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一人称問題

 日本に生まれて、困ったことが2つある。

 1つは、集団心理が働きすぎていること。
 そしてもう1つは、一人称が多いことである。

一人称の変化

小学校低学年

 今思うと、自分の記憶がある中で最も無邪気だった小学校低学年。

 このときの一人称は、ちゃん付けだった。というのもあだ名がそれ一つだったため、自分自身を指すときもそのあだ名で「〇〇ちゃんはね」と話していたのである。

 どこに行くにも、誰の相手をするのでもその一人称だった。この頃に書いた作文ももちろん、「〇〇ちゃんは〜しました」となっているが、当時それで困ったことはなかったと記憶している。

小学校高学年

 過去の自分が考えすぎだと都度思ってしまう、小学校高学年(厳密には4〜5年生)。

 このときに使っていた一人称は4つだ。頻度順に並べると、うち、自分、こっち、ぼくとなる。特にうち、自分、こっちの3つは思い入れのある特別な一人称だ。

 子どもは、発達に伴って当然のようにちゃん付けを卒業するらしいが、例外がここにいた。小さい頃から周りを見ることが苦手だったため、誰かに唆されて(多分親)ようやく一人称について考え始めた。
 今でこそ臨機応変に呼び名を変えることができるが、小さい頃はそれが大の苦手だった。皆さんはどうだっただろうか。
 小さい頭で一生懸命悩んだ結果、まず「うち」を使った。「ぼく」が急に使うには気恥ずかしかった中で、短くて使いやすいと感じたからである。
 しかしこの一人称は、かなり慣れ親しんだ頃に誰か周りの子どもに馬鹿にされた。ランドセルの色と同じように、結局一人称は性別が限定されていないようで違うのである。堂々と個性を主張できるならいいものの、過去の自分はそれができなかったために、また一人称を変えざるを得なかった。

 こうして、次も気恥ずかしくない、性別に左右されずになるだけ無色透明の使いやすい一人称にしようと「こっち」を使いはじめた。
 この一人称はとにかくすぐ使うことができ、馴染んだ。単体で聞くと変な感じもするが、例えば人生ゲームで「次はこっちの番ね」などと違和感なく使うことのできる一人称であった。
 しかしこの一人称には、使用者が少ないという弱点がある。当時「こっち」は一人称としての立ち位置が確立されていなかったために、よく聞き返された。先にも述べたが、過去の自分は堂々と自己主張できないが故にそれが耐えられず、渋々この一人称も変えた。一番短い使用期間の一人称だった。

 この次に使ったのが「こっち」と同意義にあたる「自分」である。
 これがとにかく性別を決めない(=とやかく言われる心配がない)、気恥ずかしくない、聞き返されることもないという「三無」だった。こうして小学生時代は、「自分」を長く使った。

 ちなみに、高学年になると文章を書くときは何の躊躇もなく「ぼく」を使った。理由は分からないが、先生か誰かに言われたのだと思う。

中学生

 小学校高学年の自分が悩んでくれたことで、たいして悩むことのなかった中学生。

 公の場と書き言葉では「僕」で、それ以外の場では「自分」を用いた。

 普段から「僕」を使うのはまだ気恥ずかしいと思っており、全体の前で発言するなどの機会がない限りなかなか使わなかった。
 ニュース番組では政治家が性別問わず「わたくし」を使うのを見て、自分も公の場で「わたくし」と言えたらかっこいいなと思った。その反面、そんな一人称を使う中学生は周りにおらず、それは夢に終わった。

高校生

 遅めの成長期が訪れた高校生。

 高校は、商業高校だった。商業高校は高卒で働ける人材を育てるために、身だしなみをはじめとした他者からどう見られるかを考えることが大切になる。

 こうして自然に一人称が「僕」になった。しかし中学生までと違うのがアクセントである。今まで「ボス」のアクセントだったのが、「(ドスの効いた、というときの)ドス」のアクセントになった。

 そして中学生時代の「わたくし」エピソードを踏まえて、家での一人称が「わたし」になった。本当は「わたし」をメインの一人称にしたかったのだが、自分が高校生であるがゆえに「わたし」は性別云々でまた馬鹿にされるのではないかと、家族以外にはなかなか使えなかった。
 家族以外の人が一人でもいるときには「僕」を使う、そんな窮屈な限定一人称であった。

いま

 浪人して大学生の今。

 一人称は基本的に高校生の頃と変わらない。しかしSNSという緩い公の場では基本的に「自分」を使い、Yahoo!知恵袋は「回答者」を用いる。現実でも一人称にこだわることがなくなり、その場のテンションで稀に「俺」やら「あたし」やらも使う。
 なぜなら、過去に悩まされた一人称が持つ見えそうで見えない性別指定を気にしなくなったからである。ましてや、場合によって使い分けることでそれぞれの一人称が持つ個性を活かすことができると気がついた。

 個人的に、やはり一人称が少ないことに越したことはないと思うが、日本語固有の一人称の多さを、最近少しずつ楽しもうと感じるようになってきた。

まとめ

 ずっと書きたかったが、長くなると思って書けなかったテーマ。今朝ようやく勢いで書くことができたが、案の定長くなった。

 ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

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