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【元アメリカ駐妻】そんな時代もあったね、2024年

2024年も1週間ほどになりましたね!!

アメリカ帯同から帰国し早9か月

今年の感想は・・・

時の流れ早!!!!

です。笑

ねぇ!だってさ!

3月末までは

アメリカのド田舎にいたんだよ??

それがいまや

東京の密林コンクリートに

住んでるなんて・・・

めぐ~る♬めぐ~るよ♬時代はめぐる♬

今年はこの歌詞が染みた1年でしたね。

てなわけで・・・

喜びと悲しみを繰り返した

2024年を

ゆっくり振り返ってみようと思います!! 

【1月】

フロリダのディズニーワールドで

年越ししました!!

もうこんな贅沢な年越し

胸に残る年越しは

ないだろうな・・・!!

日本からフロリダに行くなんて

そうそうできないもんねぇ。

マニーもタイムも体力も必要!!

それが車でブーーーーン

アメリカ駐在の恩恵だと思うわ。泣

楽しかった年越し中に

己のオナラが止まらなくなり

しかも臭すぎたんで

身の危険を感じまして・・・

そのまま辛すぎた

アルバイトを退職しました♡


【2月】

写真フォルダになんにもなかった。笑

冬眠?笑

なんかさ、この時メンタルが

ピークにやばかったんだよね。

アメリカ帯同中は

どうにかこうにか保ってたメンタル。

なんかすごーーーく

色んなことから

負けない!負けちゃダメ!

って自分を奮い立たせてたんだよね。

いざ「帰ってええで」と言われると

なんだかその糸がプツって。

プッツンしたの。

わたし帰ったらどうなるんだろ?

という不安がブァァァって襲ってきて。

5年間の駐妻生活っていう身分は

大変なことが沢山あったけど

「海外に住んでる」から

免除されてるものとか

実際より評価してもらえる

というような

実は見えない下駄も

履かせてもらっている感覚もあったんだ!
(個人的な感想ね!)

日本に帰ったら

さぁさぁ

海外からチミは何を

持って帰ってきたのかね?

学んできたのかね?

そんな

海外逆輸入への期待

もあるんじゃないかって

怖くなったの!!

けっこう言われるのはさ

「アメリカに5年間も住んでたんですね!英語ペラペラですね!」

みたいなのが

わかりやすい逆輸入の弊害。笑

これけっこう

海外にいたことある人は

経験してるんじゃないかな?

別に言われるのは仕方ないと思うの。

私も海外経験がなかったときは

つい思ってしまってたもん。

ヨコシマな気持ちとかは

もちろんなくて

純粋に

海外いったことあるんすね!?スゲェ!!

というリスペクトから。

これが友達間なら

「いや英語とか無理で草」

で終われるんだけれど

就活とかって

もっとシビアに見られるんじゃない。

評価されるじゃない。

なんか今年の2月くらいまでは

帰国後、この帯同生活の

試験結果が出るような気持ち。

自分の5年間が

見知らぬ誰かに評価されるような

そんな感覚が異常に怖かったの。

自分で自分を「落第」だと評価して

本当に帰るのが怖かった。

すごーく怖がりなので

メンタルブルブル期と呼んでいる。

【3月】

駐在生活の集大成

いざ!

メキシコのカンクーン旅行へ。

がしかし!!!!!

まさかの

VISAが切れてた。爆笑

アメリカ国内から

出国できず・・・。

結婚10年目だったけど

結婚式も新婚旅行も指輪もなかった

我が夫婦。

奮発したの・・・!

それはもう奮発したの!
(何度でも言うよ)

オールインクルーシブだよ?

銀座のクラブのママが

カンクーンのオールインクルーシブが

今まででいちばん最高だった

言ってたで?

浮き輪も水着も抱えて

ホームアローンのケビン一家みたいに

浮かれてたのに・・・!笑

私なんて

酔い止め飲んでて

ガンギマリしてたから

あんまよく状況わかってなかったし。笑
(酔い止めってめっちゃ眠くならない・・・?)

フワフワしながら

空港のお姉さんに

「アメリカ戻ってこれないけど、どする?行ってみる?(^ω^)」

って言われて

爆笑したのだけ覚えてるwwww

空港から出て

お通夜状態でスタバへ。
(揺るぎないスタバ愛)

夫は血眼になって

パソコンをカッタカタしてた。

わたしは眠気のピークで

イスでグッタリしてて

やばい組み合わせだったと思う。

そして急遽

翌日から西海岸へ!!

デルタのお姉さんが

マイルを即返してくれたおかげで

飛行機乗れました!!

初めての西海岸!!

ねぇ!!

なんでここに駐在しなかった??
(なんと、会社がない!!!)

日本の田舎より日本。

日本より住みやすい。

アジア人もいる!!

なんかみんな明るい!!

ここに駐在してたら

毎日ポジティブハッピーシンキング

ゴリアテブログになってた思う!!
(いや、どこいってもブーチク言ってるて。笑)

すごく楽しかったーーー

ラスベガス

サンフランシスコ

あと・・・

なんかどっか行った!!笑


ただ楽しいばかりじゃなかった・・・

某SNSをやってたんだけど

一部の駐妻さん垢界隈から

すごく酷いことを言われているのが発覚して。

正直、それだけじゃなく

このところ

アンチ(?)みたいな人達から

攻撃的な言葉を受けるようになって

ぶつかることも多くなった。

わたしはいついつまでも

田舎駐妻の愚痴垢の感覚だったんだけど

知らぬうちに

色々な人の目に拡散されて

【駐妻の悪口を言う人】

というポジションになってしまったらしい。

あくまで

自分が辛かったこと

あくまで

自分が実際に出会った一風変わった人

主語はいつもMEだったつもりが

わたしの文才がありすぎたのか
(だ・ま・れ)

「自分のことを言われている」

と捉える人が多くなったように感じてた。

さすがにスタバに行ったと書いたら

「バカが!」と言われたときは

抹茶ラテ片手に小躍りしたけど。

ただでさえ

帰国後の自分への不安

今までのアメリカ生活へのストレスによって

弱っていたところに

一部とはいえ

自分の事をあーでもない、こーでもない

と談義されている。

しかもSNSというのは怖くて

どんどん妄想が膨らみ

言葉も過激になる。

DMでわざわざ

「あなたは(SNSの)駐妻さん達から嫌われていますよ?」

と連絡してきたり

わざわざ捨てアカウントを使用し

「この人は嫌われているから関わるな」

と牽制コメントを残している人も目撃した。

正直、辛かった。

わたしの言葉が

誰かを不快にしている。

大好きな文章を書くということ

そして他の人より

ちょっぴり繊細な

自分の感性が揺らいで大嫌いになった。

でも確かなこともあって

そのやりとりを眺めていた時に

やっぱり自分が出会った駐妻さんみたいに

ほんの一部だけど

思いやりのない人

意地悪な人って

世の中には残念だけどいて

そういう人は自分を

正当化しようと

また誰かを攻撃するということ。

もし狭い駐妻界の人間関係に

「自分が悪いのかな?変なのかな?」

思い悩んでいる方がいたら

自分を責めることは

絶対にしないでね。

よっぽど相手に喧嘩を

吹っ掛けたなら別だけど

そういう気持ちがなかったなら

悪いけど相手が勝手に不快になってるだけ。

どれだけ心を尽くした言葉でも

その相手の受け取り方や状況によっては

悪口や攻撃と受け取られたりする。

でもさ!!

相手の受け取り方まで

責任なんて取る義理はねぇって感じでしょ。笑

何があっても

あなたを傷つけていい理由にはならない。

あなたは傷つけられていい人間じゃない。

それは揺るぎない事実なので!!

【4月】

日本に帰ってきた。

東京ーーーー!!

ヒトいっぱい。

建物いっぱい。

胸いっぱい。

家が狭くて荷物が入らなかった。

段ボールのまま

スタバのコップなんて見なかったことにしてる。
(誰が買ったの?怒)

そもそも荷物も7か月も来なかった。笑

まぁ、予定調和!!

SNSの知らない人に
(みんな知らないけど)

帰国したら

アメリカとのギャップに

苦しくなると脅された(?)

でも今のところ

アメ食が恋しいくらいで

すんなり日本に馴染んでいる。

もう少ししたら

海外生活が

恋しくなるかもしれない。

そうなったらいいな~

とも思っている。

わたしは根から日本人だったみたい。

あ、そうそう

大学に入学しました!!


これは今年の

ハイライトで

なにより心の支え

なっていくのでありました。

大学が近所なので

入学式に行ってみました。

右隣はおじいちゃん

左隣りはスキンヘッドの怖そうなおじさん

でもたぶん

大学に入学するくらいだから

優しいし真面目だと思う。

一緒に入学した

同級生が2000人程いるらしい。

1万人ほどのアメリカの田舎

日本人が2、30人もいない

ネットワークの狭さゆえに

失敗できない環境

選択肢のない環境で

暮らしていた自分は

すごく新鮮だった。

色んな人がいるんだ。

色んな選択肢があるんだ。

色んな学びがあるんだ。

何歳からでも挑戦可能なんて

見たりする。

でも実際は

この年齢で将来の夢とか

現実的に厳しいよなとか

心の中で小石を蹴ってる自分もいた。

そんな気持ちに

ほんの少し光がさしたような

ワクワクした気持ちになったのを

覚えてる。

夫も新しい職場に出勤。

しかしこの後

また急展開。

【5月】

体調を崩していたような気がする・・・。

久しぶりのうだるような湿度

荷物のない部屋

これこれ5月病ーーーーー。

あ、このくらいの時に

SNS辞めた気がする。

なんかもう誰のいう事も

聞かねぇ!

おめーら全員、黙れ!

俺は1人で生きていく!

ってメンタルだった(尖)

初めて大学のレポート提出をしたり

大学の課題に取り組んだ。

200ページほどの本も読むのが辛くて

「無理だ、辞めたい」

本気で毎日そう思ってたな。

そんな時、夫は言ってくれた。

「諦めないでゴリには山をくだってほしい」

大きな混乱が襲った。

諦めて良いのか悪いのか判定が難しい。笑

夫の話には続きがあり・・・

わたしはまだ山を登り始めたばかりで

2合目くらいらしい。

1単位すら取ってないので

登山口のお土産屋な気もするけれど

夫の話を黙って聞いていた。

すると

頂上が折り返しで

その向こうにゴールがあると。

だからとりあえず

頂上まで行ってみてほしい。

頂上から見える向こう側の

景色をみせてあげたいんだ!

だから頑張って登ってほしい!と

励まされた。

ちょうどテレビで黒部ダムの特集を見たばかりで

黒部ダムは山を登って下るので

夫はわたしに山を越えて

黒部ダムを見て来い

と言いたいのだなと妙に納得した(?)

そこから私は

黒部ダムを目指して

とにかくテキストを読み

リポートを書き

試験を受け続けた。

【6月】

最初は楽しそうに働いていた夫。

だんだん雲行きが怪しくなる。

なんと

転職すると言い出した。

アメリカ赴任が終わるころから

転職会社に登録していたのは

知っていた。

そしてとうとう

彼は目覚めてしまったらしい。

彼の鬱屈した気持ちは知っていた。

なんとなく

もう少しハイレベルな環境

挑戦したいような雰囲気があった。

妻が言うのも変なのだけれど

夫の年齢で

そういう「情熱」があるのは

正直、すごいと思った。

だってこのままいけば

不自由はしない。

年功序列で

よっぽど何か犯さない限りは

それなりの役職に収まるとも思う。

夫の能力がというより

私の見立てではそういう会社なのだ。

そんな会社、ポンコツな私は好きでたまらない。

「それなり」で生きていけるなんて

最高じゃないか!!!!

なので私は

転職して欲しくなかった。

だってあんなにアメリカ生活で

上司の奥さん、先輩から嫌なことを

言われても我慢して耐え抜いてきたのに

そんなあっさり辞めるんだったら

あんなに気を揉む必要はなかったじゃない。

鼻くその

1個でもくっつけてやればよかったじゃない。

それもこれも夫のためだったのに。

あの能面のような笑顔の

裏にあった代償を返せ!!

そんな気持ち。

あと頑張って家を探したのに

もう引っ越すの・・・?

てか、まだ荷物も着てないよ。笑

一体どうなるの!!!

というか東京に住むの無理!!

故郷に帰りたかったのに!!

気持ちが全然落ち着かない・・・

とはいえ、夫はそんなこと

知ってか知らずか

転職に否定的な私に対して

苛立っていた。

それにすっかり東京に魅了され

東京最強ひぇーーーい!!下剋上!!

と港区女子のような

戦国武士のような思考の夫。
(あ、港区にも住んでないしボロアパートで~す)

私が帯同ですっかり失った自尊心とは逆に

自分の中の情熱にまっすぐな様子の夫。

腹が立つような羨ましいような。

この頃は目まぐるしすぎて

ぐちゃぐちゃな気持ちだった。


ゴリアテの2024年の上半期

総まとめ

いかがでしたでしょうか。笑

けっこう前半は

帯同生活の疲れからか

暗い気持ち

過ごしてますよね。笑

後半は

少し巻き返していってほしいと

個人的には思ってます。
(※本人)

では次回は後半

「いつか話せる日が来るわ、2024年」

を、年内に書くのが目標!!!w


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ゴリアテ
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