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ヴェルディらしさの正体とは?
さて、最後のお話です。一番厄介な問題、Stories and myths(物語・神話)についてです。
アカツキと共に組織改革に着手した我々ヴェルディですが、その歩みは緩やかです。第2稿ではなかなか前進しない理由として過去の習慣をあげました。
「ヴェルディの鳥かご」でみられる動きから隠れた行動原則も見えてきました。(あの鳥かごを批判している訳ではありません。あの技術には続きがあると思っています。それはまたどこかで)
そしてそれはバルサ的なサッカーと親和性がないとも書きました。
なぜバルサ化なのか?
バルサのサッカーがヴェルディらしさという言葉ですり替えが行われ、導入されようとしているのではないかと書きました。
第3稿は、このヴェルディらしさという魔法の言葉を解き明かしてみたいと思います。
人はみたいものしか見ないものです。ヴェルディらしさという価値観で見たとき、何がみえているのでしょうか?
1. 人はみたいものしか見ない
ちょっと前に流行った動画です。
良く見てるはずなのに見えていないことって、たくさんありますよね。
ところで、日本サッカーの父と言ったら誰のことを思い浮かべますか?
やはり漫画のタイトルにもなっているデッドマール・クラマーさんでしょうか?確かに東京オリンピックの躍進は彼の存在なくしては考えられなかったとは思います。
ところで、もう一人、日本サッカーの父と呼ばれる人がいるのをご存知でしょうか?
当時(1923年 )の日本では画期的とも言えるサッカー指導書『How To Play Association Football』を記したという伝説の人物です。
キックやヘディングなどの基礎技術と共に彼が教えたのが、ショートパスをベースにしたスコットランド戦術だったと言われてます。
スコットランド戦術とは2−2−6のフォーメーションからショートパスで動きまくる、パス&ランをメインとする戦術だったようです。この戦術は日本だけでなく、ブラジル、ドイツ、オランダといった国へと受け入れられていきました。
イングランドのロングボールに対抗する、スコットランドのショートパス。ブラジルでは「ラ・エスコサセ(スコットランド風)」と呼ばれていたと伝えられています。(ちなみにバルセロナには同じ名前の文化施設があります。関係あるのでしょうか?ご存知の方教えてください)
日本サッカーらしさなんていいますが、言うなればイングランド以外の多くの国では、最初からパス&ランの遺伝子が組み込まれているとも言えます。
2. ヴェルディらしさ?とは
永井さんの言うヴェルディらしさは、かなり日本のサッカー、Japan's Wayに近い感じがします。
目指していく“ヴェルディらしい”サッカーとは、「主導権を必ず持つ。そのために、数的優位で進む、運ぶ、崩すということ」
【東京V vs 愛媛】“ヴェルディらしさ”とは何か。永井秀樹新監督の東京V再建チャレンジがスタートする。
2019年7月19日(金)
Japan's Wayの議論については、らいかーるとさんのところで、ずいぶん前に話されているので割愛します。これがヴェルディで起こるとは当時まったく想像できませんでした。リンク
で、永井さんの言うヴェルディらしさってイングランドスタイルへの対抗策とあまりかわりない内容ですよね。その極北としてのバルサ化な感じ。
一方、ヴェルディらしさについて、まったく違う話をしている人がいます。
サッカーとビジネスのプロが明かす育成の本質 才能が開花する環境のつくり方 徳間書店
菊原志郎さんと仲山進也さんの対話形式で進む読みやすい本なので、ぜひ読んでください。(ほぼほぼティール型組織の話とヴェルディの話です)
あまり話題にならなかったけど面白い本です。
ヴェルディが低迷したのは読売らしさがなくなったからだと菊原氏は言います。読売らしさとはブラジル的なファミリーの文化。
ファミリーの価値観に基づいていること=カッコ良いことがまずある。プレーだけでなく立ち居振る舞いから、その基準はある。
そのカッコ良いという基準こそが重要。その基準の前では大人も子供もない。
またプレー中でも基準に基づいた修正を行うためにお互い議論し合う「対話」をしていた。そのカルチャーこそ読売らしさの源泉だったと菊原氏は語っています。
つまりシェーキーズでの振り返りレビューで誰彼関係なく議論するカルチャーこそ読売ヴェルディの強さの秘密だったというのが菊原氏の意見です。
この文化がJリーグが盛んになることで、活躍した選手がテレビ出演やインタビューで時間を取られるようになり、皆で話す機会が減り、徐々に一体感が失われたのが、ヴェルディの低迷の原因だと菊原氏は語ります。
では、その読売らしいサッカーとはどんなもんでしょうか?
この辺はいわゆるショートパスサッカーですよね。
初期の頃はドリブルのチームでしたね。
この頃はダイレクトなサッカーですね。
これらの動画を見ても時代によって違いますよね。
ゲームメーカーが与那城なのか、ラモスなのかで、かなり違うゲームモデルになってます。
ちなみにヴェルディ初期もダイレクトな感じが強いです。
3. ヴェルディらしさを追及してはいけない理由
ヴェルディらしさは曖昧なものなのがわかってきました。どうも菊原さんの言う通り、文化的なもののようです。少し歴史を振り返ってみましょう。
ヴェルディの源流である読売クラブは、既存の国内サッカーチームのあり方を否定して生まれたものでした。
育成
大卒スターではなく無名の高校生を
クラブ文化
会社員ではなくプロ選手で
グローバル
全日本ではなくクラブ世界一を目標
この日本サッカーシーンに反抗的な態度をとるスタイルこそ、読売クラブのカルチャーの源泉だと言えるかもしれません。
常に貪欲に色々なものを取り入れ、勝利を追及してきたのも、また他でもない読売クラブでした。
すなわち読売らしいサッカーと言っても、スタイルは時代に合わせ常に変化し続け、形らしい形はないのがスタイルだったとも言うことができます。
ヴェルディは回帰的な目標を建てることが多過ぎないでしょうか。強かった頃に戻ろう!原点のショートパスサッカーをしよう!など、特定の時期のサッカーを取り上げて強調することが多いような気がします。
常に変化することを前提にしていた組織に、この特定のスタイルへの回帰を目標にすることは、非常に相性が悪いです。常に変化しているので見た時期によってまったく違う内容になっていることも多く、同じ言葉で語っているようでまったく違うことを話している可能性が高いです。
低迷の本当の理由はここにあると私は思っています。
目標は皆で共感できるのに、プロセスは同意できない理由もここにあります。皆で同じ方向に進んでいるのに何故かうまくいかない。それは目標が本当は曖昧だからなんですよね。
なので、過去でなく、未来に向かって進むべきなんです。過去は文化として尊重しつつ、未来へ向かって歩むことが重要。ヴェルディは元々そういうフロンティアスピリットから生まれたチームです。サッカー界のベンチャーチーム、それがヴェルディだったはずです。
私はベンチャー企業であるアカツキが側にいてくれる限り、ヴェルディは必ず復活すると思っています。アカツキはベンチャーの成功者、ヴェルディを深く理解できる数少ない企業のひとつだと私は思っています。
この一連の投稿をする前は、改革を実現するには組織文化を変えることが必要だと思っていました。しかし文化と寄り添う形でも実現出来るのではないかという気持ちにもなりました。
だから永井さんが目指しているものがヴェルディらしくないものでも、未来につながるのであれば私は支持したいと思います。未来にさえ前進しているなら、この冒険が例え失敗に終わっても、前に進んでさえいればいつか必ず成功する道へとつながっていくと思えるから。
J1で再び勝利し、世界に飛び出す日まで、この緑のチームを信じてみたいと思います。長くなりましたが、終わりです。