sunflower
喫煙所は、町の隅にあるような小さなスペースだった。ビルの陰にひっそりと佇むその場所は、壁一面に灰皿が並び、薄汚れた空気が漂っていた。ニシは、いつものようにタバコを一本取り出し、火を点ける。煙が静かに上がり、夜の湿気を含んだ風に流されていく。
「火、もらえる? ライター忘れたみたい」
その声は、背後から聞こえた。振り返ると、そこには背の高い女が立っていた。黄色いワンピースに身を包み、胸元には大きなヒマワリのブローチがついている。髪は風に揺れ、顔には日焼けの跡が淡く残っていた。まるで太陽の下で長い時間を過ごしてきたような、明るさと少しの疲れが混じった表情だった。
「ああ、どうぞ」
ニシは無造作にライターを差し出した。彼女はそれを受け取ると、タバコに火をつけ、深く吸い込んだ。
「ここ、よく来るの?」
「ああ、たまに」
ニシは曖昧に答えながら、彼女の仕草を観察した。指先には小さなリングが光り、ヒールの踵が小さく地面を叩いている。
「この辺、あんまり好きじゃないんだけど、こういうとこだけは落ち着くんだよね」
彼女はタバコの煙を吐き出しながら言った。その仕草は、何かを隠すようでもあり、何かを伝えたがるようでもあった。
「……ヒマワリみたいだな」
ニシは、なぜかそう言葉が口をついて出た。自分でも驚いたが、彼女は目を丸くして笑った。
「そう。いいでしょう、このブローチ」
「いや、あんた」
「私? それ褒めてる?」
「まあ」
彼女の笑い声が、喫煙所の静寂に響いた。それは短く、しかし記憶に残る響きだった。
しばらく二人は黙って煙を吐き続けた。聞こえるのは、近くを通り過ぎる車の音と、たまに風がビルの隙間を通る音だけだった。
「じゃあ有難いね。でもユリっていうの、名前」
「ユリ?」
「そう、ヒマワリじゃない。残念」
その瞬間、彼女の目が少しだけ寂しそうに揺れた気がした。ニシはその目から何かを読み取ろうとしたが、彼女はもう視線をそらしてしまっていた。
「また会える?」
ニシが尋ねると、彼女は空になったタバコの箱をクシャクシャに丸め、ゴミ箱に放り込んだ。
「さあね」
そう言って彼女は、喫煙所を出て行った。その背中は、まるで本当に向日葵が歩いているかのように見えた。
“If the world were to end, we’d probably meet here again.”
出来すぎた小説の一片が頭に降ってきたが、残されたのは消えかけのタバコと、湿った夜の風だけだった。