし、もっと具体的な勉強をさせた方がいいとか言っていたので少し困ったのだった。気になる程度まで指摘が入った時点で彼女に送迎を任せるのはやめにした。致し方ない事だったと思う。じつは、本人は認めようとしないだろうが、彼女もかなり強く自閉傾向があり、こだわりが強く状況変化に弱い特性がある。現代に生まれていたらきっと療育の対象になっていただろう。孫のSSTを見る事で少しでもいい影響が出るかと思ったのだが逆効果だった様だ。残念ではあるが、予想はしていた事でもあった。余談が過ぎた。

療育以外の支援。
息子さんは広汎性発達障害の特性のひとつである運動が苦手というのもかなり強くあった。なにをやってもどんくさいのだがそれゆえに運動会で頑張っている姿を見ると涙が出てしまうものだった。幼児の頃は自分の世界に入り込んで話を聞いていない。場面転換が苦手、他人に興味がないなど自閉傾向が強く見られた。他にも感覚過敏で音に敏感だったり、服や手足が濡れたり汚れたりする事がものすごく苦手だった。同じことを繰り返す傾向もあったのでできる事が増えたらいいなと思い公文式にチャレンジした事もあったのだが、息子さんの興味は続かなかった。
しかし、スマホやDSでゲームをするのが好きだった息子さんにおあつらえ向きのプログラムがあった。静岡大学工学部協力のもとプログラム教室が始まったのだ。説明会に行ってみると、同じ療育に通っている親子も居たりして安心した。これは少人数制でじっくり時間を掛けてプログラムという結果のためのプロセスを学ぶ場として、先生の体調不良で教室が閉鎖となるまで継続できた。プログラム自体はあまり身についていない様だが楽しかったとの事なのでなによりである。
他に何か継続してできる事は無いだろうかと考えていた時にじいじとばあばがこんなことを言ってきた。「スイミングとか行ってみたら? あんたも通ってたしどう。」
運動能力の向上というか、体を動かす経験をして欲しくてティップネスKIDSの体操教室に短期で通った事はあったが、スイミングはハードルが高い様に思えたのでカミさんに相談してみた。
「めっちゃ良いやん。小児喘息のこと調べてたらスイミングが良いとかいう話も聞いたから良いと思う。」思いのほかカミさんの腰は軽かった。
結果として保育園から中学卒業までスイミングに通う事ができた。無論最初は大泣きして途中で中断して帰った事もあったが、それでも継続は力なりとでもいうのだろうか。最後にはバタフライで25m泳げるところまでいったのだった。いや、ハッキリ言ってそのクラスに中3の男の子がいるのはおかしいくらい(だいたい小学生でクリアしていくクラス)なのだが、コーチたちも諦めずに対応し続けてくれたのは感謝しかない。そして感謝と共に息子さんの成長速度が定型発達の子達から3年から5年程度のズレがある事も時間を掛けて親子共々理解する事ができたのは大収穫であった。

発達障害、自閉症、ストレスコーピング、認知行動療法、SST、児童心理学、傾聴などなど色々な資料を読んだり講習を受けたりしてきた。自分や家族の特性も見えてきた。僕自身結構な特性持ちだと言う事が分かったのは面白い。
そんなことをしていたら保育園の時に保護者会の会長を経験してみたり、その関係で保育の全国大会に参加してみたりと面白い経験もできた。息子さんが広汎性発達障害の特性があると言われなければ出来なかった経験だったと思う。

自分たちが学ぶ事で息子さんの特性を認識して援助者に伝えることができたことも良いことだったし、自分たちの自己肯定感にも繋がったとも感じている。

神経発達症(発達障害)に関して当事者家族としてある程度勉強してみて感じたことだが、極論ではあるが全ての人に特性の凸凹は存在しているのではないかと思う。その凸凹の大きさも形もそれぞれ違うし、その特性によって社会生活上困難さを覚えるのか、はたまた逆に良いものとして捉えられるかは環境によって違うだけなのではないかと。そう考えると自分も含めて特性持ちなのだからお互いに出来ないことを出来る余力のある人が手伝ったり、困難さを軽減させる仕組みや道具を作りたい人が作ったらいい。もちろん、凸凹があって大変だから目立たなくする努力をする事も良いだろう。出来るようになった時の喜びもある。それでも無理なら仕方がないんじゃないかなと。無理する事を諦められたら楽になったと言う人も多いと思うけどどうでしょうね?

障害と呼ばれる理由は、ヒト由来であるのではないかと改めて気が付いた。出来ないことを認め合える様な社会的な環境が出来たら神経発達症(発達障害)という言葉を作り出すことすら陳腐なものだと、そのうち笑える日が来たら面白いと思う。

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