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舞台『夢のかけらを歌に歌に乗せたら』の所感と『主演・林鼓子』について思う所

2025年のプチ目標のひとつとして、『参加して良かったイベントの感想を書き留める』というものが自分の中にある。昨年は虹ヶ咲やMyGO!!!!!のライブの感想を書いたりしていたが、それ以外にも、とりわけ舞台の感想等も発信していくべきだと考えたからだ。

今回は1/8〜12の舞台『夢のかけらを歌に乗せたら』略して『ゆめかけ』の感想と、それを見て改めて林鼓子の演技、パフォーマンスについて感じたことを書き綴っていく。
僕自身林鼓子を応援し始めて出演舞台を観劇する機会が格段に増えてきたが、これまでは多くても初演と千穐楽の2公演、もしくは行ける日のマチネソワレのみという場合がほとんどだった。だが、今回の舞台は"初"の主演。ならば行ける日はなるべく多く行こうと思い立ち結果的に7公演ある内の6公演の観劇となった。ここまで同じ舞台を何度も観ることも今までなかったので、折角だから感想を形に残しておきたかった。
いつにも増して主観を多分に含む文章となっているが、どうか温かい目で読んでいただければ幸いである。

6回以上観劇によるリピーター特典の劇中歌楽譜。流石に本人直筆のメッセージを見て達成感を覚えた。

舞台全体を通しての所感

おおまかなあらすじやどんなキャストが出演していたのかについては上記リンクから見てほしい。

要は林鼓子演じる館山こずえという有名音楽学校の受験に敗れた高校一年生の少女が「歌劇をやりたい」という衝動から歌劇部を作ろうとし、それが叶わないならイチからプロの歌劇団を作ろうとするお話。
「一度夢破れた者が再起する、もう一度やりたい事に挑む」というのがこの作品の根幹にあるものであるようで、今回の舞台脚本・演出の久保田唱氏もパンフレットにて以下のように述べている。

実は僕自身も、中学時代に将来の夢を見て、その夢に直結する学校を受験して残念ながら受かる事が出来なかったという思い出があります。僕のその当時の夢は競馬の騎手で、夢破れてその後高校に入ってすぐ、芸能の道を志すようになったのですが、あの中学~高校という時期に夢があって、でも破れて、さあどうするみたいな状況を経験していた思い出を、なんとなく本作の主人公にも重ねながら作った部分もあるかもしれません。高校生くらいの時期、「夢」があること、そしてまだ無いこと、あるけどうち破れてしまうこと。それぞれの気持ちの部分を描ける作品にになればと思い作りました。

舞台「夢のかけらを歌に乗せたら」パンフレット

「ゆめかけ」は「様々な出会いと、そして挫折が繰り返される歌劇群像劇。」ということだが、群像劇=複数の主人公が物語を動かすというよりは、作者のバックボーンが強く反映されている主人公のこずえの行動が周囲を巻き込み「私たちの歌劇団」の設立とライバル「シングシアターカンパニー」の対決へと話が進んでいくのが面白い。こずえは前向きな性格と行動力が抜きんでているが猪突猛進な為、そこをこずえに巻き込まれたキャラ達がまとめたりサポートしたりする。こずえの仲間は巻き込まれるような形がほとんどだがどのキャラも一癖あり、少年漫画のようなこの過程がとてもテンポ良く、台詞回しの小気味よさも相まって90分ほどの第一部もあっという間だった。

個人的には、実質もう一人の主人公のような位置づけなのではと思っている大滝紗緒里演じる音尾雪子という存在が物語の輪郭をガッチリ固めていたと感じている。彼女は「28歳、会社員」という立場で歌劇についても未経験でただ歌劇のオタクというだけだが、彼女が勢いでこずえの仲間になること、彼女の大人としての目線での意見と好きなものに対するストイックな意見が両立しているところが彼女をキーマンたらしめている所以である。雪子がいないと「部活ではなくプロの劇団を作る」という展開にはならなかったし、ファーストコンタクトで雪子がこずえの歌劇にダメ出ししていなければこずえがシンシアに啖呵を切るような意見を言うこともなかったはず。大人でありながらも高校生の少女と同じように夢と向き合う姿には強いメッセージ性を感じた。

第2部の歌劇パートも、2つの劇団の対バン形式で交互に劇を交えた曲披露でとても楽しい。劇自体はそこだけのオリジナルストーリーなのだが作中(舞台ゆめかけ)の内容にも即している部分が感じられるのも唸らせるポイントだった。
2つの劇団の勝敗を実際の観客の拍手で決定するマルチエンディングなのも中々凝っていた(ボイストでも同じことやってたからなんとなく既視感あった)。2公演目までは私たちの歌劇団(主人公の劇団)が勝つ展開が続いていたのでどうなんだろうと思っていたが、実際3公演目でようやくシンシアが勝って本当にマルチエンディングだと判明し唸った。実際私たちの歌劇団の戦績は5勝2敗だった。

楽曲もそれぞれ個性が強く良かったが、主人公の「私たちの歌劇団」のメインテーマのサビにいい感じの飛びポがあってちょっと笑った。


「ゆめかけ」は林鼓子の自叙伝?

上記の作者のコメントと矛盾した見出しとなっているが、あくまで「こういう解釈もできるのでは」という考察なので悪しからず。

そもそもの話、舞台役者はアニメの声優のように当然オーディションから選出されるわけだが、主演の林鼓子に関しては「直々のオファー」だったとのこと。

↑しれっと惚気てて好きなツイート。

シンプルに直々のご指名で主役に抜擢されるというのはとても光栄な事のはず。思えば、主人公館山こずえというキャラ設定や「ゆめかけ」の内容・作中の設定等にはどことなく林鼓子自身のパーソナルな要素をどことなく感じさせる部分がある。
※千穐楽でのカーテンコールにて「自分と共通点がある」という言及でもいくつか触れている。

  • 作中の有名音楽学校「塚光」は「宝塚」がモデル。林鼓子本人も宝塚の大ファン。

  • 姉あずさの「芸能の道は普通に社会人をやるより大変。安定することはない。」というこずえに向けた台詞=林鼓子自身がコロナ禍で経験した苦難と重なる。

それに役者って、オーディションに受からない確率のほうが高いので、毎日が就活。来年のスケジュールどうなるんだろうっていう不安がいつもつきまとう感じです。
声優になって3〜4年目くらいの時期にコロナがあったのも苦しかったですね。高校3年で進学に悩み、仕事をもっと頑張りたいのにイベントがなくて、アフレコは分散収録だったし、新人が活動できるような機会が減って。わ、私どうなるんだろう……みたいな絶望感がすごくありました。
〔中略〕
全然仕事がないどん底の時期もあって、このままだと生活厳しいぞって。ファンの方に言うことじゃないと思いますけど、どん底を経験しているからこそ、今すべての事象にありがたいって思えるところはあります。

林鼓子「どん底を味わったからこそ、今のすべてがありがたい」【声優図鑑 by 声優グランプリ】

https://seigura.com/senior/142424/

とはいえ、林鼓子自身は「こずえに私が引っ張ってもらう」という発言をしているように、こずえの物語=林鼓子そのものというわけではない。

それを踏まえると、「ゆめかけ」は作者が林鼓子を主役に指名抜擢し、林鼓子を主役として輝かせる為の物語と演出を作ったものであると考えるのが妥当ではないかと思う。あくまで推測の域を出ないが。

どうであれ、林鼓子が主役として活躍する為のまたとない絶好の土俵であったというのは間違いないだろう。


『主演・林鼓子』のパフォーマンスについて

「ゆめかけ」における最大の見せ場が終盤の二つの劇団による歌劇ライブパートなのだが、とりわけ林鼓子のパフォーマンスは推しフィルターのかかった贔屓目を抜きにしても突出していた。

前述した『林鼓子が主役として輝くための絶好の土俵』で歌い踊る林鼓子は、「私、歌って踊れるスタァになりたい!」という口上から歌い始める館山こずえのそれは、自分にとって紛れもないスタァのパフォーマンスであった。これまでのライブや舞台で林鼓子の歌やダンスは色んな形で見てきたが、「ゆめかけ」でのパフォーマンスは本当に伸び伸びとした歌声に指の先まで堂々とかつ優雅に魅せるダンスで、今までとの差異も感じつつ林鼓子の集大成のようなものを感じさせる圧巻の演技だった。劇中の雪子の台詞を借りていうならパフォーマンスの『吸引力』が凄まじい。この『吸引力』とは雪子も言及していた「人を惹きつける力」という意味。文字通り、こずえとして歌い踊る林鼓子の姿にただ惹きつけられた。
これが回を重ねる毎にさらに凄みを増していくを目の当たりにして、毎公演同じものを見ているはずなのに公演の度に魅了され、圧倒されていた。

また、複数回観劇して毎回同じところで涙させられたのがラストのカーテンコールの最後の最後でセンターに立つ林鼓子にバンッとスポットライトが当たる時。本当に名実共に彼女がこの舞台の『主演』であることを証明するその演出にいつも心震わされていた。自分自身まだ林鼓子を推し始めてからまだ日が浅いが、センターで多数のスポットライトを一身に浴びる彼女の姿を見て涙が出たのは、きっと自分も無意識のうちにこの光景が見られるのを心待ちにしていたのかもしれないと結論付けている。

主役に相応しい女優・林鼓子

ここからは舞台の感想というよりは、100%主観の話。

オタクは誰しも自分の推し声優・俳優こそ主役を演じるに相応しいと考えることがあるだろう。僕もそうだ。
林鼓子は、主役を演じるに然るべき、『主演』を務めるに相応しい女性である。これは単に、上述してきた『林鼓子を主役として輝かせる為の物語と演出』の舞台における話というだけではない。

ご存知の人も多いと思うが、林鼓子はアニメ「キラッとプリ☆チャン」にて主人公桃山みらいを演じた実績がある。みらいは明朗快活なザ・主人公な女の子で様々な困難を乗り越え成長していく。アニメ放送が終了した今でもライブでみらいとして登壇する林鼓子は主人公として、主役として堂々としたパフォーマンスをする。林鼓子にとって何物にも代えがたい存在になっているみらいの存在が、林鼓子という声優を『主演が似合う役者』たらしめているのは間違いない。

とはいえ、今回『ゆめかけ』で主演として舞台に立つことに関しては、林鼓子本人としてはプリ☆チャンとはまた別ベクトルの事項として捉えているとのこと。(出典は林鼓子のココいちばん!だが元動画が有料アーカイブ)
『ゆめかけ』のこずえは確かに主人公として相応しい行動力、カリスマ性、人を惹きつける歌やダンスの才覚を待ち合わせているキャラであった。
『ゆめかけ』の主題として夢を追いかけることの尊さ、そして苦しさの先に見えてくる輝きを体現する館山こずえというキャラの在り方を体現した林鼓子は、まさしく『主演』らしい立ち振る舞いだった。それでいてプリチャンのみらいとはまた異なるテイストの主人公らしさを感じられる役作り。しっかりと新鮮みがあった。

林鼓子が『主役』を演じるに然るべき、と思う部分としてはやはりマイクを通さずとも劇場全体に通る声量・声質という要素を今回改めて再認識した。
よく通る声という部分は以前自分が書いたnoteでも言及しているので、併せて読んでいただけると幸いである。

彼女の声は、等身大でひたむきに真っ直ぐ好きな事や現実と向き合う少女の声としてあまりにもしっくりくる声だと思う(勿論、女性声優のオタクからは異論は受け付ける)。それは彼女が放つ声や演技が彼女自身の地に足の着いた努力を感じさせるものだから。
千穐楽のダブルカーテンコールにて、今回『ゆめかけ』の舞台に立つにあたって、稽古の段階で役者として声優として葛藤する事も多かったという。
だが、そんな等身大の人間として悩み苦しみ、自分の役者としての演技を研鑽していく姿は、リアルのノンフィクションな『主役』としての姿ではないだろうか?
彼女のひととなりに、役者としての姿勢に心惹かれるのはきっと彼女自身の人生があまりにも『主役』らしいからなのかもしれない。

僕が林鼓子を一人の女性声優として追いかける原動力として、彼女に『主役』を演じてほしいというところがある。それは彼女が虹ヶ咲のファンミ広島で優木せつ菜としてパフォーマンスする姿を配信で見たその時から今までずっと変わらない。

今回の『ゆめかけ』での館山こずえを演じる林鼓子の姿は、自分の中での『主役』像としてあまりにも理想的だった。だから、今回『ゆめかけ』を観劇して「あぁ、僕はこれまで林鼓子を追いかけ続けてきて本当に良かった。」という感情が何よりも先行して存在している。自分のやりたいことに対してひたむきな姿勢、ある方法がダメなら型破りだが別の方法で夢に向かって励む姿、それを演じる林鼓子は本当に輝いていた。

自分が何故林鼓子を応援しようと思うのか?』という命題(誰が投げかけた?)に対してのひとつの答えを、『ゆめかけ』の館山こずえを演じる林鼓子の姿に確かに見出した。

まだまだこれから、という部分も多分にあると思う。
だけれども、僕はこれからも林鼓子の『主役・主演』を見たい。心の底から、僕はそれを渇望している。

あとがき

自分語りが多くなってしまったが、これを持って『ゆめかけ』の感想アウトプットを一区切りとする。

『ゆめかけ』は今年最初の舞台観劇にして最初のイベント参加だったが、この舞台が2025年最初の参加イベントで本当に良かったと思う。それはやはりこの舞台がとても暖かくキラめいた作品であったこと、その舞台において『主演』を務めた林鼓子もまた輝いていたこと、それを受け取ってとても暖かい気持ちになれたからだ。

改めて、林鼓子さん、『ゆめかけ』完走お疲れ様でした。

2025年も変わらぬ気持ちで貴女を応援していきます。
よろしくお願いいたします(オーディションでの雪子に対するこずえの台詞にならって)。


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