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【雑記】日曜日という名の終末論
長かった正月休みが終わる。待ち望んでいた年末の怒涛の9連休。『年末年始は何して過ごす?』と世間的は浮かれムードだった。ぼくはまんまと世間の浮かれムードに乗っかった。気づいたら休みも残り1日。五月病たる不治の病を治療中のぼくはなんと季節外れの1月に再発させてしまったのだ。
そんなものは嘘だ。嘘に決まっている。ぼくはあまりに突然降りかかってきた不治の病に対してすぐさま拒絶反応を示した。だがそれも束の間すっかり気分はブルーだ。ブルーブルーブルー・・・青色ってどこか切なくてそれでいて、海や空のように広大で構えている。繊細なんだか大雑把なんだかよく分からない、そんな不思議な色だ。
ブルーな気持ちはほんとうに憂鬱なのか?ぼくはここにある一つの疑問が浮かんだ。
青春という言葉が存在するように中学生や高校生が学生生活を謳歌する間、勉強やスポーツに夢中になりすぎて燃え尽き症候群のようになってしまう少年少女も多い。彼ら彼女らは「青春を謳歌できなかった」と嘆くのだ。
たしかに僕も似たような経験をしてきた。青春とは甘酸っぱくて切ない。とはいえ甘酸っぱいとはいったいどういった感情なのか。説明がつかない。言葉の通り甘くて酸っぱいってことだろうが、この言葉を感情の通りにマッチングさせることは不可能ではなかろうか。
ぼくはこのようにブルーな気持ちをうまく消化することが苦手なのだ。湘南の海をバックにサーフボードやシティポップに乗せて都会的なふるまいをすることが残念ながらできない。サンオイルを塗りたくって肌を焼くことはできてもだらしない上半身をさらけ出すことはできない。そして不釣り合いなサングラスとショートパンツなんか身に着けていたら、ぼくの精神世界は間違いなく崩壊してしまう。
でも世の中には不思議なものでそういった不釣り合いな人種と少なからず関わる機会というものが人生に数回でてきてしまう。会社の上司や同僚の場合、機械的なコミュニケーションでは済まされない。話を合わせたり聞いたりしているうちに気づいたら「あ、なんかサーフィンって…いいかも!」なんて気付きを得てしまったときはもう取り返しがつかない。
いやきっとブルーな気持ちっていうのは消化不良な内面の世界を表しているのだ。そりゃ嫌な気持ちになるのも無理はない。
タイトルにもあるが『終末論』とはとても大げさである。ぼくは人がなぜこの言葉に惹かれ追い求めていくのか、理由がだんだんわかってきた気がする。
はじめての『終末論』に対する認識は『ノストラダムスの大予言』だった。当時ぼくは幼稚園の年長さんで当然この言葉の意味を知る由もなかった。ただ、世界が終わる。それだけだった。
そうして、『新世紀エヴァンゲリオン』、『火垂るの墓』、『アルマゲドン』、『ターミネーター2』、『夜王子と月の姫/銀杏BOYZ』、『誰かに殺される夢』など様々な体験を通して世界の終わりを感じとり、「世界は始まりがあるからこそ終わるものなんだ」となぜか急に賢者になったの如く世界を俯瞰的に見始める。
「もーこれで終末論なんて考えるのは終わり。物事なんか希望的観測でいいんだよ。終わるってことは必然的なんだからさ、その時になって考えればいいんだよ。それか後世の人たちでしっかりと意味を肉付けしてくれたらいーよ!」
人間の脳みそは楽な方向に流されるようになっている。質の高い思考を放棄することはたやすい。むしろあまりに考え方が先鋭化していると気難しい人ととらえられ日常生活に支障を来たしてしまう。健全に社会や学校で適応するためには、それ相応の仮面をかぶって生活しなくてはならない。仮面を外してありのままでいれば、『頭のおかしい人』と認定されかねないからだ。だからレールを外れないようにみんなと同じような恰好や仕草をする。
「てか、明日から仕事かー。休み短かったなー。いやーでもやっぱり休みの時も仕事のことが頭から離れなくて、年末のだけはやりかけてた仕事の続きやっちゃったもんなー」
ぼくは『終末論』の呪縛から抜け出せられずにいる。それは日曜日のサザエさんを見ている時にふとした瞬間起こる。でもたまにどうでもいいやと思える時もある。
それはブルーな気持ちではない時だ。青の反対は黄色だ。イエローな気持ちの時だ。ビートルズのイエローサブマリンだ。
We all live in a yellow submarine
Yellow submarine yellow submarine
ーぼくらはみんな黄色い潜水艦に住んでいる
黄色い潜水艦 黄色い潜水艦
憂鬱な気持ちを抱えているのはきっとぼくだけではない。ぼく以上に憂鬱な気持ちを抱えている人はたくさんいる。だからこうやってブルーな気持ちになるのは今流行っている(?)共感性羞恥的な突発性鬱であって、心配しなくても毎週日曜日になればやってくるものなのだ。毎週日曜日の18時のちびまる子ちゃんもしくはサザエさんにアラームを設定しておけばいい。
そこで充分に負のエネルギーを蓄積させておけば、月曜日の朝は意外とすっきり目覚めたりする。朝一杯のお湯をのみ、歯を磨いてから支度の準備を済ませて外を出ると、意外と足取りも軽いかもしれない。「あ、これはいけるぞ」と意気込んでみたものの、会社の最寄り駅につくと一瞬、尻込みする。
「あーもうええわ、突発性鬱やろどうせこんなん。みんなテンション低いやろ」と自信に言いきかせ、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの『おはようございます』を視界に入った人たちに言い放つ。自分の席に座ってしまえば、あら不思議。これまで、世界の破滅を企てる悪魔から人々を救出するべく降り立った天使の気分が途端に『大したことじゃなかったんだ』と我に返る。
おそらく月曜日の朝が待ち遠しい人には理解できなかったと思う。ぼくのこの文章を月曜日の朝におびえる全人類に捧げる。